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シリーズ「東京外大って…実際どうなの?」第4回「NGOから大学院へ―学問と国際協力、そして子育て…?」

外大生インタビュー

日本では、いわゆる「文系」の場合、学部卒業後に就職するのが一般的です。大学院に進学する場合であっても、学部からそのまま進学するケースが大半です。一方で、社会人の大学院進学が度々メディアなどで取り上げられることもあり、そうした流れを促進していくべきではないかということも議論されるようになってきました。本学にも同様に、数年間働いた後、大学院に入学した人たちがいます。今回は、NGOで国際協力に従事し、現在も国際協力の活動を続けながら本学博士前期課程(修士課程)で学ぶ、大場翠(おおばみどり)さんにお話を聞きました。

  • インタビュー対象者:大学院総合国際学研究科 博士前期課程 世界言語社会専攻 国際社会コース/2年 大場翠(おおばみどり)さん
  • インタビュー担当:言語文化学部ドイツ語4年 太田愛美(おおたあみ)さん
  • 記事執筆担当:大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻国際社会コース1年 山本哲史(やまもとさとし)さん

アイデンティティの揺れと少数民族への憧れ

―――今回は大学院での学びや活動について伺います。その前に、学部時代のことを伺ってもよろしいでしょうか?

他大学の文学部国際文化学科にいて、文化人類学のゼミに所属していました。学校は楽しく通っていたし、授業もそこそこまじめに出席していましたが、勉強熱心なタイプではなくて(笑)。当時アメリカに長期留学したいという目標があったので、アルバイトを一生懸命しながら学生生活を送っていました。ゼミの先生は、タイのリス族 [1] という少数民族の研究者でした。彼の授業で、タイの少数民族が何かの儀式で火を囲んで踊っている映像を見て、それに私は衝撃を受けました。とてもかっこよく見えて、彼らに憧れたというか。

[1] 中国、ミャンマー、タイ、インドに住む少数民族。伝統的には移動開拓型の焼畑農業を生業とする。

―――そこからなぜNGOに?

話が少し遡るのですが、高校はインターナショナルスクールに通っていました。親の教育方針ではなくて、むしろ反対を押し切るような形で入ったんです。小学校、中学校があまり楽しくなくて(笑)。自分を誰も知らない環境に行きたかったのと、英語が好きだったので、親を説得して入学したんです。ただ通い始めたらあまりに環境が違いすぎて戸惑いました。いきなりすべてが英語ですし。学校やカリキュラムはカナダの教育省の管轄で、日本にいながら日本の高校生として認められていませんでした。かといって、海外渡航経験はまったくないし、英語もできないといった状況でした。今ではインターナショナルスクールはわりと普通ですが、私が入学したのは20年程前だったので、(当時としては)特殊な環境に身を置きました。当時、アイデンティティの揺れみたいなものを感じていて、「自分はいったい何なんだろう?」という気持ちを3年間抱えながら過ごしました。特殊な環境にいたからこそ、強烈に「普通」というものを意識するようにもなり、バランスをとる意味で「普通に」日本の大学に進学しました。それでも、入学後も結局自分が何者で、どういう位置にいるのかわからない不安定な状態が続きました。そんなときに、先ほどの文化人類学の授業に出会いました。私は自分が何者かよくわかっていないけど、彼らは儀式や踊りでこうやって自分たちを表現しているのかと、強烈なアイデンティティのようなものを感じました。そこから、少数民族の方を支援する活動に参加したり、大学が提供していたタイへの短期留学のプログラムに参加したりしました。短期留学中にはタイのアカ族 [2] の村にホームステイをしました。現地NGOへの訪問もプログラムに含まれていて、NGOという存在が身近にあったのはその経験からです。新卒では一般企業に務めましたが、あまり自分とは関係ないなと思ってしまい、わりと早い段階で転職しました。

[2] 中国、ミャンマー、タイ、ベトナム、ラオスに住む少数民族。民族衣装ではカブトのような女性の帽子がとてもユニーク。

NGOで感じた現場の力

―――タイの少数民族との関わりをきっかけにNGOに進まれたのですね。今はミャンマーを中心にお仕事をされているようですが、何かきっかけはあったのでしょうか?

転職してからは、広報や支援者対応といった、日本にある本部での仕事をしていました。現地駐在の機会をもらえたのが、たまたまミャンマーのカレン州 [3]というところでした。その他に、ラカイン州 [4]というところにも駐在しました。こちらは別団体に転職した際に自分で選びました。

[3] ミャンマー南東部に位置する州。州都はパアン。ミャンマーの8大民族に数えられるカレン族の名称が冠されている。
[4] ミャンマー西部に位置する州。州都はシットウェ。ミャンマーの8大民族に数えられるラカイン族の名称が冠されている。

―――実際に働く中で印象に残ったことはありますか?

現地駐在を経験して共通して思ったのは、「現場のプロは現地の方々だ」ということです。「ローカルの力」というものは日々強烈に感じます。外国人である自分の役割というのは、彼らの力を引き出して、現地の方が納得して望むような形でプロジェクトを調整し、少しでも現地にとって良い変化をもたらすことだと考えています。国際協力の仕事に携わる仕事をしていると、「意識高い」、「すごい」とよく言われますが、私にはその感覚は最初からありませんでした。それは、最初のきっかけが、少数民族の方々に憧れの気持ちをもったことだったからです。自然と今でも現地の方へのリスペクトがあります。これは現場での強みにもなります。

―――まずは現地の人があって、そのうえでいかに周りがサポートできるかということですね。

はい。「ローカル」という言葉でまず私が考えるのはローカルスタッフです。現地で彼らを雇用して一緒に働きます。カレン州もラカイン州も事業地のほとんどが、外国人は許可がないと入れないような地域でした。そういう場所は情勢も複雑で、複数の(武装)勢力が管轄していたり、治安が不安定だったりします。私はそうした中で、ローカルスタッフが自分の役割を認識して、活き活き働くことのできる環境を整えることに注力しました。言語面はもちろん、現地の方とやりとりするという意味でも彼らの力はとても大切です。被益者である村の方々の存在はもちろん大切で、自分の村の状況や、なにを課題と感じているかは村の皆さんが一番よくわかっています。その土地の知恵を持っているのも、たとえばジャングルの中で道をどう通ればいいのかわかっているのも、現地の方です(笑)。私は彼らの中で「交通整理」をしていく感覚でいます。

カレン州駐在中のコミュニティとの打ち合わせ

―――具体的にはどういうことをされていましたか?

例えばラカイン州では学校建設のプロジェクトに従事しました。当時の所属団体が、州の北部、中部、南部に3つ事務所をかまえていていました。ロヒンギャ問題 [5]の中心地である北部に行きたかったのですが、女性を駐在させた前例がないと言われ、南部の事務所に勤務しました。事務所がとても大きく、ローカルスタッフが50人ほどいる中で、駐在スタッフは私一人。チームづくりや事務所の立ち上げに力を注ぐことになりました。学校建設はただ建てるだけではなく、地域住民の方をうちの土木エンジニアのスタッフがOJT [6]でトレーニングしながら学校を建てていく形式でした。プロジェクト終了後に地域住民の方に建築のスキルが身につく形です。

[5] ラカイン州のベンガル語チッタゴン方言を話すムスリムであるロヒンギャの人々が国軍の掃討作戦によって大量に難民化している問題。
[6] One The Job Trainingの略称。職場内で実施される職業訓練のこと。

―――ローカルスタッフはラカイン族の方が多いんですか?

そうですね。ただ他の民族の人もいますし、ラカイン族の中にも少数民族がいます。スタッフ内で民族間のいざこざもありました。この点はカレン州も同じです。ラカイン州の多数派民族のスタッフが、少数派の民族の自分を蔑んで見てきて気分が悪い、一緒に働きたくないといった声もありました。カレン州であれば、カレン族のスタッフをヤンゴンから来たスタッフが見下すといったことも。

少数民族にも光を

―――大学院に進学しようと思ったきっかけや、本学を選んだ理由などを聞かせてください。

研究をするなら、まずはNGOで初めに関わったカレン州と向き合いたいと思いました。カレン州の研究を理解してくださる先生の研究室をいくつか訪問し、素敵だと感じたのが今の指導教員である土佐桂子先生> [7]でした。大学というよりは先生で選びました。

[7] 東京外国語大学大学院総合国際学研究院?教授。専門は文化人類学、ミャンマー地域研究。

―――大学院ではどんなことを学んだり、研究されたりしているのでしょうか?

実は研究が全然進んでいないのですが、カレン州の国境地域にあるレイケイコーという村の研究をしたいと思っています。カレン州は70年以上内戦が続いていて、多くの方がタイ国境の難民キャンプに避難しました。キャンプの設立からは38年が経ちました。私が入学したのは、いよいよ帰還が進むかもしれないというときで、帰還後の人々がどう生きていくのかを見つめたかったんです。というのも、私が駐在で担当したプロジェクトは、カレンの難民の方々が帰還後にスムーズに暮らせるように環境を整備する事業でした。ただ、2015年当時は実際には帰還があまり進んでおらず、帰還後の実態がよくわかりませんでした。しかし2021年にはクーデターが起きて、帰還はすべてストップしてしまいました。この村は難民の方の帰還村として、支援を受けて作られた村です。紛争によって故郷に帰れる状況にない方(帰還難民)の受け皿として作られました。レイケ-コーはクーデター後、複数回空爆に遭っていて、ようやく帰還難民として、自分の故郷ではない場所に帰還した人々が、今また避難民になっています。私はレイケイコーが、少数民族の方々が光を当てられてこなかったことの象徴のように思えました。ミャンマーはクーデター後にメディアなどで「内戦の危機だ」と騒がれた時期がありましたが、それには違和感があります。「いやいや、カレンは70年以上内戦していますけど」と。「アジア最後のフロンティア」と言われるなかで、少数民族の方々がいかに軽視されてきたかということを考えさせられました。私には、レイケイコーは少数民族の抱えてきた問題の縮図のような場所のように思えるんです。

―――すごい…

入学前に事前調査として現場に行っているんです。一昨年かな。ちょうどその数日後にコロナで国境が封鎖され、足止めされる寸前でした。そうしたら次はクーデターが起きてしまって。

―――クーデターのような大きなことがあると日本のメディアでも紹介されても、昔からもっと問題を抱えているというのは納得です。軽視というのは本当にその通りだと思いました。

うまくまとめてくださってありがとうございます。空爆のような大きな出来事があると、「難民」として見られますよね。でも彼らの生きてきた背景を考えると、その言葉におさまらないものがたくさんある。彼らは避難生活を続けた後、難民キャンプに逃れてきています。故郷にもずっと戻れない。恐怖や不安から「戻りたくない」という人も多い。その中でやっと戻ってきたのに、また空爆や戦闘による被害に遭った。「難民」のようなワードで注目される存在ではなくて、その背景をもう一度丁寧に照らし出すという作業をしなければいけないのではないかと考えるようになりました。

カレン州レイケイコー村(2020年3月訪問時に撮影)

「論じる」って何ですか?

―――ここまでは研究内容について伺いましたが、大学院ではどんな授業を受けてきましたか?

正直、修士1年の頃はずっとオンラインで受けていたので、よくわからないまま終わってしまいました。必修やその他の単位をとっていたら課題に追われて終わっちゃったというか(笑)。

―――すごくわかります。

だから研究はこれからという感じです。それから、私は在学中に妊娠と出産をしています。修士1年の頃は、つわりが結構ひどくて。そこはオンラインに救われたところですね。だから、授業そこそこ、つわり多々みたいな(笑)。理想的な生活ではなかったかもしれません。

―――実際に大学院に入学してみて感じたことありますか?

社会人を10年以上経験したあとに入学して気づいたのは、何かを「論じる」ということが不慣れになってしまったということです。学部生の頃はもっと主張や視点をもって論じるということが素直にできていました。一方、現場で仕事をするうえでは、状況やその背景、関係者の心境などをいかに正確に把握するかというところに神経がいきます。そこがズレてしまうと、独りよがりにプロジェクトを進めてしまって、現地の人がまったく望んでいないものができ上がるかもしれない。国際協力は人が動かしていくものなので、そのような間違いも起こり得ます。また、自分自身も客観的にプロジェクトのリソースの1つとして意識するようになります。そうすると、どうしても視野が狭まってくる。入学後に、レポートなどで「~について論じなさい」みたいな課題が出て、かなり戸惑いました。「論じる」って何だっけ? みたいな。それに気づけたのは入学して良かったことです。実務だけやっていたら、一生懸命やればやるほどそういうことが抜け落ちてしまっていたと思います。

―――私はまだ社会人経験がなく、社会に出たらそれだけで視野が広がって、すべて良いことにつながるのではないかと思っていました。集中して頑張るからこそ見えなくなるものもあるんですね。

学生生活はすごく贅沢な時間だと思います。自分の興味関心に素直に従って学ぶことができる時間は貴重です。社会人は時間が足りないはもちろん、精神的にもそこになかなか向かないので。

―――ありがとうございます。今就職活動中なので、めちゃくちゃグサグサきました(笑)

子育てとの両立?

―――現在子育ても実務もして、さらに大学院の勉強もなさっているというお話でしたが、どのように日々こなしているのか、どうやってモチベーションを保っているのか教えていただけますか?

表面的には3足のわらじを履いていますが、全然こなせていないですね(笑)。NGOの方は、職員ではなく個人として仕事を受けています。これはこれまでの経験の強みだと思いますが、かなり融通を利く形で週に1.5日ほどでミャンマー支援事業に関わっています。ただ、私はどうしても実務の方が慣れているので、そちらに引っ張られてしまいそうになるのが反省点です。研究に注力するため実務は離れようと思ったのですが、ミャンマーの状況が悪い今、人道支援に関わることには意味があると思い実務も継続しています。子育てに関しては、夫の協力の一言に尽きます(笑)。家のことも子育ても一緒にやっています。彼も社会人になってから大学院に行っているので、大学院進学をすごく応援してくれました。支えてもらいながらなんとか…という状況です。気持ちの面は子育てに大分持っていかれる(離乳食どうしようとか)のですが、研究も、きちんと論文を1日少しずつでも読むぞという心持ちでやっています。

―――子育ての分担はどのようにされていますか?

明確な役割分担はありません。それをいいことに私が甘えているところもありますが(笑)。できるときにできるほうがやる形です。ただコミット率は彼すごく高いですね。

―――元々家事も同じようにされていたのですか?

一度役割分担を提案したことがあるんですけど、彼が、「ないほうがいいんじゃない?」と。家事の比重を可視化したら、もしかしたら彼の方が、パイが大きいかもしれない(笑)。

生後9ヶ月のお子さんと

―――実は大場さんのブログでも子育ての話などを読ませていただいて、素敵な家庭だなと思いました。大場さんは自分の思っていることを言葉で発信することを大切にされているのかなとも思ったのですが、いかがですか?

面倒くさがりなので、そんなことはないかな。書くときはエネルギーがこもっているので、そのように見ていただけるのだと思います。普段はむしろ、何も言わずに急にやり始めることが多くて、言葉で発信するというタイプではないです。ただ、やらなければとは思っています。

―――誰かが声を出したり、研究したりして、こういう状況があるんだよと発信していかなければいけませんよね。

だから研究のことも、もっと自信をもって声に出せるようにしたいなと思っています。

―――修士課程修了後の進路など、今後のことについて教えていただきたいです。

考えていますが、まずは修論(修士論文)を書かないといけませんね。一方で、これは社会人入学の強みですが、就職への焦りはあまりありません。30代になってから入学をしていて、転職も何度かしています。これまでの繋がりもありますし、自分の「市場価値」みたいなものも客観的にわかっていて、ここ(企業、団体)なら現実的かなとか、どのくらいの収入になるかなどもなんとなくわかります。ただやっぱり、国際協力の現場には関わっていたいなと思います。研究の成果をきちんとつなげる形で、研究の領域と現場の橋渡しができたらいいなと思います。実務に戻るにしても、せっかく研究したので、グレードアップしたことをできたらいいなと。少しだけ博士課程も考えています。ただ、修論も先が見えていない状態なので、それを言うのは恐れ多いですが。

―――研究や、何かを学ぶことが好きなんでしょうか?

いや、私は研究や勉強は向いていないと思います。根が実務者なので、現場で状況に即して動いている方が合っています。机に座って論文を読むのも苦手です。だた、実務ばかりしていると、同じ所でずっとぐるぐる回っている感覚があるんです。理論的なことや、俯瞰した知識を広く自分の中にインプットしていく必要があります。ずっと実務を続けることもできますが、なんと言うか「渇いていく」んです。「もう何も出てきません」って。私は今後もミャンマーに関わっていきたいのですが、ミャンマーの少数民族地域はすごく複雑です。それに対応していくためには、きちんと知識を取り入れないといけません。実務だと、素直な関心に基づいて動くことはなかなかできません。研究の視点から地域を見るというのはすごく貴重なことに感じます。

ロールモデルにとらわれない

―――これから大学院進学を考えている社会人の方々に向けてメッセージをお願いします。

自分のタイミングは自分にしかわからないと思います。実は私、20代のころにも東京外大の大学院に入学しています。国際協力業界は修士卒はわりと一般的で、行った方がいいのかなと思い進学しました。当時は国際協力専修コースがあって、名前だけで決めました。まだミャンマーにも関わっていなくて自分の興味関心もわからず、結局辞めてしまいました。自分にとって好いタイミングではなかったんです。まさか30代になってまた東京外大に入るなんて思っていませんでした。何かをしようとしたときに、ロールモデルを探しがちだと思いますが、結局そういうものはないのかなと今は思います。結婚できるかもわからなかったし、在学中に妊娠出産するとも以前は思っていませんでした。日本は学部からストレートに大学院に行く方が多いと思いますが、社会人を経て興味関心や目的が明確になった状態で研究できるのも良いなと思います。就職に焦らなくていいことや、実務と研究を往復できることも利点です。学部生の方と同じキャンパスにいられるのも私にとってはプライスレスです。視点がクリアで、下の世代の方から学ぶことがたくさんあります。ただ、社会人は相性がより大切に感じるので、事前の研究室訪問はおすすめします。大学院生として子どもを保育園に入れるのには苦労しました。そういう難しさはまだまだありますね。

―――私もこれから就職活動をして、大学卒業後に社会へ出るつもりです。その後も自分が何をしたいのかを考え続けながら、また学びたくなったら大学院に進んでもいいんだなと、今日のお話を聞いて思いました。

入るまで私もドキドキしていました。ハードル高く感じるけど、入ってみて受け入れてくれる環境が見つかればいいですよね。経験や強みを前向きに捉えた研究指導をいただいたり、ビルマ語科の学部生さんたちと素敵な出会いがあったり、私は東京外大に入学できて本当に良かったと思っています。

―――自分のやりたいことに素直になって考えたいなと、改めて思いました。修士論文、応援しています。本日はご協力ありがとうございました。

インタビュー後記

インタビューにご協力いただきありがとうございました。社会人経験を経て得た視線や、感じたことをありのまま話してくださり、現在就職活動中の私にとってとても意義のあるお話を伺うことができました。特に、?社会にでて自分のやるべきことに集中するからこそ、学生の時より視野が狭まってしまうこともある?というお話が興味深かったです。私も1年後には社会人として働くことになります。日々やるべきことに追われて時間が足りないことが多いと思いますが、様々なことに興味を持ち、学び続けていきたいです。

学問と実務、そして子育てと3足のわらじで生活されている大場さんの、今後の益々のご活躍をお祈りしております。

太田愛美(言語文化学部ドイツ語4年)

編集後記

この度は、インタビューにご協力いただきありがとうございました。ミャンマーを研究対象としている私にとって、外国人が気軽に出入り出来ない地域の現場で国際協力に関わっていらっしゃった大場さんのお話はとても刺激的でした。また、現場での実務と研究の分野を往復することで双方に貢献しようと取組まれていることは、参与観察を手法として持つ文化人類学を専攻されていることと深く関係しているように思い、興味深く感じました。社会人進学をすることに関するお話は勇気づけられるものばかりで、「ロールモデルを追い求める必要は無い」というお話は、これから就職活動を控える私にとっても参考になるものでした。

本シリーズは今回で最終回となります。シリーズを通してお読みいただいた学内外の皆様、インタビューにご協力いただいた皆様に、改めて感謝申し上げます。本シリーズ第1回企画の冒頭で、興味のある国や地域の語科に進学し、そのままその地域について専門的に学んだり、留学したりといったルートには当てはまらない学生の存在について言及しました。シリーズ全体を通し、そういった学生を少しでも応援できないか、大学側の認知につなげられないか、本学の受験を考えている学生の認識と本学の学生の実態との間にあるギャップを少しでも埋められないかという思いで取り組んで参りました。大風呂敷を広げましたが、4回のインタビュー記事でできたことはほんのわずかだと思っています。本シリーズに出てきた方々ともまた異なる道を歩んでいる学生もまだまだおられるでしょう。それは、私をはじめ、本シリーズに関わったメンバーの力不足です。企画書の段階、記事として形にする前の段階で断念した企画も沢山ありました。あくまで本シリーズはきっかけに過ぎません。今後学生取材班の活動が活発化し、学生?大学?学外の方々との間の認識のギャップが縮まることで、本学が教育?研究機関としてより一層発展していくことを願っております。

山本哲史(大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻国際社会コース1年)

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