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「違う世界を知る」イリス?ハウカンプ講師インタビュー

研究室を訪ねてみよう!

1920年代から1950年代の日本映画を専門に研究をおこなっているイリス?ハウカンプ講師(世界言語社会教育センター)。2020年11月には、日本とドイツの共同制作映画に焦点を置いた ”A Foreigner’s Cinematic Dream of Japan”を出版しています。今回のTUFS Todayでは、イリス?ハウカンプ講師の研究室にお邪魔し、先生の学生時代や日本映画の研究についてお話を聞きました。

インタビュー?取材担当:言語文化学部 英語/北アメリカ地域4年 上塩未久(かみしお?みく)さん(広報マネジメント?オフィス学生取材班)

——ハウカンプ先生のドイツの故郷と、子供時代について教えてください。

ドイツの西部にあるとても小さな町で育ちました。町の規模は村と町の間くらいでしょうか。私が幼い頃はドイツ再統一がおこなわれていた時期でした。私がいたのは西ドイツでも真ん中の方で、工業が栄えていました。といっても田舎だったので、野原が広がっているただの小さい町でした。でもあの場所で育って良かったと思います。静かできれいな場所でしたので、小さい頃はほとんど外にいましたね。ドイツの学校は早い時は午後1時には下校します。放課後になると、私は友達とずっと外で遊んでいました。何をしていたかははっきり覚えていないです(笑)。文化施設や大きいイベントは何もなかったので、博物館や美術館、映画館がある東京で育つのとは違うものですが、楽しかったですね。とても静かな、ごくごく普通の田舎の子供時代でしたね。

——ハウカンプ先生の故郷のドイツから、英国のロンドン大学東洋?アフリカ研究学院(School of Oriental and African Studies, 通称SOAS)に進学しようと思った理由を聞かせてください。

今までと違う場所で暮らして、自分の生活や人生がどう変わるのかとても気になったんです。幼い頃にヨーロッパをよく旅していたのですが、博物館やお城のような、観光で行くところにはあまり心惹かれなくて。むしろ、その場所で人々は毎日どんな生活をしているのか興味がありました。その頃から、故郷と違う場所で暮らして、違う世界を見てみたいといつも思っていました。

そして何より、SOASは私の学びたいことを学ぶのにもってこいの場所でした。日本の文化、社会、歴史について学べる授業もあって、それを専門とする先生方もいらして。自分にとってぴったりの大学だと思いました。大学の規模が小さかったことも理由のひとつです。規模の大きな総合大学ではなくて、東京外大と同じくらいでした。規模が小さいと専門分野に特化しているので、集まる学生もとても面白くて、いつも刺激を受けていました。先生も学生も、専攻する分野にかける情熱がすごくて、皆それぞれが本当に興味を持っていることを追求していました。

——ロンドンでの学生生活はいかがでしたか?

私の故郷はバスも通っていないようなところでした。電車の駅はあっても、2つしか路線がない場所です。そんなところで育った私が、突然ロンドンの中心街に引っ越してくるんです。まず生活のペースの違いに慣れていくのが大変でしたね。ものすごく大きな街ですし、SOAS自体もロンドンのど真ん中にあります。留学したことのある学生の皆さんにはわかると思うのですが、違う国で生活するとなると、ほんのちょっとしたことでもわからないことだらけです。銀行口座の作り方や、どこで安く野菜を買えるか、といったことですね。それだけでなく、英国の人たちはどこで靴下を買い揃えているんだろう?と、私はいつも思っていました(笑)。

——大学で大変だったことや、印象に残っていることを教えてください。

勉強の仕方や学習の規則がドイツと違う点が多くて、苦労しました。特にレポートを書く時の規則が、ドイツで習ったものとは違いました。より少ない脚注で、文章も短くしないといけませんでした。プログラムを選択した1年目の頃は特に大変でしたね。あとは、予習などで読む文献の量が本当に多くて、慣れるまでとても苦労しました。東京外大のように、授業をいっぱい取る必要があるという訳ではなく、数自体は少なかったのですが、1つの授業につき予習する文献が最低でも3つありました。大抵1回読み通しても内容がわからなかったんです。文献ひとつを理解するために、図書館で本を探して読んでいたので負担が大きかったですね。良い成績を取りたかったのもあって、猛勉強の日々を送っていました。とっても大変でしたが、たくさん読み通して考えて、他の学生と議論する時間があったので、毎回の課題に没頭することができました。私はこの時間が大好きでした。さらに素晴らしいと思ったのは、周りの学生に恵まれていたことです。私を含め、皆一生懸命でしたので、お互いよく助け合っていました。意見交換をしたり、資料を共有したり、レポートを読み合ったり…。一緒にロンドンのパブに行って息抜きをすることもありました。SOASでの学生生活は大変でしたが、とても楽しかったです。自分の違う世界について知る絶好の場所でしたし、いろいろな国から来た面白い人たちにも出会えました。ここでの経験を通して、自分の視野が広がったと思います。

——ハウカンプ先生が日本学とジェンダー学に興味を持った理由はなんですか?

それが、日本学については…はっきりとした理由がなくて(笑)。訳もなく違う国に魅力を感じることって、ありますよね。私の場合、それが日本だったんです。私はただ、違う世界にいる人たちが、実際にどんな生活をして、どんな世界を見ているのか興味がありました。その場所をとりまく今日の状況と、今に至るまでの歴史もそうです。それを知って、「私たち人間とは」という問いを理解しようと考えています。とても漠然としていて大きくて、哲学的な命題なんですけど。でも、同じことに対して人それぞれの捉え方があって、その観点が必ずしも正しいと言い切れないなんて面白いと思いませんか? 他者の捉え方を知ろうとすることで、私たちが人としてどうあるのかをもっと理解できるようになる。日本について学ぶことで、このことについて考えていました。

ジェンダー学も同じような理由です。ジェンダーは人生の経験に関わってくる大きな部分だと思います。男女格差がある状態で社会の多くも動いていますし、言語でさえもジェンダーの格差がありますよね。その格差をいろいろな人がどう経験して、どう捉えてきたのか興味を持ちました。それに、日本学とは違った理論的なことを学びたくて、修士課程で選択しました。英国の修士課程は1年間だけでしたので、やることが多くて大変でした。それに日本学とは違う形で、論理的な思考が必要でした。慣れるまでは難しかったですが、仕組みがわかってくると、物事をより広い視点で見られるのでとても有益でした。

——日本映画を研究し始めたきっかけを教えてください。

SOASで日本映画の授業を受けて、強く心を打たれました。私が最初に見た日本映画は『7人の侍』(黒澤明監督,1954年)で、大好きな作品です。本当にいい映画で、よく作られていて。とても長いんですけど(笑)。でも私が特に面白いと思ったのは、人が映画をどうやって研究しているのか、ということです。映画が作られたきっかけや、作品公開当時の社会的な背景との関わりを見たり、観客がどんな感想を抱いたのかを調べたりするのが本当に魅力的なんです。最初は研究としてこういうことができるとは思っていなかったんですけどね。大学時代の私の恩師がこのやり方で映画を教えていて、とても興味深いと思いました。日本映画を通じて日本のことをより理解できるようになり、さらに日本についての学びも深まる。そして、それがさらに日本映画を見る動機になる。この繰り返しですね。私が日本映画について研究を始めたのは、ここに素晴らしさを見出したからです。

——ハウカンプ先生の模擬授業を受けたとき、「映画って研究できるものなのか!」と驚いたことを思い出しました。芸術というより、娯楽として映画を捉える人が多いからですかね。

そうですね。誰かが文学を研究していると言うと皆当たり前の反応をするんですけど、どうも映画となるとほんの少し違うような…。私にとっては不思議なんです。古典的な文学作品でも、当時は多くの人に読まれていた大衆向けのものだとしても、今では真面目に学問として学ぶことができるじゃないですか。映画でも同じことができるから、文学であろうが映画であろうが、大きな違いはないと私は思っています。

——ハウカンプ先生は、1920年から1950年代の日本映画を対象として研究していますよね。現代の日本映画との違いがとても大きいと思います。先生はその違いをどのように捉えていますか?

私は歴史的なものに心惹かれるタイプの人間なので、昔の映画が面白く感じます。あくまで個人的な感覚です。もちろん、現代の映画作品で間違いなく面白いものはありますからね。でも現代の作品は、同じスピード感で、同じような人物が出てきて、どれも似た内容の映画が多いと時々感じることがあって。これで産業がうまく回っているので、制作会社もこの方法を繰り返しているんだと思います。もちろんすべての作品がそうという訳ではありません。日本の映画史を振り返っても、多くの映画人は過度に冒険的ではなくて、実験のようなこともあまり好んでいなかったからだと思います。といっても、初期の頃は決まった作り方がなかったので、もっといろいろなことに挑戦していたのだと思います。時代劇のジャンルは1930年代にはありましたが、今のようにジャンルや売り出し方がはっきりと決まっていないから本当に面白くて。1930年代と1940年代は政治との関わりが特に強いですし、1950年代は戦後でアメリカからの影響も大きいので、とても興味深いんです。

いま、主要映画館で公開されている作品は、人々の生活や抱えている問題を描いているのに、見てみると現実的なものが少ないように思えるんです。高齢化社会や地域過疎化など、日本はたくさんの社会問題を抱えているのに、映画では若者の恋愛が描かれていて…。日本で暮らす多くの人にどう関係しているんだろう?と思うことがあります。もっと描くべきことはあると思うんですけどね。でも、『カメラを止めるな!』(上田慎一郎監督, 2017年)のように実験的な作品もあるので、これからどんどん面白いものが出てくることを期待しています。

——少し難しい質問かもしれませんが…。ハウカンプ先生にとっての日本映画の面白さを教えていただけますか?

日本の映画産業は世界でも最大規模で、長い歴史があるということです。調査できることや、新しい発見がたくさんあって研究のしがいがあります。その証拠に、とても多くの資料が残っているんです。多様な映画作品に加えて、映画の広告や批評、ファンレター、脚本などの文献が残っています。目を通しているだけで楽しいんです。日本は昔から、映画について考えて、その考えや感想を書いて残す伝統的な文化があるんですよね。だから研究材料には困らないんです(笑)。多すぎて怖いと思うこともあります。

——一昨年、本を出版されていましたよね。現在進めている研究や今後おこないたいことについてお聞きしたいです。

そうです、この本が出ました!じゃ~ん!

1930年代後半に日本とドイツが共同で制作した映画の歴史をこの本にまとめています。戦争のあった時代ですので、政治的側面がとても大きな関わりを持っています。中でも私は、制作に参加した個々の映画人が、言語の違いや文化の衝突といった困難な状況で、どのように交渉して折り合いをつけていったか、という点に注目しました。そこで、共同制作に関わった人々が持つ別の動機や背景を明らかにすることを試みました。歴史はその時を生きた人々によって作られますし、その時代に違う文化や背景を持つ人同士がどんな経験をして、どう関わり合っていたかとても興味を持ったんです。もちろん戦争やプロパガンダといった側面もあるので、少し重たい内容でしたが、面白くてとてもやりがいのある研究でした。

”A Foreigner’s Cinematic Dream of Japan”出版の際の会見の様子

現在も、1930年代の共同制作に焦点を当てて研究しています。ある脚本家と監督の8人のグループが対象です。京都で活躍していたとても若い映画人で、時代劇を作っていました。でも、彼らの所属する会社はそれぞれ違っています。さらに、実際は8人のグループなのに、「梶原金八」という一つのペンネームで活動していたんです。「梶原金八」の作品はあっても、名前の人物は実在していない。それでも観客は梶原作品を気に入っていて…。実際に、8人のメンバーは、「梶原金八」としての共同制作だけでなく、個人としての制作もおこなっていました。そこで私は「梶原金八」と、彼ら個人の作品の違いに興味を持って、調査しています。違いは何か、それぞれの作品がどう影響し合っているのか、「梶原金八」として成し遂げたかったことは何か…。メンバーが8人なので、8人分調査することになりました。加えて、1930年代後半は日本に限らず、世界的にも共同制作の映画が多かったんです。「梶原金八」の8人はそういった海外の作品も見ていたのか、何かで読んで既に知っていたのか、ということも調べたいと思っています。彼らの日本国内での制作に限らず、よりグローバルな視点から研究を進めていく予定です。

——最後に、東京外大生や受験生の皆さんにメッセージをお願いします。

東京外大はとても特別な学びの場です。学生の皆さんは自分が持つ興味や、どうしてもこの場所がいい!という強い理由を持って、この大学にいるのだと思います。もちろん、学び続けているうちに、今まで目を向けていなかったことに心が惹かれることもありますからね。とにかくいろいろなことに興味を持ち続けて欲しいです。素敵な先生方や面白い学生がたくさんいますから、みなさんが持っているチャンスを存分に活かしてくださいね。もし行き詰まったら、自分の本当に興味があることや、この大学で学ぼうと思ったきっかけを思い出してみてください。悩んでいる時は一人で抱え込まず、私たち教員を頼ったり、周りの仲間と助け合ったりしてくださいね。

受験生の皆さん、自分が興味を持っていることややりたいことを明確にして、もし時間があるなら探求してみてください。行きたい大学の授業や先生のことを調べると面白いかもしれませんよ。自分が大学で勉強したい理由をはっきりさせることが大切だと思います。頑張ってください!

インタビュー後記
ハウカンプ先生の明るく落ち着いた人柄のおかげで、とても楽しく有意義なインタビューとなりました。ハウカンプ先生がロンドンへ進学した理由が、私が東京外大へ入学したきっかけと似ていたので親近感を持ちました。また、先生の学生時代のお話や、映画を研究するきっかけをお聞きして、自分が東京外大に来たきっかけを思い出しました。残されている時間は少ないですが、東京外大でのチャンスを活かして、これからもいろいろなことを学び、経験し、違う世界をたくさん見ていきたいと思います。
ハウカンプ先生、ありがとうございました。
上塩未久(言語文化学部 英語/北アメリカ地域4年)

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