TUFS Today
TUFS Today
特集
東京外大教員
の本
TUFS Today
について

虚学あっての実学 ?水野善文教授(サンスクリット文学、中世ヒンディー文学)インタビュー

研究室を訪ねてみよう!

今回インタビューをさせていただいたのは、大学院総合国際学研究院所属の水野善文(みずのよしふみ)教授です。ご退職のまえに、専門分野であるサンスクリット文学をはじめとする前近代インドの文学の魅力や、研究者を志した契機について伺いました。


取材担当:村上梨緒(むらかみりお)
大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻言語文化コース博士前期課程1年、広報マネジメント?オフィス学生記者

水野先生のご紹介

―――はじめに、水野先生のご所属やご専門について教えてください。

本学大学院総合国際学研究院に所属しています。地域?言語としては南アジア地域のヒンディー語を担当しており、主な専門分野はサンスクリット文学や中世ヒンディー文学です。学部の講義ではヒンディー語の他にサンスクリット語やインド文学史、インド仏教思想の授業を担当しております。

サンスクリット文学の世界

―――先生のご専門の1つである前近代インドの文学についてもう少しお聞かせください。

インドでは、古くからそれぞれの地域の口語でさまざまな民話が伝承され、各地を巡る行商人たちがその民話を語ることで多くの地域に伝わっていきました。また、吟遊詩人たちが各種の民話を組み込みながら長大な叙事詩に仕立てあげ、語り歩いて人々に娯楽を提供しました。このように人口に膾炙(かいしゃ:広く知れ渡ること)したお話をもとに、宮廷詩人も洗練されたサンスクリット語で叙事詩、戯曲作品などを編み、それを朗詠、上演することで、王族たちを楽しませたのです。

―――なるほど、そういった伝承の影響もあり、地方を超えて伝わっている民話作品もあるのですね。そんな文学研究、その中でも特にサンスクリット文学の魅力は何であるとお考えですか。

サンスクリット語で書かれた文献は多様なジャンルに及んでいるため、文献を通じてそれぞれの時代の文化的な情報を得る事が出来る点ですかね。私の研究対象は文学ではありますが、医学文献のなかに文化的背景を知らしめる情報を発見することもあります。一見、自分の研究とは関係しないような文献であっても、読んでみると自分の研究や文学と接続する場合がある点が興味深いです。

それに、何と言っても最大の魅力は、カーヴィヤ文学と呼ばれる、いわゆる宮廷文学作品にあります。美しい言語表現、掛詞、比喩などのレトリックを駆使した技巧的表現、様々な学問分野からの情報がさり気なく織り込まれた暗示表現、等々が施された詩節を鑑賞して、美しさに感動すると同時に、すべて解読できると知的快感に浸れるところですね。この魅力が、私の駄洒落好きに拍車を掛けています。(笑)

―――先生にとって研究をする意義とは何でしょうか。

いろいろとありますが、第1はインドの精神文化史を深奥まで探り、それを巷間に紹介することで日印の相互理解が深まるであろうこと、第2はインド研究を真に通時的な間断なきものとすることです。主にサンスクリット文献資料を扱うインドロジーと、近現代諸語の文献資料を扱うインディアン?スタディーズは、その言語体系の大きな差異が災いして、未だに溝が埋まっていません。幸いどちらの文献資料も扱える私は、常に、この溝を埋めるべく努力しています。

また、歴史学者?南アジア研究者であるA.L.バシャムは、インド文化史をジグソーパズルに譬えて次のようなことを言っています―「文献、芸術作品,考古的遺物などの確固としたデータがジグソーパズルのピースだとすると決して完成しないジグソーパズルであるが、点々と存在するピースの空隙を埋めて、絵として見せることが研究者の仕事である。」と。この言葉に啓発されて、一つの文化事象の歴史を探る際も、多様なジャンルの文献資料にあたることを心がけています。

先生のお人柄

―――続けて、先生のご経歴についてもう少し詳しく伺いたいです。どのような経緯で外大への進学や南アジア研究の道を志したのでしょうか。

私は長野にある「往生寺」という寺の生れで、高校までは長野で過ごしていました。父は僧侶と高校の教員を兼ねていたのですが、サンスクリット文学の勉強をしていたため、なんとなく自分もインド哲学やサンスクリット文学を学んでみようかなと考え始めました。

運良く合格できた外大に入学し、学部2年生からは大学と著名なインド哲学?仏教学者中村元先生が主宰されていた東方学院でサンスクリット語を学び始めました。

―――水野先生は本学のご出身ですが、何か学生時代の思い出があればお聞かせください。

学生時代は、サッカー同好会“外大キャッツ”に所属していました。東京都北区の社会人リーグに加盟し、週休二日制以前の時代ですので日曜日に、荒川河川敷グランドで試合をし、勝っても負けても赤羽の焼き肉屋で祝杯をあげたものです。この三月私と同じく退職する英語教育学の根岸雅史先生や、昨年退職されたフランス語学の川口裕司先生も、一緒にボールを蹴った仲間だったんですよ。

また、2年生時の外語祭では一つ上の3年生と一緒にヒンディー語劇を何年かぶりに復活上演しました。客員でいらっしゃっていたネイティブの先生が脚本を書いて下さり、私はブッダの幼少期を演じました。

それと、僧侶の資格を取る必要があったため、3年生まで3回の夏休み、そのほぼ半分の期間、修行を兼ねた僧侶養成講座(合宿)に参加しました。ですので、夏休み後は坊主頭で大学に通っていたことを思い出します。ちなみに、今の坊主頭はごく最近、ではないですね、8年ほど前からなんです。

―――夏休みなのに休みが半分だったなんて大変でしたね……東京外大を卒業後、大学院ではどのようなテーマで研究を進められたのでしょうか。

1年間の大学院浪人の後、東京大学大学院の人文科学研究科インド哲学インド文学専門課程に進学し、原實先生(1930-2021)の下でサンスクリット文学を学びました。修士論文では、サンスクリットで書かれた詩論書(修辞論、ラサ論など)の記述を基に、17世紀の中世ヒンディー(ブラジ?バーシャー)で詠まれたビハーリー?ラールという詩人の抒情詩における修辞法の分析をしました。ワープロすら登場していなかった当時は手書きだったため、清書するだけで1か月も掛かったんですよ。

―――水野先生は、大学院を修了後に留学されたと伺いました。どのような経緯なのかお聞かせください。

修士課程修了後、博士課程に進んだのですが、東京大学文学部の助手に就くため9カ月で退学しました。その後、1990年からインドのプネーに2年留学し、現地ではブラジ?バーシャーの詩作品を中心に学びました。

帰国後の1992年からは東方研究会(現?中村元東方研究所)の研究員として8年間勤務しました。同年から、その付置機関であり、私の学び舎でもあった東方学院で、今度はサンスクリット語を教える側の講師となり、現在も続けています。そして2000年に東京外大に着任し、今に至ります。

―――今年度でご退職となりますが、今後研究でもプライベートでも何か取り組みたいことなどはありますか。

途中になっている翻訳がいくつかあるため、それの刊行までこぎ着けたいですね。

学生へのメッセージ

―――学生を指導するにあたり、意識していらっしゃることはございますか

後付けかもしれませんが、教育を通して人間形成を図っているという意識を常に持っていた気もします。例えば、ヒンディー語の授業では説話集を読みますが、それを通じてヒンディー語の能力だけでなく、そこに書かれている教訓を読み取って生き方の1つの指針や糧にしてほしいなという思いがあります。

―――先生の授業では説話集を読みましたね、懐かしいです。ヒンディー語やサンスクリット語など他の大学では学べないことを学べる点が東京外大の魅力の1つだと思いますが、他にはなにかありますか。

もちろんそれもありますが、1年の頃からゼミのようなアットホームな環境で学べますので、親が我が子を見守るような気持ちで指導できる点も魅力ではないでしょうか。

―――確かにそれは小規模な大学ならではの魅力ですね。そんな学生さんに何かおすすめの本などございますか。

1つめは『バガヴァッド?ギーター』です。ヒンドゥー教の聖典のひとつということで、インドの精神について学ぶにはぴったりな本だと思います。

2つめは島崎藤村の『破戒』です。同和問題をテーマに描かれた作品ですので、多様性が重視されている現代だからこそ読むべき作品ではないでしょうか。実は島崎藤村は当山?往生寺を訪れたことがあり、『破戒』のなかにも主人公を往生寺境内に立たせるシーンがあります。藤村五十回忌にあたる1992年8月、境内のその場所に文学碑を建立しました。

3つめは『虚学のすすめ―基礎学の言い分―』白石良夫 著(2021年、文学通信)です。この本の「虚学の論理」という章ではインド哲学(?文献学)を虚学の代表として挙げつつ、虚学の重要性を説いています。本学着任当初は、自分が修めてきた虚学と外大で教える実学を、どのように折り合いが着けられるかと模索していましたが、長年本学の教壇に立ってきて、今は「虚学あっての実学」「虚学なくして実学なし」と確信しています。

―――ありがとうございます。学問の世界でも“効率性”や“実用性”ばかりが言われておりますが、虚学の重要性にも目を向けていきたいですね。最後に、学生さんへのメッセージをお願いします。

学識の深さと人間性の高さは比例するものであるというのが持論です。もちろん学識が人間性を高めるための必要条件だということではありません。知れば知るほど、未知なるものの無限性を感じ、人は謙虚になるはずなのです。本学で養われる学びの精神が、皆さんの人間性を高めてくれるのです。貪欲に学び、無限の未知を感じとってください。

インタビュー後記

今回は、入学時からお世話になっている水野先生にインタビューする機会を頂きました。今回のインタビューを通じて先生のご経歴や研究者として意識していらっしゃることについて詳しく伺うことができ、先生のお人柄についてより知ることが出来たと共に、“虚学”の重要性について実感しました。
私は現在インドに留学中ですが、水野先生が授業で紹介して下さった神話や文学の話が現地の授業で出てくることも度々あり、「どんな知識も無駄ではないのだ」と日々感じております。
水野先生、お忙しい所お時間取って下さり有難うございました!

村上 梨緒(大学院総合国際学研究科世界言語社会専攻言語文化コース博士前期課程1年)

PAGE TOP