TUFS Today
TUFS Today
特集
東京外大教員
の本
TUFS Today
について

たふえね×教員:地域の声で紡ぐ世界~環境課題の今~ 古川高子特任講師(ヨーロッパ近現代史、社会史)インタビュー

研究室を訪ねてみよう!

現在、世界の大きな課題となっている環境問題。環境保護の思想が現れる背景は時代によって変化しますが、昔から議論の的となり、大きなうねりをおこし、人々を動かしてきました。

環境保護思想が様々な背景や勢力からあらわれ、ときに異なる主張をもつ人々をまとめる原動力となる…あなたもその興味深い系譜に触れてみませんか?

本学の環境系学生サークル「たふえね」が、学生に世界各地域の環境問題について興味関心を持ってもらうことを目的に、各地域の担当教員へのインタビュー企画を立ち上げました。第1弾ではドイツ、オーストリア地域を専門とする古川高子先生にお話を伺い、記事としてまとめましたのでお届けします。

-

インタビュアー

  • 森 円香(国際日本学部4年)(たふえね)
  • 宮下 希彩(国際社会学部 東南アジア地域/タイ語 1年)(たふえね)

取材?執筆

  • 堀 詩(言語文化学部 英語3年)(広報マネジメント?オフィス 学生広報スタッフ?学生ライター)

青年運動(ワンダーフォーゲル)の始まり

皆さん、ドイツで起こった「ワンダーフォーゲル」を知っていますか。都市化?工業化を背景に、労働環境や自然破壊などの社会問題が議論されるようになった19世紀末、自然や自由を求めた若者たちが始めた青年運動のことです。この運動は時代とともに盛り上がり、1913年には各地の学生団体が集まって政治や国の未来について議論する大会が開かれるほどになりました。

運動に携わった数多くの若者は第1次世界大戦の際に戦場に送られましたが、この戦争を体験した彼らの一部は政治家や軍人となって青年運動を政治化?軍事化していきます。敗戦後の軍事力制限により国が弱体化したと考えたワンダーフォーゲル諸団体は、その打開策の一環としてドイツの東方に査察旅行を行いました。査察を通して彼らは「ドイツ国民?ドイツ国家の役割ってなんだろう?」「それらと自然はどう関係しているのだろうか」と考え始めるようになるのです。そして、このような学生たちの期待に応えたのがナチだったともいえるでしょう。

ベルリンのワンダーフォーゲル(1930年頃の写真)(ドイツ連邦映像文書館所蔵)
ハイキングを楽しむ様子(1931年)(ドイツ連邦映像文書館所蔵)

ドイツの環境政策を語る上で無視できないナチの存在

ナチは、人間の行動や文化様式はその自然環境によって決定され、それが遺伝するという環境決定論も信じていました。実際に「アーリア人の理想的特徴(金髪?碧眼)」を持つスラブ系の健康な子どもを誘拐して、衣食住や言語を含めドイツ化された環境でドイツ人として育てたという事例もあります。こうしたナチの思想に賛同する元青年運動従事者が中心となってアウトバーンや東部併合地域の景観造営構想を実践していったのです。さらに1935年にはドイツ全体を対象とした世界初の「自然保護法」が制定されます。ナチにとって自然保護は、ドイツ人の存続?繁栄のために非常に重要な要素でした。ナチ思想に基づく政策と実践は恐ろしいものでしたが、ドイツの環境政策の歴史を語る上で、ナチの果たした役割を無視することはできません。

優生学に基づく右派の自然保護観

ナチに流れる自然保護の思想を文章化した一人に、オーストリア?ザルツブルクの森林官?作家であり、非合法オーストリア?ナチの党員でもあったギュンター?シュヴァブがいます。産業の進歩による環境破壊をテーマとした小説『悪魔とともに踊るDer Tanz mit dem Teufel』(1954)はベストセラーを記録し、右派エコロジストの古典となりました。その本では「進歩の結果、遺伝素質が破壊され、汚染され、傷つけられている。貧困と完全な退化のなかで人間は消滅するだろう」と書かれており、ドイツ人の遺伝子が絶たれることを危惧するナチの思想とのつながりが見てとれます。彼は1958年にザルツブルクで「生命保護のための世界同盟」を立ち上げ、1960年にはドイツ支部を、その後日本含め32か国に支部を設立しました。ドイツ支部ではナチの優生学医だったグメーリンを支部長に立て、シュヴァブ自身は会長として活躍しました。

社会的弱者にこそ光を—対立する左派の環境保全

続いて、左翼について説明します。1949年に西ドイツ?東ドイツがそれぞれ国家として成立し、西ドイツは1955年に北大西洋条約機構(NATO)に加入しました。その時期以前から始まっていた核兵器の持ち込みへの反対運動は主権を回復した後も続き、若者たちが中心となって各地でデモやストライキを行いました。 学生運動は1968年にピークを迎えますが、73/74年の石油危機を経て、財政面でかなりの負担を強いられた国家が福祉予算を大幅に削減したことに対する反対から「新しい社会運動」が広がっていきます。福祉予算の削減はすなわち貧富の差の拡大を意味します。例えば高齢者、母子家庭、障がいにより働くことが難しい人にとっては深刻な問題です。これらの出来事からわかるのは、シュヴァブに賛同する右派が優生学に基づき「弱者が蹴落とされるのは当然のこと」だと考える一方で、左派は「社会的弱者こそ救わなければいけない」と考えていたということです。

少々脱線してしまいましたが、環境政策に話を戻しましょう。石油危機から約3年後の1978年ドイツ各地の州議会選挙では「緑のリスト」といった名称を持ち、議会外運動を行っていた環境保護団体から立候補者が現れます。この団体は79年に州レベルで、80年に連邦レヴェルで「緑の人々Die Grünen(=緑の党)」として政党化され、83年の連邦議会選挙で30弱の議席を取り、以降拡大していきました。緑の党は環境問題だけではなく、女性の権利も重視し、マイノリティやこれまで社会の中で認められなかった人々に光を当て、社会に参画させていこう、という思想を持っていたわけです。この思想は、産業発展のための「資源」として搾取され虐げられてきた自然を守らなければいけない、という自然保護の考えにもリンクしています。

現在、多くの人が経済成長は豊かな生活のために欠かせないという考えを持っていますね。でも彼らは違う。経済成長が万能なはずがない、それよりももっと成長が必要な場所、例えば公共交通をさらに広げていくべきだと考えついたのです。各人がそれぞれ自動車を持つよりは、みんな同じバスで移動した方がエネルギーの節約や二酸化炭素排出量の削減に貢献できる。リサイクル業や廃棄物経済を促進する企業に投資をし、環境保護を通して雇用を生み出す。このようにして、今までの資本主義的な経済をエコロジー的に近代化していこうという思想が生まれてきました。

都市と地方をめぐる原子力発電の問題

オーストリアの原子力行政についても触れたいと思います。基本的に、原子力政治を推進するのは社会民主党らの社会主義勢力です。マルクス主義の思想では、経済成長を経て社会が豊かになって初めて革命が起きて社会主義社会が実現されるとしています。だから産業発展は彼らの理想の実現のために必要な要素なのです。例えば、当時のオーストリアは水力発電が中心でしたが、原子力を導入すればさらなる産業発展が見込めたので原発建設を進めました。しかし、いざ建設となると、今度はそれに反対する人々が現れてきました。そもそも、原子力や火力発電所の建設を構想するのは都市部の政府ですが、実際にそれらが建設される場所は地方の田舎町です。よって、環境問題に加えて地方と大都市の経済的格差やその生活スタイルの違いも対立の種になります。最終的には、自分の暮らしている環境をまず護るために右派も左派も政党も超えて、地方は地方でまとまろう、とにかく連邦政府の政策反対という政治運動が起こったのです。

1978年のオーストリアにおける原子力利用反対の国民投票時の反対運動側のロゴ(左)と実際に使われた国民投票用紙(右)

例として、1960年代の初めから70年代に起こった、フォーアールベルク州との国境に近いスイスのリューティに建設される予定だった火力?原子力発電所に対する反対運動を紹介しておきましょう。フォーアールベルクでは建設反対運動が州全体に拡大し、メディアも含め、住民全体で激しく抗議する状況が生まれました。反対署名を集めて発電所建設の差し止めを要求するなどして連邦政府にも圧力をかけ、結果的にスイス政府は建設を無期限に延期し、後に中止することになりました。市民運動が大きな成果につながった一例とも言えます。その後ウィーン近郊でも原子力発電所が建設されますが、政治的傾向を超えて反対運動が起こり、1978年には国民投票が行われた結果反対多数となり、以降オーストリアでは原発は建設?稼働されないことになりました。

建設される予定だったスイス?リューティの原発のモンタージュ写真

左翼化する緑の党と「最後の世代」

話をドイツに戻します。1986年にチェルノブイリ原発事故が起こると、環境問題がよりクローズアップされエコロジー的近代化の思想がさらに強まりました。すると他の政党も次々に環境問題に取り組むようになり、緑の党という政党の特徴だった環境政策が一般化するという問題が生まれました。元々は右派の環境保護運動から始まった緑の党ですが、票を獲得するために「新しい社会運動」出身の左派とも手を組み協力するようになっていきます。つまり、環境に対する考え方以外は正反対の主義?主張を持つ右派と左派の議員が同時に存在する1つの政党が生まれたということです。実際のところ、全体の傾向としては「新しい社会運動」に従事した学生たちが官僚となって環境政策を発展させたこともあって、緑の党は左翼化していることは間違いないのですけれど。

現在ホットな話題といえば「最後の世代」と名乗る環境団体でしょう。彼らは自分たちを、地球全壊を止めることができる最後の世代だと考えており、ハンガーストライキや道路での座り込み運動など過激なことをして、政府への不服従を示し自らの要求を認めさせようとしています。具体的には、パリ協定の1.5℃目標の達成のために、カーボンニュートラル(石炭?石油?天然ガスの利用を2030年までにやめろ!)を訴えるといったことを主張しています。この団体には9歳から70代までの人が加わっているそうです。実現できなければ最大限に公共の秩序を壊す、と宣言もしていて、滑走路で座り込みをしたり道路に手を張り付けたりする彼らの過激性は度々話題に上っています。

現在与党と連立を組むこともある緑の党は、公共の秩序を乱し大勢に迷惑をかける「最後の世代」の活動に反対しています。しかし、政党が保守化していくと、こういう過激な運動が出てくるのはよく起こることですね。また、経済成長が万能ではないとか、エネルギー原料を節約しなければならないといったことは、実は80年代からずっと言われていることですので、その時代を生きてきた私としては、今も昔も言ってること、やってることはそう変わらないなと思っています。ですが、環境問題の深刻度が増しているのは間違いない。例えば地下倉庫など地下を活用している家が多いオーストリアでは、予期せぬ豪雨で全て水没してしまうことだってあるのですよ。直接生活に被害が出ると、これはもう他人事ではありません。環境問題については政治家や運動家だけではなく「ふつうの人々」も考えざるを得なくなっている。それゆえ「自らの環境を護る」という視点から議論を重ね、行動を起こさなければならない、と思っています。

【おすすめ書籍、映画】

  • 『エコロジー』(1992)アンナ?ブラムウェル、金子務訳.河出書房新社
  • 『サイエンス?ウォーズ』(2000)金森修.東京大学出版会
  • 『ナチス?ドイツの有機農業:「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』(2005)藤原辰史.柏書房
  • 『イエロー?ケーキ クリーンなエネルギーという嘘』(2010)ヨアヒム?チルナー
  • 『ドイツ環境史』(2014)フランク?ユーケッター、服部伸?藤原辰史?佐藤温子?岡内一樹訳. 昭和堂
PAGE TOP