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フランス?ショレ:心地よくいられる場所~ジュリアン?アンチュネスさんインタビュー~

外大生インタビュー

今回の「私のふるさと~外大生にインタビュー~」第10弾では、昨年10月からオンラインで本学の授業を履修し、今年の3月末から7月半ばまで来日して本学のキャンパスで博士論文の研究をしていた交換留学生のジュリアン?アンチュネスさんに、ふるさとであるフランス西部の都市ショレでの思い出の場所やエピソードについて伺いました。また、ジュリアンさんが留学中に学んでいたことや、来日後に始めた剣道などについても詳しくお話していただきました。

取材担当:言語文化学部ポーランド語3年 山口紗和(やまぐちさわ)
記事担当:国際社会学部西南ヨーロッパ地域/イタリア語4年 塩田明子(しおたあきこ)
(以上、広報マネジメント?オフィス学生取材班)

特別な料理、思い出の場所

―――こちらは何のお料理ですか。

これは、僕の恋人が作ったティラミスです。僕の母も彼女もティラミスを作るのが上手なのですが、僕がティラミスが好きなので、よく作ってくれました。僕にとっては特別な料理です。僕も作れますが、そんなにおいしくないと思います(笑)。

―――次に、こちらはどこのお写真ですか。

ショレにある、ノートル?ダム教会(Eglise Notre dame)という教会です。この写真は、「ふるさとを紹介するなら、このきれいな教会を紹介したい」と思い、昨日撮ってきたものです。フランスの学校では、キリスト教会を勉強する選択科目があり、月に1度、友人と勉強の一環でこの教会に通っていました。

―――こちらのお写真について教えてください。

ショレに暮らす人々が集まるトラヴォ広場です。僕もここで友達とよく遊びました。写真では見えませんが、居酒屋のような店もあります。右側にある赤と白のテントのような建物は、カルーセル(メリーゴーランドのようなもの)です。子どもの頃に、ここでよく遊びました。

―――こちらはどこのお写真ですか。

Mail公園です 。「Mail」はちょうどよい日本語の翻訳が見つからないのですが、きれいな散歩道がある公園のようなイメージです。通っていた高校の近くにあって、放課後はよくここで友達とのんびりしていました。

ショレでの学生生活

―――ジュリアンさんは、どれくらいの期間ショレで過ごされていましたか。

19年くらいです。ショレは本当に小さな町なので、静かな幼少期を過ごしました。ここで大事な幼なじみができ、僕たちはバスケットボールなど、よく一緒にスポーツをしました。

―――幼なじみの方と一緒に勉強されたりしていましたか。

現在の教育システムは少し異なりますが、高校2年生になるとき、フランスでは自分のバカロレア(専攻)を選ばなければなりませんでした。僕は経済系を選び、彼らは理系と文学系を選びました。専攻が違うので、勉強についてはあまり一緒にすることはありませんでした。

―――そうなんですね。フランスの高校のシステムはよく分かってなかったので少し新鮮です。

言語学を学ぶ、東京外大での留学生活

―――経済系に進まれたということですが、そこからどうして言語学を専門にしようと思われたんですか。

僕はまず、ビジネス、さらにドイツ語と英語を勉強しました。その時はなんとなく、英語の教員になりたかったので、ビジネスと英語学の学位を取得しました。その後、ボルドー大学の英語学の修士課程に進んだのですが、その時に日本語学者と出会い、日本語言語学を専攻しはじめました。本当に偶然の出来事でしたが、僕の家族はポルトガル人なので、異文化や異なる言語にいつも興味を持っていました。最近はポルトガルに行っていませんが、23歳まで毎年1か月ほど過ごしましたので、日常会話程度のポルトガル語が少しできます。

―――たくさんある日本の大学の中から、どうして東京外国語大学を志望されたんですか。

実は僕は2年前、日本語を勉強するために筑波大学に6か月留学したことがあるのですが、半年で日本語が上手になるのは無理だと思いました。東京外大は、有名な言語学者がたくさんいます。言語学を研究している大学院生にとって、有名な教授の授業やゼミに参加できるのは貴重な機会だと思い、東京外大に留学することを決めました。研究をしながら日本語と言語学を勉強することが、僕の留学の目標でした。

―――日本とフランスで「ここは結構違うな」と感じたことはありますか。

初めて来日したとき、漢字だらけの言語景観にびっくりしました。特に、場所の名前の読み方が普通の読み方と違いますので大変でした。それと、日本人はフランス人と比べて回りくどい言い方をよくするので、今は慣れましたがなんとなく大変でしたね。おかげで、今では僕も、回りくどい言い方でよく話していますね(笑)。

―――大学院での研究内容、そして今後その学びをどのように活かしていきたいかということについて教えていただけますか。

先ほどもお話ししましたが、僕の父はポルトガル人なので、他の言語と文化にいつも興味がありました。修士論文を執筆する際には、僕は「お断り」に関する日本語と英語の比較を題材にし、英語学の修士号を取得しました。その後、さらに言語学に範囲を広げて一般言語学の博士課程に進み、今の研究テーマである、「名詞+の+名詞」という日本語の類型を研究し始めました。例えば「男の子」「松の木」「髪の毛」という語のアクセントと構造を記述して分析しています。アクセントや意味論に関する研究は本当にややこしいと思いますが、がんばって研究しています。

―――本学に留学中、秋廣尚恵准教授の指導を受けていたと伺いましたが、思い出のエピソードがあったら教えてください。

5、6年前に秋廣先生の発表を聞き、先生の研究分野に興味を抱き、来日を機に先生にお世話になりました。先生は本当に優しい方です。フランス人の友人と秋廣先生と一緒に、東京外大のフランス語のリスニング教材の会話を録音しました。4時間くらいかかり大変でしたが、楽しく素晴らしい経験でした。よい思い出です。

剣道に挑戦!

―――留学中に剣道をされていたということも伺ったので、剣道についてもお話を伺いたいと思います。まず、剣道を始めたきっかけはどのようなものだったんですか。

僕は以前からさまざまな武道をやっていました。剣道についてはあまり知りませんでしたが興味があったため、来日後すぐに剣道部に連絡して、入部させてもらいました。

―――実際に剣道をされてみて、「むずかしいな」って思ったことはありますか。

僕は日本語の母語話者ではないので普通にしていても日本語でのやりとりに困難があったのですが、剣道の面(頭部を守る防具)は重くて前も見づらく、音も聞こえづらいので、日本語の聞き取りに本当に苦労しました。剣道をしているうちになんとなく慣れましたが、初めはその点がむずかしかったです。

―――留学中の剣道部のご友人や顧問の先生と交流する中で、思い出に残ったエピソードはありますか。

さまざまな思い出がありますが、一番大事な思い出は、帰国する際、友人が成田空港に見送りに来てくれたことかもしれません。そのほかに、みなさんとの最後の稽古でしょうか。最終稽古ということで、よく打たれて筋肉痛にもなりましたが、とても良い思い出です。

―――剣道1級審査会に参加されて1級を取得されたとお伺いしました。

2、3週間くらいで準備をしなければならなかったので、準備がとても大変でした。緊張しましたが、合格したときは本当に嬉しかったです。剣道部のみなさんのアドバイスのおかげで、合格しました。誇りになりました。

―――部員の方からは、どういったアドバイスをもらいましたか。

例えば、剣道では礼儀が大事なので、僕は礼法を復習しました。1級審査会では、「地稽古」と「形(かた)」の2つの試験があります。まずは「地稽古」、つまり試合稽古です。試合稽古といっても相手に勝つというよりも正しい剣道が求められ、形(かた)と似ています。その形のやり方は少しややこしいので、みなさんが僕に教えてくれました。また、野口利明師範(1979年中国語科卒)も毎週2回くらい教えてくれました。ひとりではたぶん無理だったと思います。フランスでも、ボルドー大学の剣道部に入部するなどして続けたいと思っています。

最後に

―――将来はフランスと日本、あるいは他の国など、どこで生活したいと思われていますか。

コロナ禍のために日本での滞在期間が短縮されてしまったので、とりあえずまた日本で1、2年過ごしたいと思います。そのあとは、恋人が好きなニュージーランドでの暮らしにも興味がありますね。

―――最後の質問になりますが、ジュリアンさんにとって「ふるさと」とは、どういったところでしょうか。

僕にとって「ふるさと」というものは、変わらなくて心地よいところです。なんか懐かしい感じがしているところです。

編集後記

ジュリアンさんのふるさとであるショレのお話から、学業のお話、来日後に剣道を始めたお話まで内容の濃いインタビューでした。学業においてもスポーツにおいても本当にさまざまなことに挑戦されていて、すごいと思いますし、いろいろなことにチャレンジする姿勢を私も見習いたいと思いました。剣道については知らないことが多く、ジュリアンさんを通して新たに学びました。機会があったら、ぜひ剣道の試合を観てみたいです。

塩田明子(国際社会学部西南ヨーロッパ地域/イタリア語4年)

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