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八木久美子教授 辻静雄食文化賞受賞!

研究室を訪ねてみよう!

対象作『慈悲深き神の食卓‐イスラムを「食」からみる』(東京外国語大学出版会)

本学の八木久美子教授著『慈悲深き神の食卓‐イスラムを「食」からみる』(東京外国語大学出版会)が、第7回辻静雄食文化賞(審査委員長:国立民族学博物館?石毛直道 名誉教授)を受賞し、本日2016年7月4日10時から八芳園(東京港区)にて贈賞式が行われました。

本賞は、より良い「食」を目指し、新しい世界を築き上げる作品や活動に顕彰するものです。

日本では扱われることの少なかったイスラムの食をテーマとし、現代社会における産業的側面を含むイスラムの食を現実的な視点から語り、「食べる」という日常的な営みを通してイスラムの本質に迫る点が評価されました。

著者の八木先生にお話を伺いました。

——八木先生、ご著書で本学出版会刊行『慈悲深き神の食卓‐イスラムを「食」からみる』の辻静雄食文化賞受賞、本当におめでとうございます!

ありがとうございます。

——いろいろとこの本のことをお伺いしたいのですが、まずは、自己紹介をお願いします。

東京外国語大学でアラビア語を教えるとともに、宗教学を専門とするためイスラムなどの宗教学を教えている八木久美子と申します。

——受賞のお気持ちは?

ノミネートしていることも知らなかったので、とても驚きました。この本の趣旨は、研究者ではなく一般の方々にイスラムのことについてもっと知ってほしいという気持ちがありましたので、こういう賞をいただくことでより多くの方に読んでもらえるのではないかと思い嬉しく思いました。

——この本を書こうと思ったきっかけは?

私はイスラムが研究対象ですが、研究の中心にしているのが、いわゆる専門家ではなくて普通の信徒で一般の方です。それらの人たちがイスラムという宗教をどのように見ているか、どのように生活の中に取り込んでいるか、ということが主な研究の対象になります。普通の方は言葉にして説明してくださるということがないので、意識していない行動の中から汲み取るしかないわけです。この何年間か、普通の人が日々繰り返す消費行動、例えば食べる?服を着るなどから、イスラムの規範にあったものを買おうと思うことがあるのではないかと思い研究を始めました。その中でも「食」というのは、日々毎日繰り返されることですので、イスラムの規範にかなったものを、あるいはイスラムの規範にかなった形で消費する、ということが凝縮でして見えてくるのではないかと思いました。もう一つは、最近日本でも「ハラール」という言葉がよく知られて「ハラール認証」についての興味が高まっているので、今書くべき時かなと思いました。

——現代的、という点で意識されたこと、あるいは若者の関心への意識は何かされましたか?

本の中でも繰り返し「グローバル化」という言葉を使いましたが、「グローバル化」という言葉が一般的になる以前、イスラムが多数を占め異教徒が少ない中で暮らしていると、イスラムの規範を意識していなくても当然のように守れていました。ところが今、例えば日本にも多くのイスラム教徒の方が海外からいらしています。それというのは、イスラムの規範が主流を占めていないところで、どのようにすれば規範を守れるのか、当人たちがとても意識するようになってきたのではないかと考えました。それは、「グローバル化」以前の発想の原点と変わってきているのではないかと考えています。若い人たちがたくさんいる本学にもイスラム教徒の方がたくさんいて、生協食堂でもハラールの料理を出しています。グローバル化の最先端にいる人たちは、学業や仕事のために国外に出る若い人たちが中心になっているのではないかと思います。

——著書に込めた思いは?

食だけではなく一般的に言えることですが、日本人にとってイスラムはとても遠い宗教で、断片的な情報しか入ってこないですよね。そうすると、あれを食べてはいけない、これをしてはいけない、などの「いけない、いけない」という戒律ばかりがイスラムのイメージを作り上げてしまい、イスラム教徒になるといろんなことが堅苦しくなる、あるいはイスラム教徒の方と付き合うと大きな制約を共有しなければいけない、という遠ざけたいようなイメージができてしまっているような気がしました。しかし、私は学部学生の頃からアラブ世界に留学に行ったり旅行に行ったり調査に行ったりしていますが、現場の感覚では全然そうではなくて、例えば断食(ラマダーン)月ですと、みんな楽しんで断食をおこなっている、ワクワクしながらラマダーン月を待っているわけで、全く日本の方は想像もしていないようなところがありました。その点で、人間の姿が見えてくるような顔が思い浮かぶような形で描写することで、生きている人たちの生活の中にあらわれるイスラムを描き出そうと思いました。

——本の見どころは?

イスラム教徒の食物のタブーやラマダーン月の断食については、割とよく知られているので、逆に誤解が生じています。食物のタブーについて言えば、例えば、鳥のささみと同じくらい栄養価の高いカエルの肉を日本人が食べないのと同じように、食べないものがあるのは当然だ、ということを自分たちにふり返って同じようなことをしているのだということをわかってもらうと同時に、イスラムの食のタブーについて説明しようと思いました。また、断食についても、修行僧のようにつらいことをしているイメージがありますが、そうではなくて、ラマダーンはお祭りのようでもありますし、日中が苦しいと言ってもそれはみんなでやるから皆で夕飯のごちそうを楽しみにしながら暮らすからできることであって、皆と共有するリズムであり、日本のお正月のような祝祭であり、豊かな世界がイスラムの中にあることを描いています。

——せっかくの機会ですので、本学のことについても伺いたいと思います。まずは、言語を学ぶことの意味は端的に言うと何であるとお考えでしょうか?

どの言語でも言えることですが、英語で訳されたものが主流で日本語にまで訳されているものとなるとかなり量が減ってしまいます。日本語で情報が入らないものになると英語で訳されたものに頼るという状況です。しかし、英語に訳されたものというのは、誰かがそこで訳す価値があると判断し、当人でない人たちが選別していることになります。そうすると当事者であるその言語話者が伝えたいこととは限らなくなってしまい、生の声は入ってこなくなります。それから、訳される際は、訳者にとってスムーズな形に変えられてしまうので、例えば元のアラビア語を見ると全然違うということは頻繁にあります。当人のストレートな気持ち、伝えたいことは何か、厳密に伝えたいことは何かということは、その言葉を直接知らないと手に入れられないのではないかと思います。

——八木先生が現地に直接行って学ぶことの意味は?

言葉で表すのはとてもむつかしいですね。学生たちには、現地に行ってそこの空気を触ってきなさい、とよく言います。アラブ人というのはこういう歴史を持っていてこういう社会に住んでいてこういうルールで価値観を持って生きているということがわかっても、直接会って顔を知っていてどこに住んでいるか知っていてあの人の好物は何であの人の好きな歌は何か、ということを知っている人が実践していることにならないと、敬意を表するとか尊重するといったことは自然には生まれてこないと思います。私が困っている時に助けてくれたあの人にとって大切なものだから尊重しなければいけないな、という気持ちは自然に生まれてきますよね。だから、知識として知っているだけではなく、けんか友達でもいいですので人間と人間としてぶつかりあったり一緒に泣いたり笑ったりする経験はすごく大きいと私は思っています。

——最後に在学生や本学を目指す受験生にひと言お願いします。

この大学はユニークで多面的に学ぶことが当たり前だと思われていて、それは他の大学にはない強みであり先生方もそれをきちんと理解してそうあるべきだと接してくれますので、いろんな要求にどんどん積極的に応えてくれます。それをぜひ利用して、自分の地域を極める際に学問分野を一つに決めてしまうのではなく、その周りに広がっているような色であったり芸術であったり或いは過去に遡って遺跡に行って調べてみたり、なんでも良いので、この大学は幅広い視野で一つのことを学ぼうということを前提にしているので、それを最大限に活用したら良いのではないかと思います。

——ありがとうございました。受賞、あらためておめでとうございます!

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