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「都市のオーストラリア先住民」山内由理子准教授インタビュー

研究室を訪ねてみよう!

東京外国語大学では「Black Lives Matter 運動から学ぶこと―多文化共生、サステイナビリティについて考えるために―」と題し、2020年10月から連続セミナーを開催しています。

この企画に連動して、BLM運動に関心を持つ本学大学院博士前期課程の大学院生?豊坂竹寿さんが、セミナー登壇者などにインタビューを実施しています。「インタビューから、講演や授業を聞くだけでは分からない、『研究者たちが研究や人生を通じて、差別や格差、異文化とどのように向き合ってきたのか』という軌跡をたどり、私たち学生が自分たちの未来を考えるための「種」となるような記事を作りたいと思います」と意気込む豊坂さん。

第2弾は、連続セミナーの第4回で講演いただいた山内由理子准教授へインタビューを行っていただきました。

左:山内先生 右:豊坂さん

オーストラリア/文化人類学との出会い

——文化人類学とは、どのように出会われたのですか。

私は学部時代、東京大学法学部に在籍していました。法学部は基本的にマスプロ(大人数講義と試験)です。さらに体育会にも入っていて、本当にそれだけで学部の生活は終わったような感じがしていました。4年生になるあたりで、全然勉強らしい勉強をせずに大学が終わってしまったという想いがすごくありました。また私のいた私法コースでは解釈法学が主流で、「この法文をこういう風に解釈するのが基本なんだ」という議論になり、なぜ我々はこういう風に考えるのか、ということを問わないんです。もうちょっとそのあたりを考えたいと思っていました。それで社会科学に興味を持ち、ある先生にお世話になりつつ、学士入学するか大学院に進学するか迷いましたが、文化人類学の大学院に進学することになりました。すごく漠然とした、もっと勉強がしたいぐらいのつもりで院に入ってしまったので、なかなか研究テーマが見つからなかったですね(笑)。

——なぜオーストラリアをフィールドに選ばれたのですか。

本音を言いますと偶然なんですよ(笑)。文化人類学ってフィールドがなくてはいけないんですよね。私はなかなかフィールドを決められなくて、世界のあちこちをふらふらしていました。そんな時、ある人にオーストラリアに行ってみればいいじゃん!と言われて行ってみて、オーストラリアの大学の先生と話して決めました。

——フィールド選択の中で、決め手になった理由などはありますか。

やっぱりタイミングですかね。そろそろフィールド決めないとまずい時期になってましたし(笑)。それから、研究テーマが見つかったということもあります。私はオーストラリアの先住民を研究するのであれば、「都市の先住民」のことをやりたいと思ったんですよ。
オーストラリアの先住民の状況に関してはいわゆる南北問題、North South Divideがすごく大きいと言われています。オーストラリアにイギリス系の入植者がやってきた時に、彼らがまずやってきたのは今のシドニーの付近なんです。皆さんがオーストラリアで知ってる大きな都市、シドニー、メルボルンなどは、大抵オーストラリアの南の方です。そのあたりがオーストラリア大陸の中で温暖な地中海性気候なんですよ。それに対して真ん中は砂漠ですし、北の方は熱帯ですし、そういう所は入植者が来たのも比較的遅く、入植の仕方も人数的にまばらでした。そのため、中部や北部の先住民には、私たちが「アボリジニ」だとイメージしやすい言語や習慣がわりとよくみられるので、その結果、先住民というと、どうしてもその地域に住む先住民の人たちのイメージになってしまうんですね。
でも私は、それっておかしいと思いました。今生きてる人間というのはやっぱり都市に出てきますよね。もちろん全ての人が都市に出てくるわけではないですが、教育や仕事など、いろんな理由で都市に出てくるというのが、現代を生きてる人間に結構多くあることじゃないですか。そう考えると先住民だって今を生きている人間で、都市に出てきている人たちがいないわけがないですよね。
それから私が人類学をやり始めた時は、オリエンタリズム批判が真っ盛りだったんです。従来の「エキゾチック」とされたものを「エキゾチック」なものとして描く。そういうものに対する反発がすごく強かったですね。そういう中で、ティピカルではないものもあるという反発心がありました。

シドニー大学での卒業式。指導教官のゲイノア?マクドナルドと(2008年)

都市におけるオーストラリア先住民研究

——どのように研究を進められたのですか。

私が研究を始めたときに、都市の先住民に関する研究はほとんどありませんでした。何がどうなってるのかもほとんどわからない。都市の郊外でやった研究もほとんどなくて、もう本当に数少なかった。さらに都市の研究として数少ないものがあるといっても、都市の中心部なのか都市郊外なのかによって事情は全然違ってきます。さらに都市に住む先住民たちは、必ずしもまとまって住んでるわけではないので、そこに住めばなんとかなる、先住民の知り合いが一人できればなんとかなる、というものでもありませんでした。そのため、先住民の学校での集まりや、地方議会の集まり、いわゆる先住民専門のヘルスケアワーカー、そのような人たちの集まりの場に、できるだけ顔を出して調査していました。その集まりの中で、「先住民とはなんぞや」ということが都市に出ている先住民たちの中ですごく大きな論争の的になっていました。その人たちが問題にしている以上、私も取り上げざるを得ないと思って研究しました。

2014年に今の調査地のBroomeでとったもの。左からBernadette, Jo-Anne, 私、Anthea, Sandraとなります。Jo-AnneとSandraは日本人の子孫でもある。

——都市空間で現代人として生きていく一方で、自分たちが持つ先住民というアイデンティティは何だろうという問いが、先住民たちの中から出てきたということでしょうか。

むしろ、彼らに対する収奪の歴史が積み重なったと言った方が正しいと思います。先住民の中には、他の非先住民とのミックスもたくさんいます。入植の歴史の中で、開拓者たちには特に女性が少ないですから、先住民の女性が性被害にあったというような歴史もあります。開拓が一段落した後も、先住民の人が非先住民の人と結婚する、一緒になるようなことも多くありました。そして都市にいる先住民の生活空間も、非先住民のワーキングクラスの人たちと大きく重なるわけです。また、「盗まれた世代(The Stolen Generations)」という、先住民の子どもを連れ去って、収容所や施設に送った歴史があります。そういう人たちが後から自分の先住民のルーツを見つけて戻りたいと言ってくる場合もあります。でもそういう人たちと、自らを先住民としてアイデンティファイし続け、他に選択肢がない状態で差別され続けた人たちとでは、往々にしてライフスタイルや考え方が全然違ってしまうということはよくあることです。肌の色からもわからないことって多いわけですよ。さらに、先住民であるということをあえて隠して生活してきた人たちも多くいます。いろいろ理由があって、先住民だとわかると子供を連れ去られてしまうかもしれないから隠し続けてきた人たちもいますし、先住民として差別され続ける生活が嫌で、先住民ではないふりをして生活(パッシング)してきた人々もいます。今、そういう人たちのルーツを引くという人たちが、「先住民です」「私は先住民のルーツを引いてるんです」と言って、先住民の集まりに来ることがあるんです。
でも都市に住む先住民の中でマジョリティの人たちというのは、シドニーのあるニューサウスウェールズ州や、その隣のビクトリア州、クイーンズランド州など、田舎の町から来た人が多いんです。田舎の町は、先住民の世界とホワイトの世界が結構はっきりと分かれていて、一滴でも先住民の血が混じっていることがわかったら、先住民の側に追いやられるような世界だということが、研究でも本人たちの話からでも言われています。そうやって「先住民」というグループとしてやってきた人たちは、わかりやすく先住民としての言語をしゃべっていたりはしなくても、自分たちのルーツがわかってる人たちが主流派なんです。その人たちにとっては、先住民として自分たちの親族とつながっていることが先住民であることだ、という考えが強くあります。そういう人たちからすると、先住民じゃないようなライフスタイルをずっとしていて、自分は先住民だと言ってくるようになった人に対して、どのように接したらいいのか非常に難しいというところがあります。こういう人たちが出てきた歴史を知っているので、排除したくはない一方で、自分たちの「仲間」だとみるのには非常に難しい相手もいます。先住民においては「親族」へのコミットというのが非常に重きを置かれていますが、この親族へのコミットというのは簡単なものではないということがあまりわかっていない人たちもいたりします。
さらに最近では、先住民にはいろいろな「特権」があるとされています。むしろアファーマティブアクションのようなものなのですが、先住民のための奨学金があったり、公営住宅に入れたり。その「特権」とされているものを利用するために、先住民じゃない人が先住民としてやってきたのではないかという疑いもあるんです。そういう話が入り乱れる中で、あいつ本当は先住民じゃないんだという話が、喧々諤々と出てくるわけですね。

——非常に難しいテーマですね。

正直、アボリジニの人たちが内部でお互いのことを非難し合ってるっていうことを、私はあんまり書きたくなかったんです。もともと彼らに対する差別がすごくある社会でしたし、私は彼らに調査をさせてもらってるわけなので、こんなこと書いてしまっていいんだろうかと思いました。しかし、指導教員に、そういうことは書かなきゃダメなのだと言われました。さらに、先住民の人たちにも「嘘をつかないであったこと全部書け」と言われました。そうすると、これだけ先住民の集まりで大きな問題になっていることを、無かったかのようにはまず書けない。先住民ではないのではないかと疑われている人たちは結構いるんですね。なので、この人だって特定できるようなやり方じゃなくても書けるという側面もありました。

オーストラリアでのご経験から

——修士号、博士号取得のため、オーストラリアに6年滞在されたということですが、その中で大切にされている出会いはありますか。

まとまって海外で過ごすのは初めてでしたし、新鮮でした。一番長く住んでいた家の大家さんがすごく聡明な方で、彼女からは単に知識だけではなくて、「どうやって生きてくか」ということについてのヒントをもらいました。彼女は、州政府の移民などについて取り扱う省に勤めていて、昔は大学でも教えていた人でした。人文系って何の役に立つんですかとか言われますけど、彼女は、人間にとって人文知はすごく根本的に意味のある事に違いないと言っていました。昨今、大学の人文知や社会科学知がなんの役に立つんだと言われるような風潮がありますが、私はそのようなことを聞くたびに彼女の言葉を思い出すようにしています。知識や知性は、肩書きを得るものではなくて、人生のためにあるものって言うのかな。

シドニーでのオーストラリア先住民の友人、Freda Simpsonと(2019年)

それからもう一人、私がフィールド調査をしている時にお世話になった人がいます。そこは都市郊外の中でも社会経済的水準が低いとされている地域でしたが、そこでお世話になった先住民のおばあさんがすごく知的な人でした。70歳を超えた方で、教育を受けることができなかった世代の先住民の方でした。でも彼女は自分で詩を書いて賞をとるなど、学びに対する意識の高い方でしたね。彼女と一緒に過ごしてた時がすごく楽しかったです。オーストラリア先住民の女性の人生って楽なものではないんですよ。先住民のルーツを引く人にも、教育を受けて重要なポジションについてる人はたくさんいますが、主流社会の人と同じように、あるいはそれ以上に有利かというと、先住民というだけで意味づけされてしまうこともあります。でも彼女は、ジョークを言って笑いながら過ごしていた人でした。人間としてすごく重要なところかなと思います。

——「Stolen Generations」など、オーストラリア先住民の人々が直面してきた差別や困難は想像を絶するもので、本当に驚きました。

田舎の町だと差別は本当にひどくて、例えば、お店に入って「コーヒーをください」と言っても、「コーヒーはないよ」と言われるという話を、アボリジニの方が私にしてくれたことがありました。その話を聞いた時は、単に「ひどい人もいるんだな、嫌な目にあっただろうに」ということだけを思いました。その後、私がある田舎の町でデリに入った際、「サンドイッチをください」と言ったら、「フレッシュフードはない」と断られました。仕方ないと思い店を出ようとしたところ、白人男性が店に入ってきて同じようにサンドイッチを注文したのですが、店員さんはニコニコしながら調理を始めて。その時には一体何が起きているのかわかりませんでしたが、しばらく考えて、そういえば私は「白人」ではない、ということに思いあたりました。
自分が実際に差別を受けてみてわかったのは、一つの店でこういう扱いを受けるという事は、他の店でもそういう扱いを受ける可能性があるわけです。だから自分の暮らしている町では、全ての店がどういう店かということを知っておく必要があります。どの店なら売ってくれて、どの店は売ってくれないかということを知らなきゃいけない。売り子さんやオーナーによっても違ったりするかもしれない。これ、すごく大変ですよね。
さらに、お店だけではなくて、警察や学校の先生など、生活の全てに対してそれが当てはまるということなのです。私の指導教員は、田舎の町だとアボリジニの人たちは、すべての警察官の個性について、この人は偏見を持っている、この人はフェアだから話を聞いてくれる、ということを知っていると言っていました。そうやって知っておかないと生きていけないんです。知らなければ、どんなに筋の通った話をしても、先住民であるというだけで聞いてもらえないわけですから。
アメリカでは人種隔離政策の時代に、黒人旅行者のための「グリーンブック」というガイドブックがありましたが、アメリカの黒人たちも同じような状況だったのでしょう。おそらく今でも、程度の差はあれ似たような差別を受けているのかもしれません。本当に普通に生きていくということが、彼らにとって普通じゃないんですよね。

——第4回のBLM連続セミナーで、山内先生にはマイクロアグレッションについてお話いただきましたが、このお話を聞いて、私たちひとりひとりが何らかの差別に加担している可能性を考えることの大切さを改めて感じました。

マイクロアグレッションの本でデラルド?ウィン?スーが書いていることと重なるんですが、人間誰でもどこかでマイノリティとして、マイクロアグレッションを受ける経験があるんですよね。女性だったらジェンダーとして抑圧されてきた経験があるでしょうし、男性でも特に若い人は、黙らされたりすることがありますよね。移民や先住民といったマイノリティの経験や苦しみを100%理解することができるとはもちろん思いませんけれど、自分が受けたマイクロアグレッションの経験から想像を膨らませて、それは大変な事なんだと認識する努力をすることが重要ではないかなと思います。

山内由理子(やまのうち ゆりこ)
東京外国語大学准教授。専門は文化人類学、オーストラリア先住民研究。オーストラリア先住民の研究を進めていく中で、マイノリティの立場に立たされることの意味を考えるようになった。現在はオーストラリア先住民と日本人移民のミックスの人々の研究に携わりつつ、植民地主義?和解?責任などの問題に関し考えを進めている。

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