岡倉天心とインドー「アジアは一つ」が生まれるまで
- 刊行
- 著者等
- 外川昌彦
- 出版社
- 慶応義塾大学出版会
内容の紹介
近代日本美術の復興運動を指揮した岡倉天心(1863-1913)は、道半ばで東京美術学校を非職となり、私生活も破綻をきたした1901年末に、突如、日本を脱して9か月にわたりインドに滞在します。 西洋が「美術」の基準とされた植民地時代のインドで、岡倉は自立したインド社会を構想する気鋭の知識人や芸術家、宗教家と邂逅し、その過程で『東洋の理想』などの代表的な英文著作を執筆します。1893年のシカゴ宗教会議の活躍で知られる宗教改革運動家ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)とは、互いに共鳴し、思想的影響を与えますが、そのヴィヴェーカーナンダの改革運動が今日のインド社会に与える意味は、これまで十分には評価されていませんでした。本書は、日印の資料を紐解いて、その国境を越えた知的変革の軌跡を辿ります。
著者のコメント
外川昌彦(アジア?アフリカ言語文化研究所/教授)
東京外国語大学は、1873年に東京外国語学校として開校します が、英語が得意だった岡倉天心(本名は覚三)は、この時に横浜か ら日本橋蛎殻町に家族が転居し、東京外国語学校に入学します。 1874年3月の『生徒一覧』には、岡倉覚蔵の名前で、 在籍の記録が残っています。