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世界を語ろう@TASC シリーズ第8回:韓国現代史から見る民主主義と社会変革 ?対談者:藤井豪准教授

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地域研究のシンクタンクとして本学の研究?教育を社会に対して発信することを一つの役割として担うTUFS地域研究センター(TASC)で行うTASC対談シリーズ。吉崎知典TASC長が、世界各地域の諸問題について、本学の教員と対談していきます。

第8回は、大学院総合国際学研究院の藤井豪准教授をお招きし、朝鮮半島の分断状況、民主主義の発展、そして若者の社会運動における新しい形態について対談しました。2024年12月の韓国における非常戒厳令をめぐる市民の反応や、K-POPカルチャーと社会運動の融合など、現代韓国社会の動態的な側面についても伺いました。(対談が行われた2025年3月4日時点の情報に基づく内容です)

第8回目の対談者:藤井豪准教授
略歴 東京外国語大学大学院総合国際学研究院准教授。韓国に約20年間在住し、韓国現代史を専門としてきた。韓国の大学院博士課程で韓国現代史の第一人者の下で研究を行い、特に解放後の韓国社会の変遷について深い見識を持つ。現在は東京外国語大学国際社会学部に所属し、主に韓国の社会変動や民主化過程について研究?教育活動を行っている。

ファシリテーター:
吉崎知典特任教授/TUFS地域研究センター(TASC)長
専門分野は平和構築、戦略論、日本の安全保障等。慶應義塾大学法学部卒業、同大学院法学研究科修士課程修了。防衛庁防衛研究所助手、同主任研究官、防衛省防衛研究所理論研究部長、同特別研究官(政策シミュレーション)、同研究幹事を歴任した。2023年4月より現職。その間に英国ロンドン大学キングズ校客員研究員、米国ハドソン研究所客員研究員なども兼任。

朝鮮半島の分断と民主主義の発展

吉崎  世界を語ろう@TASCシリーズ第5回目の本日は、藤井豪先生にお越しいただきました。韓国の社会という視点から、日本との関係についてお話をお伺いできればと思いますが、まずは、先生が関心を持っている教育や研究テーマについてお話しいただけますでしょうか。

藤井  私の専門は韓国現代史ですが、これは韓国で20年ほど暮らしていた影響が大きいです。大学院の修士課程に入った時は植民地期を研究しようと思っていたのですが、1年後に休学して韓国に語学留学に行きました。そこで色々な韓国人たちと話す中で、自分が解放後の歴史について全く知らないことに気づきました。目の前にいる人たちは専門の研究者ではなくても、韓国現代史の延長上に自分が生きていることを理解していましたが、私はその部分が全く抜け落ちていたのです。そのため、専攻を現代史に変え、博士課程からは韓国で、韓国現代史の第一人者とされる先生のもとで勉強してきました。

藤井准教授

吉崎  朝鮮戦争が韓国の人たちにとってどのようなものだったのか、良心的な兵役拒否の問題やフェミニズムの問題など、韓国の社会ではどのように捉えられているとお考えでしょうか。

藤井  朝鮮戦争は南北双方にとって非常に決定的な出来事であり、その影響は多岐にわたります。特に韓国社会においては、植民地期から続いていた村落共同体や共同体意識が朝鮮戦争によって決定的に破壊されました。人民軍が占領した地域では、解放直後に自律的に作られていた人民委員会が再建されたのですが、1945年に米軍によって一度潰された後、朝鮮戦争で復活するも、再び国連軍によって潰されるという過程がありました。人民委員会の委員長になったりしていたのは主に独立運動家などその地域で人望のある左翼系の人々でしたが、そういった人々が北に逃げるか、あるいは殺されるしかないような状況が繰り広げられたのです。これらの出来事は、韓国社会にとって非常に決定的な地域共同体の破壊をもたらしました。

その一方、人民軍が入れなかった地域、洛東江以南の大邱、釜山、馬山などでは、逆説的にも左翼的な民族主義者が前面に出ずに済んだため比較的生き残ることができました。このような共同性の存続が李承晩独裁を打倒した1960年の4月革命の基盤となります。大邱では2月に高校生たちがデモを行い、3月の不正選挙の際には馬山の人々が立ち上がりました。このように朝鮮戦争によって地域の共同性が破壊されてしまわなかった地域では、抵抗運動が可能だったわけです。民主化の過程での抵抗の根拠は非常に重要で、お互いを信頼できるコミュニティがなければ、抵抗は難しいものとなります。韓国で長く独裁政権が続いたことも、このような観点から捉えることができるかと思います。

朝鮮半島の地図(韓国南東の青い線は人民軍が入れなかった地域)

吉崎  そうですね。コミュニティの視点は地域研究やその国の研究の出発点だと思います。私も国際社会における民主化や米軍、国連軍について研究しています。朝鮮国連軍の司令部が東京にあり、私も何度も訪れました。東京に朝鮮国連軍後方司令部があることを知ると学生は驚きます。韓国では、朝鮮国連軍司令部がソウルにあり、このようなことが現実に目に見える形で存在しています。

藤井  戦争や軍が目に見える形で存在しているという点は非常に重要だと思います。日本では実際には軍が存在しているにもかかわらず建前としてないことになっていることもあって、軍事に関わる問題がきちんと論じられることが少ないように思いますが、韓国では軍隊が日常的に存在しているため、その問題について正面から議論する雰囲気があります。昨年12月に尹錫悦大統領が非常戒厳を発令しましたが、あれが失敗に終わった原因の一つは、少なからぬ軍人たちが命令に従わなかったことでした。兵士が指示された場所に行かずにぶらぶらしていたり、指揮官が命令に従わなかったりしました。こういったことが可能であったのは、軍隊内での兵士たちの人権問題に取り組んできた人々がいたためです。軍隊というと命令に無条件に従うイメージがありますが、必ずしもそうとは限りません。戦闘力として見た場合も個々の兵士たちがただ命令に従うだけでなく自らの考えと判断を持ったうえで戦っている方が強いことは充分にあるわけで、装備などにおいて圧倒的に劣るゲリラ兵が正規軍に勝てたりする理由の一つはそれですよね。にもかかわらず多くの軍隊では兵士から判断力を奪う方針が取られてきましたし、韓国の場合もそれによって独裁の手段として軍を動員することが可能だったわけですが、韓国軍に対してはこの間人権運動団体などが粘り強い問題提起を行い、文在寅政権時代には国防部が「上官の命令が違法であるのに盲目的に服従することは犯罪」であるとして、不当な命令に対する拒否権の法制化を進めてもいました。現在の尹錫悦政権ではその方針は撤回されていますが、現代史についての知識が広く共有されていることもあって、兵士たちは自分たちがクーデターに加担したらどう見られるかを理解しており、加担しないという選択をすることができたわけです。

兵士らが国会敷地内に入ろうとするのを阻止しようと手をつなぐ市民ら 韓国ソウル(毎日新聞社提供)

若者の社会運動とK-POPカルチャー

吉崎  今日お持ちいただいたそちらの物はどのようなものでしょうか。

藤井  今回の非常戒厳事態以降の集会では、参加者がアイドルのペンライトのようなものを持って参加するようになりました。かつて朴槿恵政権を打倒して民主化を達成した際にはみながキャンドルを手に持っていたので「ろうそく革命」という言い方がなされましたが、最近は「光の革命」と呼んだりもするようです。今日持ってきたペンライトは、アイドルのものではなく、韓国の大学院生労働組合が作ったものです。ちなみにろうそくを持って集会する方法は、1980年代や1990年代にはほぼ見られず、2000年代の初めに誰かが始め、それが一気に広まったものでした。そして今回も誰が始めたのかもはっきりしないままにペンライトが主流になりました。大きな運動が展開するときは、新しいやり方が発明されるものなのですが、生きた運動というのはこういうものなのではないかと思います。

また、国会前に集まっていた人たちの中には10代の女性たちが多くいました。実はアイドルの追っかけをしている人たちは、真夜中から外に大勢で並んだりすることに慣れているため、こうした集会にも参加しやすいのですよね。このように、全く別の文脈で生まれた文化が民主主義を守るために活用されるのはとても面白い現象です。

韓国の大学院生労組が制作したペンライト

吉崎  日本のアイドルグループはアマチュアからスタートし親しみを持たれる存在ですが、K-POPは非常にプロフェッショナルな踊りや歌をきちんと披露します。メッセージ性があり、グループとしてのまとまりもあります。また、推しが非常に強烈で、凝縮された組織力がありますね。

藤井  日本のアイドルのことはよくわかりませんが、韓国のK-POPアイドルのなかには大統領の弾劾を求める集会の際に、集会している現場の近くのカフェなどで大量のコーヒーやパンなどを先に決済して集会参加者に提供した人が少なからずいました。かつてK-POPアイドル女性グループの代表格であった「少女時代」のユリもそうしたアイドルの一人だったのですが、その「少女時代」のデビュー曲であった「出会い直した世界(?? ?? ??)」は、リリースから十年になる2017年頃から集会の現場でしばしば歌われるようになり、現在も一種のプロテストソングのようになっています。これは若い女性たちが集会に多く参加していることの反映でもありますが、また少女時代の人たち自身も自分たちの歌がそうやって歌われることを喜んでいるという点が大事だろうと思います。こういった相互作用のあるところにK-POPの力の源があるのかもしれません。

韓国社会の現状と未来

吉崎  朝鮮戦争について、今の大学生レベルから上の世代はどのように記憶し、教育されているのでしょうか。また、将来どのように考えているのでしょうか。

藤井  朝鮮戦争についての教育や社会的イメージは民主化以降、非常に大きく変わっています。80年代までは反共反北教育の一環として北朝鮮を悪魔化するために朝鮮戦争が利用されており、そのため朝鮮戦争を含めた現代史についての研究や教育は非常に制限されていました。しかし民主化運動とともに実証的研究も積み重ねられるようになり、単に北が南を侵略したという具合に理解している人は相当に減っていますし、米軍の空爆や韓国軍による民間人虐殺の問題も広く知られるようになっています。もちろん戦争という形で統一を成し遂げようとした北のやり方そのものに対しては批判的である人が大部分だと思いますが、それを理由に韓国政府や韓国軍、米軍がやった非人道的な行為が許されるわけではないという観点は大衆的に共有されています。

吉崎  私はゼミ生に、東京から大宮あたりの距離から先には行けないんだと言うとみんな驚きます。仙台や福島には行けない気持ちがわかりますか、その原因を作ったのは朝鮮戦争で分断を引き起こしたからですよ、と。しかし、日本としてこの問題にどう向き合うべきかという議論はほとんどありません。私の指導教授である神谷不二先生(1927-2009、慶應義塾大学名誉教授)を通じて、韓国の軍関係者と交流する機会があり、意識の違いを感じました。

藤井  そういった意識の違いを乗り越えるためには、まず日韓関係という枠を超えて物事を見ることが重要でしょう。非常戒厳の際も、日本のマスコミは日韓関係が憂慮されるとしか報じませんでした。隣国で民主主義が脅かされているのに、日韓関係が大事だというのは本当におぞましい話です。しかし、若い人たちの反応はそうでもなかったことに希望を感じます。日本のマスコミでは韓国を日韓関係という枠でしか見ない傾向が強まっています。その結果、様々な話が歪められてしまっています。例えば、徴用工問題です。日鉄で働かされていた人たちが強制労働をさせられたことは日本の裁判所も認めています。ただ日本の法律上は請求権を認められないよということで棄却されたわけですから、問題があること自体ははっきりしているわけです。だとするなら法的には解決できなくても別の手段を模索すべきでしょう。ここで重要なのは、これが労働者の権利の問題だという点です。戦時下であっても強制労働は許されるべきではありませんし、いま日本製鉄で働いている人たちにとっても、自分の会社が不当な労働行為をしたことを謝罪し賠償する会社である方が良いはずです。徴用工問題が日韓の問題とされると、日本に住む人々は韓国の言い分が通ると自分が損するように思ってしまいがちです。しかし、問題は明らかにすり替えられています。徴用工に対する賠償がなされることは、日本に住む多くの人にとってもプラスになるのです。不当な労働行為はどんな状況でもあってはならないという規範が成り立つからです。

吉崎  戦時下で、例えばカリフォルニアで日系移民が収容されましたが、アメリカはその後賠償と謝罪を行っています。このような姿勢は日本だけの問題ではなく、世界中に存在します。その中でバランスを持って見ることが東京外大の学生にとって重要だと思います。

東京外大生へのメッセージ

吉崎  最後に、先生が東京外大生に対して望むことや、こういうことに関心を持ってほしいという希望がありましたら、ぜひお聞かせください。

藤井  「日本」という枠から自由になってほしいと思います。自分は日本人なんだと自然に決めつけてしまっている人は少なくないでしょうが、それは与えられたものにすぎません。単に与えられた状況を受け入れて生きていくのではなく、外の世界にどんどん触れてみてください。東京外大はその可能性をたくさん提供してくれます。そうやって外に出たときにはじめて本当の仲間を見つけることができると思います。日本社会では仲間意識がズタズタにされていて、そのために日本という抽象的なものに頼らざるを得なくなっています。そうならないように、仲間作りをきちんとしてほしいです。そのためには、自分に与えられている枠組みを疑い、その外に出てみることです。外国に出ると、相手を外国人としてしか見ない結果、「日本人」という枠が設定されてしまいがちです。しかし、例えば韓国に行って具体的な人たちと触れ合うなかでは、その人たちが韓国人一般ではないことがだんだんとわかるようになります。そうすると、自分自身も日本人一般ではなくなっていき、具体的な人間関係が築けるようになっていきます。他者を具体的に知っていくことは自分自身を具体的に理解していくことでもあるわけで、新しい世界はそうやって作られていくのだろうと思います。

吉崎  私も全く同感です。ここ東京外大には、日本であってもさまざまな地域からの外国人がいますが、外に出て、外の世界を知り、そして戻ってきて、再び学ぶということが大切だと感じています。本日はありがとうございました。

対談の様子
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