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ナンバーワン、オンリーワンが求められる世界:小栗宏太さん(文化人類学/香港ポップカルチャー研究)

外大生インタビュー

現在日本では、大学を学部で卒業するのが一般的であり、特に人文科学や社会科学と呼ばれる分野で学ぶ大学院生は少数派です。とりわけ、ゼミや研究室で大学院生との交流があまりない場合、学部生にとって大学院生の存在や、彼らの生活の実態がなかなか見えてこないのではないでしょうか? 東京外大も例外ではありません。東京外大の大学院生は普段どのようなことに取り組んでいるのでしょうか? どのような経緯で大学院に進学したのでしょうか? 今回は、本学の博士課程に所属し、香港をフィールドとした文化人類学やポップカルチャー研究を行なっている、小栗宏太(おぐりこうた)さんに話を聞きました。

(本学の大学院は博士前期課程(修士課程にあたる)と博士後期課程(博士課程にあたる)に分かれていますが、便宜的に「修士課程」、「博士課程」と記載します。)

取材担当:山本哲史(大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻国際社会コース1年)(広報マネジメント?オフィス学生記者)

髪型の自由と世界の平和を求めて

―――所属や研究テーマについて伺ってもよろしいでしょうか?

対象の地域は香港で、ポピュラー文化を通じて今の香港の状況を考える研究をしています。学問領域は文化人類学ですが、ポピュラー文化研究との間にいるような研究です。地域としても、中華世界に限らず、香港と東南アジアの世界のつながりに関心があり、中国研究系と東南アジア研究系の学会両方に所属しています。

―――今回は主に大学院以降のお話を伺いたいのですが、その前に少し学部時代のことを伺ってもいいですか?

実は高校で進路を考える段階から、研究を仕事にしたいと考えていました。就職活動や就職を機に髪を短く切るのが嫌で、大人になっても自由に髪を伸ばせる職業を考えたときに思いついたのが、アーティストか大学教員だったんです。アートの才能はなさそうだったので、それなら研究にしようと。選んだのは国際関係が学べるところでした。進学先は社会科学系と人文系の先生が両方所属する学部だったので、結果的に国際政治?経済と文化人類学の両方を学びました。国際系の学科に入学した理由はいくつかあります。私は高校の頃に洋楽ロックをよく聴いていたのもあって、ある程度英語には関心があり、勉強もしていました。親族に世界と関わる仕事をしている人が多かったのもあります。それから、ロックと言えば「ラブ&ピース」なわけです。漠然と世界平和に貢献したいと思い、国際政治を勉強することにしました。「研究をやりたい」、「世界を平和にしたい」、主にこの2つで進路を選んだわけです。

大学院生は本を読むためにいる

―――修士課程ではアメリカの大学に進み、政治学に加え、ジェンダー学や女性学を学ばれたとのことですが、学部での学びとどのようにつながっているのでしょうか?

先ほど言ったような理由で勉強を始めるわけですが、学部で勉強しているうちに、「世界平和は簡単じゃない」、「世の中の問題はすごく複雑だ」ということに気づきます。大学院でやる以上はもう少しトピックを絞る必要もあるので、どういう社会問題に関心があるのか学部の4年間を通じて考えました。その中で思ったのは、自分がジェンダーのステレオタイプに違和感を持つことが多かったということです。髪を切りたくなかったというのもその1つです。学部で受けた法律や文化人類学の授業で、同性婚や性的マイノリティの話に触れる機会があり、当時の自分にはとてもしっくりきました。ただ当時の日本は「LGBT」という言葉もあまり一般的ではなく、アメリカの方が研究しやすそうに思え、学部の提携校で奨学金制度もあったアメリカの大学に進学しました。同性愛者の権利問題が専門の先生もいた政治学科を選びました。また、進学するタイミングで、ジェンダー学/女性学/セクシュアリティなどを学ぶ課程が新設されたので、政治学のプログラムとは別にそちらのコースも受講しました。

―――アメリカの大学院に進学して、日本の大学との違いは感じましたか?

とにかく本を読まされたことです。これは政治学科のカラーかもしれません。週ごとのリーディングリストがあるのですが、本のタイトルが書いてあるだけで、チャプターやページ数が書いていない。つまり丸1冊読んでこいということです。がんばって読んで授業に行くのですが、セミナー形式の授業なので先生がいきなり「みんなどう思った?」と言うわけです。そこからはひたすらディスカッションで、先生から課題文献の内容の解説はほとんどありません。読んでくるのは当り前で、それを元に議論をしなくてはならない。

修士課程で使った教科書や参考書

―――ディスカッションで大変だったことはありますか?

参加者のほとんどが英語母語話者だったので、最初は非常にハードでした。ただ、だんだんコツがつかめてきて、そこからは1つでもいいのでこれだけは発言しようと決めて予習し、授業に臨みました。がんばって発言すると、先生も「この学生はあまりしゃべらないけど考えているんだな」と、評価してくれます。それから、だんだん気づいたのは、意外にきちんと読んでいない学生も多いということです(笑)。他の授業もあるので、精読は難しいのでしょう。私はネイティブではない分、時間をかけて読んできているので、他の学生が気づかない部分に気づけることもありました。拙い英語でも、きちんと読んでいないネイティブよりは意義のあるコメントができることもあるわけです。言語能力が求められているようで、事前の準備がものをいうんだなと思いました。この時にたくさん本を読んだので、研究書を読んだうえで、どうポイントを抜き出して、議論すればいいかを学ぶことができました。今でも、研究テーマを見つけていくときに役に立っています。

―――そういう経験があると一皮むけるわけですね。

忘れられない一言があります。学期の冒頭、学生たちがリーディング課題の多さにびっくりしていたとき、ある先生が「本は読みなさい。あなたたちはそのためにいるんだから。」と言ったんです。これは自分の大学院生活の座右の銘です。

―――自分にも言われている気がします(笑)。

本の良いところは、自分のペースで読めるところです。言語能力で劣っていても、時間をかけて理解するまで読める。ディスカッションだけの場合に比べ、差を埋められる可能性が高い。それが苦しかったという印象はほとんどありません。元々本を読むのは好きではありませんでしたが、だからこそ早く終わらせるために、作業だと割り切って、効率良くポイントをつかんで読もうとしました(笑)。研究者という仕事は、いわゆる「読書好き」じゃないとできない仕事ではないと思います。本を見るのも嫌だというのでは辛いですが…。

1つの社会の日常から

―――小栗さんは修士課程から博士課程にかけても専門が変わっています。政治学やジェンダー学から、香港をフィールドにした文化人類学をやることになった経緯を聞かせてください。

自分がアメリカにいるとアジア、つまり非西洋世界の出身者になります。そこで、西洋で生まれた性的マイノリティの権利という概念が、西洋ではない世界に持ち込まれたときに起こる問題に関心を持ちました。特に伝統的な文化とされるものと、普遍的な人権の概念との衝突に関心を抱き、修士論文で扱いました。その結果、性的マイノリティの問題などは、普遍的な権利の側からのアプローチも可能ですが、それぞれの社会の文脈を深く理解することも大切なのではないかということに思い至りました。高校時代の「世界平和」という漠然とした考えから、徐々に関心が細かくなっていったわけです。そういった経緯で、修士課程の途中からは、もし研究を続けるなら文化人類学のように、もっとミクロな部分にフォーカスできる分野にしようと思いました。それまで専門の地域は定めていませんでしたが、修士1年目に香港を訪れたことがきっかけで、香港研究をしようと決めました。なぜ香港かというと、簡単に言えば、まさに「アジア的」なものと「西洋的」なものが混じり合っている場所に思えたことに加え、昔から親戚が住んでいたりして、個人的にも最も身近な外国だったからです。

―――そこから東京外大の博士課程に。

帰国後、日本の大学と学年歴が異なっていたたこともあり、すぐには進学しませんでした。香港の大学への進学も目指したのですが落ちてしまって、結果1年以上空白期間がありました。自分では「フリーランス」、「無所属」と呼んでいましたが、周りからは1文字とって「無職」と呼ばれることも(笑)。その期間に、学部時代の文化人類学や中国研究の先生に博士課程での研究について相談しつつ、香港や文化人類学について学び直しました。本来修士課程で学ぶべきだったことをそこで学び直したので、スムーズに専攻を変えることができました。学部のときから、文化人類学は1つの地域のことを細かく研究する学問という印象がありました。東京外大はそういうことをやっている人が多そうだったので、最終的に進学を決めました。

―――時間をかけて、順を追って問いを明確にしていったんですね。ゼミで普段接していて、問いを明確にしていくにあたってのプロセスをすごく意識されているなと思っていたのですが、それともつながっているような気がします。

苦労してトピックを探した人間なので、他の人が探しているときの感覚もなんとなくわかります。またいろいろとやっていく中で、経済のことも政治のことも法律のことも勉強しました。自分の研究に活用することはあまりないのですが、他分野の研究をしている人と議論する際には役立つ引き出しになっています

博士課程に進むということ

―――博士課程に入りたての頃は、どのように過ごされていましたか?

一般的には、修士論文を修正して、専門雑誌や大学のジャーナルに載せられるようにすることが多いと思います。ただ、私の場合博士課程に入ってから自分にとって新しい分野のことを始めたので、それはできませんでした。そこで博士課程に入ってすぐ、現地調査を兼ねた香港留学に行きました。そこで気づいたのは、文化人類学という学問は相手の人ありきで進む分野だということです。自分の研究計画があっても、調査対象とする人が自分の思っていたのと違うことに関心を抱いていたら、それを無視することはできません。例えば、最初は香港で働いているインドネシア人家事労働者の方々について調査をしようと考えていました。イスラーム教徒の方々が多いのですが、香港では少数派なので、豚肉を食べるような家で、住み込みで働かなければいけません。そこでどういう宗教上の問題が起きているのかに関心がありました。しかし、実際の調査で「豚肉に触るのは嫌じゃないんですか?」と聞くと、「そんなこと気にしてられないよ」と怒られてしまいました [i] 。雇い主の香港人も「宗教上の違いはあるけどまあそれはね…」と言っていました。「そんなことより、東南アジア出身者は呪いをかけるのが得意らしい。それが怖い。」 [ii] とも(笑)。自分が想定していた問題とはまったく違う問題に出会うわけです。これは文化人類学の醍醐味だなと思い、興味の幅を広げて調査をしていました。2018年に帰国してからは、呪術のことを調べたり、論文を書いたりしていました。しかし、2019年になると「逃亡犯条例」の改正をめぐって、香港のデモ活動が活発化していきます。その流れを無視することもできず、自分の関心もそこに向かっていきます。そこからは、自分のやってきたことを半分脇にやりつつ、香港の現状を追いかけていき、今に至ります。

香港でのインドネシア出身の家事労働者の集会

―――博士課程に入られて、修士課程との違いは感じましたか?

基本的に、修士課程は大学の中で指導を受けていれば修了できるので、大学の中で完結することが多いです。ただ博士課程になると、学会発表や論文投稿を通じて、大学の外に発信しなければいけません。私にとっては、それが一番面白いところでもありました。アメリカで修士課程を修了したときに、すごく印象的だったことがあります。それまで先生方のことを、名字に「Professor」をつけて呼んでいましたが、修了時に先生から、「これからはファーストネームで呼んでね」と言われたんです。博士課程以降に進む人間には、対等な研究者として接するということなんでしょうね。論文を出せば、査読をする人は、それが大学院生の出したものなのか、偉い先生が出したものなのかを知らずに審査をします。対等な立場で、本を読んで名前を知っていたような偉い先生たちと向き合っていかなければならなりません。

修士課程修了時のローブ。レインボーのスカーフは大学のLGBTセンターからもらったもの

―――抵抗感はなかったのでしょうか? 私はちょっと怖いです(笑)。

最初は怖いですよね(笑)。でも、「この部分なら他の誰にも負けない」というのを見つけていくのは楽しかったです。他の先生たちもすべてを知っているわけではないので、彼らがよく知らないことを突き詰めていけばいい。そもそも論文を発表するには、他の研究にはない新しい知見が求められます。これだけは自分がナンバーワンだと思えるトピックを探していくのは楽しかったです。幸いにも香港の音楽について書いた論文が学会から賞をいただけたりもしました [iii] 。そうやって自分の知識、成果が認められると、大きな達成感があります。

―――研究者に限らず、「この分野なら自分が!」と言えるというのはいいですよね。

出版物に名前が載るのも嬉しいですね。小学校の時に、インターネットで自分の名前を検索したりしましたよね(笑)。今ではありがたいことに、自分の名前が結構出てきます。大学院生は金銭的には辛いですが、自分の人生が終わっても自分の名前が公共の場に残っていくんだというのが、博士課程で研究する大きなやりがいです。他の業界で働く場合、自分が著者になったものを出版するのは大変です。しかし、博士課程以降の研究者には、それが当然のこととして求められます。自分の名前を検索したことのある人は、大学院や研究者に向いているかもしれませんね(笑)。

日常の文化から見る香港の政治

―――今取り組まれている研究はどのようなものでしょうか?

一言でいうのは難しいです。というのも、私の研究は、2019年以降の香港の動きに翻弄されてきたところがあります。研究者にとっては、論文を専門的な雑誌に投稿するのが、自分の研究を世に出す主要な機会です。しかし、どこかの国や地域で大きな変化があると、一般社会で専門家の知識が求められ、講演会や書籍出版の機会が増えます。2019年以降、香港研究者にもそういった機会が増え、その都度求められるものを書いていくという作業が、自分にとっての研究になっていきました。自分が取り組んでいたのは香港文化の研究だったので、香港の政治と日常的な文化がどう関わっているのかを中心に発表していきました。

香港のミルクティー

―――日常的な文化を観察することは、政治を考えるうえで具体的にどのように役立ったのでしょうか?

文化人類学者は、調査対象が関心を持つもの全てに関心を持とうとするべきだと私は思っています。私の場合、香港の人に「このミルクティーが美味しい」と言われれば飲みに行くし、「この歌手が良い」と言われればCDを買いに行きます。「このショッピングモールは…」、「この団地は…」と思い出を語る人がいれば、実際に現地に出かけてみます。2019年以降、たまたま私が聴いていた歌手がデモの争点になったり、私が興味を持っていたショッピングモールで警察とデモ隊の衝突が起きたりしました。香港、タイ、ミャンマーなどで「ミルクティー同盟」という、ミルクティーの名前を冠したネット上の連帯ができることもありました。なぜそのショッピングモールや歌手が重要なのか、なぜミルクティーなのかというのは、元々興味を持っていたから、ある程度理解できるんです。そういう経緯から、日常の文化の中に、2019年以降の香港の政治状況を位置づけるような研究を現在行なっています。それは政治だけ、文化だけを見ている人にはできないでしょうし、2019年6月以降にはじめて香港に関心を抱いた人にはなかなかできないことではないでしょうか。文化と政治のつながりというのは、時事問題に反応していく中で見えてきたものなのです。

―――研究者の方で、特に明確に地域を持っていらっしゃる方だとそのような話をよく聞きます。

地域研究にも同じことが言えるでしょうね。地域の事情を、注目されない時期から長く、深く、細かく見ている人の知識というのは、その地域が急に注目を集めたときに、広く社会全体に求められます。それに応えるのも専門家の仕事だと思います。

―――私の場合ミャンマーですが、何か大きなことが起きてそれが報道されると注目が集まります。その反応を見ていると、何かがいきなり起こったように受け取られている側面があります。しかし、その前から見ていた人間にとってはそうではありません。

政治変動の以前にも以降にも、人々の生活は続いているわけですもんね。注目された時から急に勉強を始めてもわからないことは絶対にあるでしょうし、注目されない時から、知識を着実に積み上げている専門家の存在が大切だと感じますね。

専門的な知識を社会に届けること

―――本学の出版会から出ている『香港危機の深層-「逃亡犯条例」改正問題と「一国二制度」のゆくえ』もまさに、地域に対する専門的な知を社会に還元しようという試みだと思います。小栗さんも寄稿されていますね。ショッピングモールや団地の話、興味深く読ませていただきました。緊急出版という形で、出版までとても早かったように記憶しています。

かなり分厚いものですが、2019年の6月にデモが起こって、12月には出版しています。まずもって出版会や編者の方々のおかげですが、短期間で原稿を用意できたのは、まさに香港に関する専門の知識が以前から積み重ねられていたからこそだと思います。特定の地域のことをやっている人が何人も集まっていて、日頃から他大学の研究者も含めたネットワークもあることで、何か起こった時にスピーディーな対応がしやすいのは本学の魅力です。

―――取り組んでいる研究の社会的な認知や価値を上げるためにも、書籍を含め、いろんな媒体で発信することは重要ですよね。

学会発表や論文投稿を通じて、自分の考えを学者間の議論にかけて、研究のクオリティを保つことは大切だと思います。一方で、論文を投稿し、査読を通って、実際に掲載されるまでに半年から1年はかかります。論文に取り組み始めてからだと2年近く経っていて、そうすると現地の情勢が大きく変わることもある。すると時事問題を扱うのは難しい部分もあると思います。なので、ブログみたいなのを書いてみたり、依頼が来たらエッセイのようなものも書いてみたりと、いろいろなアウトプットの方法を試しました。

―――発信していくことで、自分の議論が形作られていくところもありますよね。

そうなんですよね。私の場合、エッセイのような形で書いたものから着想を得た研究トピックはいくつもあります。きちんと論文は書くべきというのは前提ですが、社会に還元していく方法はもっと多様であっていいと思います。文章で出すだけがすべてではないとも思うので、歌や詩、演劇にしたっていいかもしれません。私はアートの才能がないので諦めましたが(笑)。香港の特定の文化については、日本でも研究者以外にも、私よりもはるかに詳しい人もいます。そういう人たちに向けて研究を届け、対話をするチャンネルはあったほうがいいでしょうね。ただ還元というだけではなく、研究者としての自分の知識は、そうした人たちの知識と比べてどう違うのか、どういった部分に自分の強みはあるのかということを見つめ直す機会にもなると思います。

ナンバーワン、オンリーワンが求められる場所

―――今後の研究についてはどのようにお考えですか?

香港は今、大きく情勢が変わり、これまでの常識や前提が根本から揺らいでいます。研究は積み重ねで成り立っているので、それまでの前提が崩壊してしまうようなできごとがあると、どう続けたらよいのか、正直悩む部分もあります。また、情勢が不安定な中で、どのような調査が可能なのかという現実的な問題もあります。情勢変化に対して、研究者、特に大学院生がどう向き合っていくのかというノウハウはあまり共有されていないように思います。いつか、そんな悩みを抱えている地域研究の院生同士で話し合ってみたいですね。私自身も何とか今後も香港をできる形で見つめ続ける方法を探しているところです。

デモに関する標語が貼り尽くされた香港の地下通路。留学中に暮らした街「大埔」にて撮影

―――大きく変化したと言っても、全てが断絶するわけでもないですよね。

そうですね。何があっても社会は続いていくし、人々は生活していきます。情勢が変化すればメディアは報道をやめてしまうかもしれませんが、地域研究者は一度本格的に関わりはじめた地域を、そうやすやすと放棄するわけにはいかない。それが我々の弱みであり、強みでもあるかもしれないですね。

―――今後のキャリアについてはどのようにお考えでしょうか?

ポストに関しては、運やタイミングなのでわかりません。引き続き香港のことを地道に見ていき、発表の機会があれば発表する。香港の場合は幸いまだ関心がある程度継続しているので、さまざまな媒体で発信していきたいです。自分しか知らないことを増やしていって、それを学会や社会に還元して、お金もついてきたら嬉しい(笑)。それにお金が支払われるような社会であってほしいというのもありますが、払いたいと思ってもらえるような仕事をしたいとも言えます。

―――最後に後輩へのメッセージをお願いします。

大学院は、他の人がやっていない自分だけの知識を身につけることが求められる場所だし、それができるように応援してくれる場所だと思う。自分しか知らないようなことを見つけていくのが好きな人にはぜひ来てほしい。ある意味簡単にナンバーワン、オンリーワンになれる業界だと思います。普通に就職して、会社の中で自分しかできないことを見つけるのは大変だと思いますが、大学院はむしろとそれがないといけない場所です。ナンバーワン、オンリーワンになりたい人はぜひ進学してみてください。

―――それで、名前も残せるとより良いですね。本日はありがとうございました!

[i] こうした経験については、次の文献を参照。小栗宏太. 2021.「二つの海の出会うところ:香港でさわる、さわられる」鳥山純子編『イスラーム?ジェンダー?スタディーズ4:フィールド経験からの語り』125?137. 明石書店.

[ii] 香港における東南アジア出身者に対する「呪い」のイメージについては、次の文献を参照。小栗宏太. 2021. 「怖い隣人-香港における東南アジアの呪いのイメージ-」『Field+ : フィールドプラス : 世界を感応する雑誌』26: 14-15.(http://repository.tufs.ac.jp/handle/10108/116860

[iii] 2021年度太田勝洪記念中国学術研究賞を受賞した(/NEWS/2021/220202_1.html)。文献情報は以下。
小栗宏太. 2021. 「不協和音――香港逃亡犯条例改正反対デモに見るポピュラー音楽と抗議運動」『中国研究月報』75(2): 22-37.

インタビュー後記

日々生きていく中で、「自分らしさ」や「自分の武器」がわからなくなり、思い悩むことはよくあるのではないでしょうか? 自分がナンバーワン、オンリーワンであることが当たり前のこととして求められる博士課程や研究者の世界はそういった意味では、苦しくもあると同時に、とても魅力的でもあるように思いました。

山本哲史(大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻国際社会コース1年)

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