シリーズ「AA研」は何をするところ?:
中東和平はどうして達成されない? ~和平の枠組みを再検討する取り組み~
研究室を訪ねてみよう!
東京外国語大学のキャンパス内にはさまざまな施設があります。そのなかで、学生のみなさんにとって立ち入る機会が少ないのがアジア?アフリカ言語文化研究所(略称「AA研」)ではないでしょうか。在学生に「謎の施設」と思われているAA研は、アジア?アフリカの言語と文化に関する国際的な研究拠点です。そこでは国内外の研究者と共同で、アジア?アフリカ地域を対象に人文学を基盤とする共同研究活動が幅広く展開されています。このシリーズでは、AA研の多様な共同研究プロジェクトの一部をご紹介していきます。
今回はAA研共同利用?共同研究課題「パレスチナ/イスラエル紛争の変容:最終的地位と新たな課題 (jrp000282)」の代表である鈴木啓之先生(東京大学中東地域研究センター特任准教授)に、この共同研究プロジェクトについてご紹介いただきます。
素朴に見えて難しい問い
この研究プロジェクト「パレスチナ/イスラエル紛争の変容」は、2022~24年の3年間の計画で、パレスチナ問題に関わるテーマを研究する学内外の研究者が集った共同研究です。「どうして平和にならないの?」という問いは、多くの人が素朴な疑問として一度は抱いたことがあるのではないでしょうか。この研究プロジェクトは、一見すると素朴に過ぎるこの疑問に、歴史学、社会学、文学、国際関係論といった人文社会学系のさまざまな学問方法を通して迫るものです。
イスラエルとパレスチナのあいだでは、1990年代から「二国家解決」と呼ばれる方式(パレスチナの土地に「イスラエル」と「パレスチナ」という二つの国家を併存させる解決策)を目指して交渉が進められてきました。日本を含む国際社会の強い後押しもあり、イスラエル政府とパレスチナ人を代表する政治組織である、パレスチナ解放機構(PLO)の交渉が始まりました。しかし、パレスチナ問題は一向に解決されず、昨今ではむしろ取り返しのつかないような深刻な事態に陥っています。当事者や国際社会のなかに、和平を妨げる要因があったのでしょうか。
オスロ和平プロセスとは
1993年9月にイスラエル政府とPLOとのあいだで署名されたオスロ合意をきっかけに始まった和平交渉を「オスロ和平プロセス」と呼びます。1994年にはガザ地区と西岸地区の都市エリコに、イスラエルの合意のもとで初めてパレスチナ暫定自治区が設置されました。PLOの幹部が、暫定自治区の統治を担うパレスチナ暫定自治政府(PA)を立ち上げ、ここから5年間の暫定自治がスタートします。この暫定期間のあいだにパレスチナの自治区は拡大し、最終的にパレスチナ難民の帰還権やエルサレムの帰属、イスラエルが占領地に建設した入植地の処遇といった重要課題(最終的地位)について話し合われるはずでした。
1995年には「オスロII」とも呼ばれた拡大自治協定がイスラエルとPLOのあいだで交わされ、自治区は東エルサレムを除く西岸地区の大部分の都市へと拡大していきます。しかし、最終的地位に関する交渉がほとんど行われないまま、オスロ和平プロセスは徐々に停滞の時期を迎えていきます。そして、2000年9月には、本格的な武装衝突である アル=アクサー?インティファーダ(武装行動も伴ったパレスチナ人による対イスラエル抵抗運動)とイスラエル軍による暫定自治区への侵攻が始まりました。数年続いた衝突の結果、交渉は完全に暗礁に乗り上げた状態に置かれました。ジョージ?W?ブッシュ大統領、バラク?オバマ大統領といった歴代のアメリカ政権が何度か交渉の再開を強く働きかけても、交渉が実体を伴って再開されることはなかったのです。
なぜ交渉は壊れてしまったのか
この研究プロジェクトでは、オスロ和平プロセスが、極言すれば紛争の解決を実現しなかった要因を明らかにすることを目的としています。よくある説明としては、イスラエルのイツハク?ラビン首相がパレスチナ人との合意に反対するユダヤ系市民によって1995年11月に暗殺されたこと、パレスチナ社会で抵抗運動組織ハマースが台頭し、対イスラエル武装抵抗が活発になったことが交渉の停滞、または失敗の要因になったのだ、というものがあります。いわば、イスラエルとパレスチナの双方の社会のなかに問題があり、それが要因となって交渉が停滞したという説明です。
一方で、和平交渉のあり方そのものが不平等で、かつ取り決めに欠陥があったのだという指摘も多く発表されてきました。特に、重要課題の交渉を先送りにしたこと、現状変更を妨げるような規定がなかったことが、構造的な欠陥として指摘されています。その結果、交渉が進展しない一方で、交渉の対象であったはずの主権や土地の所有などが、なし崩し的にイスラエル政府によって改変されていくという事態に陥りました。入植地だけに限ってみれば、オスロ合意以降も活発に建設が続けられ、入植者の人口は30年で4倍近くに増加しています。同じ期間のイスラエル総人口がおよそ1.5倍の増加ですので、入植者人口は際立って増えたと言えるでしょう。2005年にはイスラエルが一方的にガザ地区の入植地を撤去し、最大で9000人規模の入植者がガザ地区を去りました。しかし、全体的に見れば入植者人口は著しく増加していたことになります。
なぜ、いま改めて「オスロ和平プロセス」を問い直すのか
これまでも、オスロ和平プロセスの停滞や失敗を論じた研究が数多く発表されてきました。ただ、2020年にはアメリカのドナルド?トランプ大統領によって、「世紀のディール」と名づけられた中東和平プランが発表され、中東和平への関心が再び高まったことを想起する必要があります。とくに「世紀のディール」では、オスロ和平プロセスで交渉対象と位置づけられてきた最終的地位が、現状追認によって決着されるべきであるとの主張が展開されました。エルサレムはイスラエルの首都であり、周辺アラブ諸国に離散状態にあるパレスチナ難民の帰還は認められない、さらにイスラエルが建設を進めた入植地については撤去不要といった提案です。
このトランプ版中東和平プランには、オスロ合意の署名から30年を経て、さまざまな課題が「交渉不可能」とさえ言えるような厳しい現実に陥った様子が映し出されていました。すでに述べたように入植地は拡大の一途を辿っていましたし、エルサレムの帰属に関してはイスラエルが自国領として併合するばかりか、2002年に建設を始めた分離壁で物理的に自国側へと必要な土地を囲い込んだ状態にありました。また、第一次中東戦争の休戦ラインは意図的に曖昧にされ、分離壁が西岸地区全体を囲う新たな境界線になりました。さらに、パレスチナ難民の帰還や、それに替わる補償については、交渉のなかでほとんど議題として取り上げられませんでした。イスラエルによって重ねられた現状変更の結果、重要課題について交渉することは、30年前と比較してより困難になってしまったと言わざるを得ません。
新たな課題
現実が取り返しのつかない形で変容していく一方で、30年前の交渉開始の頃には想定されていなかった課題も生じている点にも、このプロジェクトでは注目しました。政治潮流の変化、アイデンティティの変容、交渉枠組みの変化に特に注目し、他にも比較の視座から検討を行うメンバーも加わりました。こうして、30年前には想定すらされなかった変化がパレスチナ/イスラエル社会で生じていることを学術的に捉え、オスロ和平プロセスそのものと現在に至る影響の検討を多角的に行うことを目指すことになりました。オスロ合意の署名から30年となる2023年9月には、大規模シンポジウムを開催し、対面?オンラインを含めて100名以上の参加者を得ました。和平プロセスの実態やパレスチナ/イスラエル情勢の現状に至るまで、さまざまな知見が共有されました。
プロジェクト参加研究者とユニット
プロジェクトのさなかに起きたガザ地区への攻撃
シンポジウムから間もなく、パレスチナ/イスラエル情勢は過去に例を見ない深刻な状態に陥りました。ガザ地区からパレスチナの武装戦闘員が越境してイスラエルの市街地に侵入し、イスラエル軍との戦闘を展開しました。そして、これを契機として、イスラエルによるガザ地区の完全封鎖と大規模な地上侵攻が始まりました。過去に例を見ない人道危機です。「どうして平和にならないの?」という、一見すると素朴であり、しかしながら社会的関心が向けられがちな問いに、正面から取り組む必要が高まっていると言えるでしょう。この研究プロジェクトでは、現状分析や歴史的視座からの考察によって、この難問に取り組んでいます。
文責:鈴木啓之(東京大学中東地域研究センター?特任准教授、東京外国語大学アジア?アフリカ言語文化研究所共同研究員)