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パレスチナで人道支援 ~NGOピースウィンズ?ジャパン矢加部真怜さんインタビュー~

世界にはばたく卒業生

国内外の社会問題に取り組む日本発祥のNGO、ピースウィンズ?ジャパン。そのエルサレム事務所では、本学卒業生がパレスチナ情勢の最前線で働いています。

今回のTUFS Todayでは、ピースウィンズ?ジャパンの矢加部 真怜(やかべ?まさと)さん(2017年 東京外国語大学 国際社会学部 中東地域/トルコ語 卒)と、林 佳世子学長(以下、林学長)の対談の様子をお届けします。

矢加部さんは、2017年に本学の国際社会学部中東地域/トルコ語を卒業し、一般企業で働いたのちに、外務省の在外公館派遣員としてトルコに2年間駐在。現在はピースウィンズ?ジャパンのエルサレム事務所で働いています。パレスチナの最前線での取り組みについて、林学長がお話を伺いました。

取材担当
大学院総合国際学研究科博士前期課程1年 星野 花奈(広報マネジメント?オフィス 学生広報スタッフ?学生ライター)

矢加部さん

林学長 お久しぶりです。早速ですが、今はどんなお仕事をされているんですか?

矢加部さん お久しぶりです。現在はピースウィンズ?ジャパンという日系のNGOに勤めています。2022年2月より、パレスチナの東エルサレムに駐在しながら、人道支援の仕事をしています。ピースウィンズ?ジャパンとしては、ガザ地区の事業を始めてから、すでに10年ほどになります。パレスチナでの2023年10月以前の事業としては、若者の就労支援、子どもたちの心理?社会的支援など、緊急人道支援というよりは、もう少し中長期的なものを見据えた支援を行っていました。

ガザの人道状況は、2023年10月以前から極めて劣悪なものでした。人口220万人のうち、約半数が支援に頼らないと生きていけないような状況でした。その中で我々は、食料や水を配るといった支援ではなくて、若者の就労支援のような人の成長を助ける事業を行ってきました。それはなぜかというと、ガザの人びとは確かに危機的な人道状況にはあるものの、彼ら彼女ら自身が尊厳を持って生きていくためには、最低限の食料だけではなく、将来に少しでも希望を持つことが必要だからです。2023年10月以前から、ガザの若者の失業率は70%を超えていて、大学を出たとしても多くの若者が職に就けないという状況にありました。一方で、志や能力が非常に高く、機会さえあれば自分たちの力を発揮できる若者が大勢います。そういった若者が、高等教育で学んだ分野と親和性のある仕事に就けるように、支援を行ってきました。

ガザでの活動:若者の就労支援事業の視察

林学長 そうした支援の成果は、どのようなものでしたか?

矢加部さん いい面もありつつ、無力感を感じることの方が多かった、というのが率直な感想です。2023年10月以前からガザへの空爆はありましたし、トラウマを抱えた若者、経済状況や家庭環境がよくない若者はたくさんいます。その中から支援の対象とできるのは、本当に一握りです。「やってもやっても追いつかない」という悔しさや無力感を感じることもありました。一方で、我々が雇用しているスタッフや、現地の提携団体の関係者をはじめとしたガザの人たちは、「自分たちがガザを建て直す」という強い当事者意識をもっています。私自身も、彼ら彼女らから学び、時には叱咤激励されてきました。そのようにしてガザの人びとに魅せられながら、仕事を続けてきました。

林学長

林学長 残念ながら、2023年10月以降、今のような展開になってしまいましたが、2023年10月以降はどんな活動をしているんですか?

矢加部さん 2023年10月以降は、先ほどお話ししたような中長期を見据えた事業を実施できる状況ではなくなりました。ガザで行っていた事業の全てが、緊急人道支援へとシフトしました。情勢が悪化したのが10月7日ですが、10月中には現地の団体と新たにパートナーシップを組んで、食料物資の配付を始めました。爆撃にさらされる中、当然ながら現地の既存の提携団体の多くは避難や活動の中断を余儀なくされてしまったのですが、それでもなんとか機能している団体を見つけました。ただし、「物資を配ってくれる人がいるから、これでよし」ではないんです。日本政府や民間の皆さまから助成金や支援金をいただいて事業を行っている以上、どんなにカオスな状況の中でも、説明責任が伴います。物資の受領者リストや、お金がどう使われたかを示す写真といった証拠とともに報告する必要があるので、そういった条件も満たせる団体を探すのは大変でした。そのようにしてガザ地区の団体と連携しながら、手に入る物資をより脆弱な人びとに優先順位をつけながら配付するという活動を、停戦までの15ヶ月間ひたすら行っていました。

林学長 地区によっては住むのが困難な状況にありますが、そうした状況の中で困っている人たちを間近にしていたんですね。

矢加部さん そうですね。毎日ガザのスタッフとは連絡をとっていましたが、本当に悲痛な話をたくさん聞いてきました。メディアで目にするような「家族や家を失って泣き叫ぶ人」が、献身的に我々を支えてくれているスタッフだったりするんです。そういう意味では、自分自身もこの現実とどう向き合っていけばいいのかと、苦しみを感じます。

林学長 そうですね……。(3月上旬の対談時点の)いま、なんとか停戦が続いているという感じですが、物資が運ばれなくなっているとも聞きますよね。

矢加部さん 私自身としては、停戦よりも一時休戦という言葉を使いたいのですが、私が一番懸念しているのは、一時休戦によってガザの状況が忘れ去られることです。1948年以降にパレスチナの人たちが土地を追われてきたことや、2007年以降の封鎖など、構造的な暴力はずっと続いてきました。「力による現状変更」への非難はさまざまな文脈で用いられていますが、パレスチナ情勢に関しては例外とされているような状況です。パレスチナの一人ひとりが背負っているストーリーもそうですし、「パレスチナ人」として背負ってきた歴史や、一家のアイデンティティが失われていっていることに対して、もちろん一番悲しいのは彼ら彼女ら自身ですが、私自身も悲しく思います。

林学長 私も1度だけエルサレムに行ったことがあるんですけれども、パレスチナの人たちの意識の鮮明さには、その時も感動しました。世界が自分たちに向ける不正義に対して、学び、対抗し、変えていこうとするパレスチナの人たちを何人も見てきました。でも、状況はどんどん悪くなっていますよね。

林学長 話は変わりますが、いまはビザの都合で日本に一時帰国しているんですか?

矢加部さん そうですね。もともと今の時期くらいが一時帰国休暇の時期だったというのもあります。ただ、仰る通り、我々のような援助職員を取り巻くビザの状況も、非常に厳しくなっています。援助関係者向けの労働ビザは、2023年10月以降は発行されなくなっています。なので、最長3ヶ月の観光ビザを使って出入りしています。私が現地に行けない時は、日本側の別のスタッフが代わりに入るといった形で活動しています。

林学長 日本からのパレスチナ情勢への関心は、どのように見ていますか?

矢加部さん 10月7日に起こったことがあまりにもセンセーショナルなので、今の状況はあの日を起点に語られる傾向がありますが、それは本当に良くないと考えています。先ほどお話ししたように、ガザの人たちがあれほど追い詰められ、外の世界に出られず、自分たちの窮状を訴える機会さえ限られている状況というのは、10月7日に始まったことではありません。10月7日にガザ側から行われた攻撃も容認されるものではありませんが、そうなった背景に目を向ける必要があると考えています。

林学長 そういった問題意識をもって卒業生が活動してくれていることを、私たちとしても誇りに思います。ガザの状況に関して、これからどういった未来になってほしいと思いますか?

矢加部さん 当たり前のことが、当たり前にできるガザ地区になってほしいですね。

林学長 そうですね。2024年の秋口に、早稲田大学の岡真理先生[1]が本学でシンポジウム[2]を行ったのですが、そこでこうした状況になる前のガザの映像を見せていただきました。10月7日を起点と考えると、多くの人は瓦礫の山を想像してしまいますが、元々は綺麗な並木があり、海水浴場では歓声が響いていたわけですよね。

矢加部さん そうなんです。私も2023年9月まで毎月ガザに出張にいっていましたが、ガザの街中は、活気と人びとのホスピタリティに溢れていました。あとは、西岸やエルサレムとは異なる食文化もあって、例えばガザは地中海に面しているので魚料理が美味しかったりします。私にとってガザといえば、楽しい思い出と美しい景色しか記憶にないんですよね。それが今は変わり果てていると考えるだけで辛いです。

[1] 東京外国語大学アラビア語科を卒業し、現在は早稲田大学文学学術院教授、京都大学名誉教授。専門は現代アラブ文学、パレスチナ問題。

[2] 2024年10月15日、本学にて講演会「パレスチナ問題を知ろう:岡真理先生と学ぶガザ侵攻『ガザ?フェイス?私たちは数じゃない!?』展連携公開セミナー」が開催されました。
(参考:https://www.tufs.ac.jp/tufisco/ja/2024/08/15/20241015_1.html

林学長 辛いですよね。日本にいる方々に伝えたいことはありますか?

矢加部さん やはり、パレスチナのことを知っていただきたいですし、パレスチナについて話すことをやめないでほしいです。それが一歩になると考えています。そして、世界中でいろんなことが起こっている中で、問題の背景を知ることがどれだけ大事なのかということに、思いを至らせてほしいです。

私自身がそれを学べたのは、本学だったと思います。私自身が中東地域のテロや人権問題に関心を持った最初のきっかけは、トルコのクルド問題でした。授業のあとに林先生をつかまえて、「トルコのクルド問題について教えてください!」と聞いていたのは、いま思えばものすごく贅沢な時間だったと思います。

学部時代:トルコ?アンカラ大学への派遣留学
(左:トルコ東南部、シャンルウルファ郊外のクルド人集落を訪れた際、右:同地の史跡、シャンルウルファ城の城壁にて)

林学長 そんなこともありましたね。本学の学生たちは、自分で考えて、大きな流れに流されずに社会をみる姿勢をもっている人が多いと感じます。そうした姿勢は大事にしてほしいですね。

矢加部さん そうですね。そうした姿勢は、私のような援助関係者にならなくとも、大事だと思います。他者の視線?枠組みで物事を考えるということや、それぞれのコンテクスト(背景)を考慮しながら、「これってどういうことなんだろう?」と考えることは、本学での一番大きな学びだったと思います。

林学長 本学の中だと、日本の存在が小さいんですよね。日本を中心に考えないと言うか。世界には、いろんな主張があって、それぞれの立場の人がいるということが、ここに居ると普通に感じられますよね。

派遣留学中、寮のルームメイトの帰省に同行し、クルバン?バイラム(犠牲祭)の親戚の集まりに参加させていただいた時の写真。場所はトルコ北西部、ブルガリア国境付近のクルクラーレリ。

林学長 海外に出て、本学の卒業生に会うことはありますか?

矢加部さん よく会いますね。外務省の在外公館派遣員としてトルコに駐在していたときにもOB?OGの方々にはお世話になりましたし、いまの業界にも東京外大生は多いですね。

林学長 ピースウィンズ?ジャパンは国内外で活動を行っていますよね。能登半島地震のときにも出動されていましたよね?

矢加部さん そうですね、団体としては能登半島地震のときにも活動していました。医療チームが別にあるんですけれど、医療チームは「48時間以内に世界のどこにでも駆けつける」という体制を整えています。2023年2月のトルコ地震のときには、私自身もトルコに1ヶ月間行きました。

林学長 その時の活動はどうでしたか?

矢加部さん 私にとって地震による緊急の現場は、その時が初めてでした。街によってはあたり一面が瓦礫の山になって、「いますぐ食料や服が必要」といった状況の中でどう対応していくかが問われる現場でした。ニーズが刻一刻と変わるというのも、私にとっては初めてのことでした。食料を一生懸命かき集めていたら、次はテントが必要になって、というような感じで。ただ、そうした状況の中でも、トルコの方々の温かさや底力みたいなものに助けられる場面は本当に多かったですね。日本語が話せる通訳の方がボランティアに入ってくれて、大活躍してくれた場面もありました。

林学長 中東に行くと、一人ひとりのつながりの強さを感じますよね。日本の人たちは孤立していますよね。そういうつながりが救いになることもあるのですが……。

トルコ地震での緊急支援

林学長 しばらく日本で休養して、また戻るんですか?

矢加部さん そうですね。またエルサレムに戻ります。

林学長 これからどういった活動をすることになるんでしょうか?

矢加部さん ビザの事情で、エルサレムの駐在員として働くのは最長で5年ほどになると思います。その後については未定ですが、実はいま、ロンドン大学東洋?アフリカ研究学院(SOAS)の人道関連のオンライン修士コースを受講しています。この業界において修士号は免許みたいなものなので、修士号を取得すれば、これからの選択肢も増えると考えています。

林学長 そうなんですね。これからも人生を切り拓いて、その中でいろんな問題を解決していくことを祈っています。がんばってください。

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