「共同」研究のあり方:アジア?アフリカ言語文化研究所 星泉所長?山越康裕准教授インタビュー
研究室を訪ねてみよう!
学食のすぐ隣にそびえ立つアジア?アフリカ言語文化研究所——通称AA研。
キャンパスにあるのは知っているけれど、実際何をしているのか分からない、という学生も多いのではないでしょうか。いったいどのような施設なのでしょうか? AA研で研究する先生方はいったいどのような人たちなのでしょうか?
今回はその謎を探るべく、星泉(ほしいずみ)所長と山越康裕(やまこしやすひろ)准教授にお話を伺いました。
(文中では、星所長:星、山越准教授:山越)
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取材担当:国際社会学部 中央ヨーロッパ地域/ドイツ語専攻4年 上加夏未(じょうかなつみ)(広報マネジメント?オフィス学生取材班)
「共同」という意識を大切にする研究の在り方
———まず、ざっくりした質問になってしまうのですが、AA研がどういう場所なのかということを教えていただけると嬉しいです。
星 AA研は、東京外大に附置された「附置研究所」という位置付けです。全国の国立大学法人に設置された附置研究所や研究センターは合計105か所あって、そのうちのひとつですね。AA研では、アジア?アフリカの言語や歴史、文化を研究するということを目的に、研究が長い間続けられてきました。今は常勤の研究者が32人、他にも海外からお招きした研究者をはじめ、多様な研究者が所属しています。AA研は、共同研究というものを活動の1つの柱にしていて、毎年、約30件の共同研究プロジェクトを組織して、国内外に400名ほどいる共同研究員とともに研究活動をしています。
———毎年30というのはかなり多いですね! 今進んでいるプロジェクトは、例えばどういうものがあるのでしょうか。
山越 基本的には言語学と人類学、歴史学?地域研究という3つの分野の研究プロジェクトを行っていますが、なかには他の研究分野の人と一緒に進めるプロジェクトもありますね。私はモンゴル諸語を専門にしていて、アイヌ語には詳しくないのですが、アイヌ語関連の共同研究プロジェクトを組織しています。
アイヌ語の研究者だった先生が亡くなられて、その先生が生きている間に調査して取りためていた録音テープやフィールドノートなどの研究資料をすべて集めて整理し直す作業をしています。録音したカセットテープ、撮影したビデオテープがどちらも数百本あって、それらをすべてデジタル化して、許可が得られたものをオンラインで聞けるようにしています。アイヌ語話者がアイヌ語を話している声や様子が録音?録画されているんですが、ほとんどの話者がもう亡くなられているので、そのご遺族の方から公開の許可を得て、徐々にネットで公開していくという作業をしています。
——誰でも聞くことができるようになっているのですか?
山越 そうです。誰でも聞くことができるようになっていますね。
星 私はチベットの牧畜文化について深く知りたいという動機のもとに、国内外のいろんな分野の人が集まって、牧畜関連の文化語彙を総合的に調査するというアプローチで共同研究を行うプロジェクトを立ち上げまして、それから6年ほどかけて牧畜文化に関する語彙の辞書を作りました。
牧畜文化に関する研究が進んでいるモンゴルと違って、チベットの場合は仏教研究が中心だったんです。そもそも世俗文化の研究がマイナーで、中でも牧畜文化の研究は非常に少ない。お手本にできるものがほとんどないので、自分たちでアイディアを出し合って調査をするしかありませんでした。調査結果は先ほども言った辞書にまとめ、辞書と連動したコラムなども掲載した「チベット牧畜文化ポータル」というウェブサイトを作って公開しています。いろんな方に親しんでいただけるように工夫していて、日本語版のほか英語版もあります。このプロジェクトのもう一つの特徴は、漫画家の蔵西(くらにし)さんにもプロジェクトに関わっていただき、研究地域のいろいろなものをイラストで描きおこしてもらっているところです。チベットの現地の人にそのイラストを見てもらい、これは手の位置がおかしいなど、とても細かいところまで指摘してもらい再現しています。
———公開して使えるようにするまでやっているんですね。どちらも便利で、しかも面白そうなので多くの人に知ってほしいです! それに、細かいところまで気を配っているんですね。
星 はい、研究自体も現地の人とともに進めているのですが、成果公開の際にも、現地の人の視点を必ず入れるようにしています。AA研で行われている研究はだいたいそうで、現地の人びとと共につくるということをキーコンセプトにしています。
山越 AA研というのはもともとはアジア?アフリカを知るために作られた研究所で、現地のことを知るためには言語をきちんと調査しなければならないということで、さまざまな言語の基礎語彙集(辞書)作りに長く取り組んできました。辞書はこれまでは、辞書を作った人の功績として世に出ていたんですね。でも最近は、話者の権利も大事にし、現地の人とコラボしながら一緒に進めていくという流れになりつつあります。
学内外への発信へ向けたAA研の試み
———普段はAA研と学生の関わり合いはあまりないと思うのですが、現状どういうふうな関わり合いかたをしているのでしょうか。
山越 学部生とは実はあまり接点がないというのが実際のところです。研究所であるため、研究者の育成という観点から大学院生の教育が中心となっています。そのためあまり接点がなかったんですが、研究成果の公開の一環として一般向けの文化活動を行ったり、AA研の1階で研究成果を展示するための資料展示室を設けて、年に数回、展示企画をやったりしています。
——後藤絵美(ごとうえみ)助教が写真展を開催すると聞きましたが、その場所でしょうか。
星 そうですね。外語祭の時期にタイミングを合わせて開催することが多いですね。府中キャンパスに移転した2000年代から企画展示はほぼ毎年のように行なっています。
———他には何か企画していることなどありますか。
星 今年度からAA研がプロデュースする形で「TUFS フィールドサイエンスコモンズ(略称はTUFiSCo、読み方は「たふぃすこ」)」という全学的な組織を新設しました。TUFiSCoでは、AA研が長年蓄積してきたフィールドサイエンスやデジタルアーカイブに関する手法を、学内で知っていただく機会を作りたいと考えています。学生のみなさんにフィールドサイエンスの面白さを知っていただいたり、一般社会のみなさんと研究成果をわかち合ったり、といった活動を起していく場にするつもりです。この部屋は、新組織にちなんでコモンズカフェと名付けたのですが、ここも交流ができるようなスペースにしようと、こういうかたちで作りました。
———この組織を通じて具体的にやっていこうと思っていることはありますか?
星 そうですね。誰でも参加できるような、アジア?アフリカの文化などに触れられるようなイベントを開催していくということも考えています。それから先ほどお話ししたデジタルで公開することの意義や、そのことによって何ができるかというようなことを、より学内に浸透させていくためのイベントもできればと思います。
———学内向けのイベントが増えるのは嬉しいですね。
山越 映画もやります。「TUFS Cinema」が再開したので、私がちょうど調査に行っている中国の内モンゴル地域が撮影場所になっている映画『大地と白い雲』と、あとモンゴルがドイツと合同で作った作品『大地の静脈』の2本を12月に開催する予定です。アゴラのプロメテウス?ホールで上映しますので、もしよければ観に来てください。
——映画は気軽に観ることができるので、知るきっかけとしてすごく良い媒体だなと思います。
星 情報量がすごいですよね。1回観るとなにか、ある部分が今までの自分じゃなくなるような感じがします。映画というのはそういう影響力があるものですよね。
学生時代の出会いからつながる現在
——山越先生と星先生は、どうしてモンゴル語とチベット語をやろうって思われたんですか?
山越 私は東京外大のモンゴル語科出身です。今となってはきっかけはそんなに大したことなくて、受験の時にあまりほかの人が勉強していそうもない言語を学んでみたいなと思って、それならアジア系の言語かな、と。そして暑いところが苦手で、東南アジアの言語はたぶん気候が合わないかなと思い(笑)、そうするともう、当時は中国語、朝鮮語、モンゴル語くらいしかないので、モンゴル語を選びました。高校までの学習ではモンゴルといえばチンギス?ハーンや元寇くらいしかキーワードが無かったので、どちらかというと興味はモンゴルの歴史だったのですが、大学で言語学の授業を受けてその面白さを知り、言語学に進みました。
星 私は、母親が山越さんの先輩で東京外大のモンゴル語科の出身です。父はロシア語科の出身で、東京外大出身の両親の間に生まれました。2人は東洋文庫で開かれたチベット語講座に参加したことがきっかけで親しくなったんです。結婚後、母は大学に残ってチベット研究を続け、父は職を得てインドに渡りました。父は4年のインド暮らしの間に、1950年代に亡命してきたチベットの方々と親しくなっていろいろなご縁ができました。そんなこんなで、私も小さい頃から、インドで知り合ったチベットの方や来日したチベットの知識人の方がうちに訪ねてきたりして、よくチベット語を聴く環境にいました。
——なかなかない環境ですよね(笑)
山越 実は学生の時、星さんのお母様のチベット語の授業をとっていました。それで、うちの娘はチベット語がよく喋れるんですよ、というようなことを言っていて、どんな人なんだろうと(笑)、当時は全然知らなかったので。
星 身近なだけにチベットのことには全然興味がなくて、学生時代は料理雑誌の編集者とかいいなあと思っていました。なんとなくそんな感じの大学時代を過ごしていた時に、大学3年の春休みに友達からインド行こうよと誘われました。両親から、インドなら昔からの知り合いがいるから会って来いと紹介してもらったんです。そうしたら、もういろいろとお膳立てされてしまい、空港に着いたらチベット人がお迎えに来てくれていました。ちょうどチベットのお正月の時期で、一緒に過ごそうと誘ってもらいました。友達と「どうする?」と目を見合わせて、結局インドの有名な観光地を回る計画よりも、目の前の面白そうな提案を優先させることにしました。面白さを決め手にするのは学生ならではですね。そのときはブータンやシッキムなどいろいろな地域に暮らすチベット人が集結した、楽しいお正月でした。そこから、この言葉を勉強したいと思うようになりました。
——なんだか小説みたいなお話で、おもしろい出会いですね。
星 出会いと、それから自分の中でやりたいという気持ちが芽生えたり、興味が湧いたりっていうのが大きいですよね。山越さんもさっき言っていましたね。
山越 そうですね。学生当時、日本語を題材に言語学を学ぶような授業がありました。国語の授業で習ってきた活用形などが、分析をすると違ったかたちで認識できるということをそこで知ったのがきっかけで、面白いなと感じました。あとは、語学にもそこそこ情味があって、いろんな言語学を取っていたんですが、言語ごとに仕組みが違うじゃないですか。ここをこうするとこういうふうになって……という、パズルを解くような感覚があって、その面白さにだんだん気づいたんです。
——山越先生は学生時代にはモンゴルに行かれたんですか?
山越 私は最初は2年生の時に、モンゴルの大学のサマースクールに参加して、なんだか変に自信がついて、次の年に父親がモンゴルに行きたいというので二人旅をしました。モンゴルは1989年に民主化運動が始まった影響で1990年代前半はいろいろと物資が不足していた時期でした。メインストリートでも車もあまり走っておらず、不思議なところだなあと感じました。そこからだんだん近代化が進んで発展していって、という移り変わりをちょうど見ることができて、いい世代に自分が生まれたなと思いますね。
星 学生の時に見たものって、まだちゃんと分かってないからこそ心ふるえるような発見が多いんですよ。そんな探索と発見を若い時期にできるって最高ですよね。山越さんが言っているように、その時代にしか体験できないものもあって、そのときは気づかなくても、後で振り返るとすごく貴重なものを見ていたのだとわかることは多々ありますね。
——私も留学をしていて、冷戦時代とかがなんとなく羨ましいというか、その時代に行って知りたかったなという思いがあったんですけれど、今も歴史の過渡期なのかなって思いながら過ごしていました。
星 実際に現地に行くと全然違いますよね。今の時代は、女性がどんどん活躍する姿を目の当たりにすることができるのもいいですね。ヨーロッパで女性首相がどんどん誕生していたりとか。それは私たちが若い頃は見ることができなかったので、私たちは時代が大きく動いていくのを後ろから体験しているという感じがします。若い人がこの時期にそれを見るというのは、いずれ世の中を変える力になるだろうなと思いますね。
インタビュー後記
謎に包まれたように見えるAA研ですが、研究プロジェクトのお話はどれも興味深いものばかりでした。インターネット上で公開されている研究成果はどれも力が入っていているので、興味がある方にはぜひ覗いていただきたいです。この記事を通して、みなさんにもAA研をより身近に感じていただければ幸いです。
上加 夏未(国際社会学部 中央ヨーロッパ地域/ドイツ語専攻4年)