命をつなぐ「水がめ」
気候変動を現場で見る/考える
ピエリア?エッセイ
大石 高典
季節はずれの大雨や日照りによる水不足など、私たちの生活に身近な気候変動はどれも水と関わっている。生態人類学は、人と自然の関係を暮らしの現場から解き明かそうとする学問だ。その確実な方法は、様々な環境で実際にどのように生活が営まれているのかを見ることである。
アフリカを例にとって水と人間の関係を見てみよう。アフリカ大陸は広いだけでなく、自然環境も多様である。私が通うカメルーンの熱帯林は、年間降水量が1500ミリ以上と水に恵まれている。乾期と雨期があるが、乾期でも週に1回くらいは雨が降り、川や井戸の水が涸れることは想定しがたい。森を歩くとき、狩猟採集民のバカ(Baka)は水筒を持ち歩かない。湧水や沢の水が手に入るし、なければ林冠まで伸びるつる植物を切り、そこから流れ出す水で喉を潤す。
同じアフリカでも、半乾燥地域に住む狩猟採集民は水の確保をどうしているか。カラハリ砂漠の年間降水量は400~500ミリで、ほとんど雨が降らない。池谷和信『人間にとってスイカとは何か――カラハリ狩猟民と考える』(臨川書店、2014年、203頁)は、狩猟採集民のサン(San)と寝食を共にしながら、人々が野生スイカを水がめにすることで生き延びてきたことを明らかにしている。スイカの果汁で料理をし、身体を洗う。スイカのなり具合が人々の遊動ルートの決め手だ。
北ケニアには年間降水量が200ミリとさらに乾燥した地域が広がり、牧畜民のトゥルカナ(Turkana)が暮らす。農耕は困難で牧畜が唯一の生計手段だ。トゥルカナは、乾燥している地域に行くほど、複数の家畜の中でもラクダを多く飼う。ウシよりも、ラクダの方が乾燥に強いからだ。1980年代初めの大旱魃(かんばつ)と調査期間が重なった伊谷純一郎は、家畜が死に人間も飢餓に陥る破局的な状況を『大旱魃――トゥルカナ日記』(新潮社、1982年、235頁)に書き残した。牧畜民は、普段は主に家畜の血や乳を利用し肉は食べないが、旱魃状況では、家畜が死ぬとその肉を食べて人々は命をつなぐ。家畜が水がめの役割を果たしている。アフリカの伝統社会では、森や動植物が「水がめ」となって、多少の気候変動があっても人の生存を支えてきたことがわかる。
一方で、化石燃料を使用する近代工業が急拡大したことに起因する地球温暖化が問題になっている。アフリカではサヘルなど半乾燥地域でとくに影響が大きい。わかりやすい例は海とつながっていない内陸湖のチャド湖である。チャド、ナイジェリア、ニジェール、カメルーンにまたがる広大な湖が、農業用水の過剰利用と温暖化のダブル?パンチで消滅の危機に瀕している。
気候変動と過剰な開発が相乗する事例は、旧ソ連圏に先例がある。中央アジアのアラル海は、かつてカザフスタンとウズベキスタンをまたぐ世界第四位の広大な湖だったが、旧ソ連時代に周辺の沙漠に灌漑農業が導入された。灌漑農業の拡大と共に湖への流入水は減り続け、アラル海は消えつつある。石田紀郎の『消えゆくアラル海』(藤原書店、2020年、344頁)は、単身カザフに乗り込み徹底した現場主義でアラル海の環境問題に取り組んだ過程を描く。琵琶湖の水質汚染に取り組んできた著者は、琵琶湖の水問題は質の環境問題だが、水が失われることに起因するアラル海の水問題は量の環境問題だと言う。
グローバルな気候変動の兆候が最もよく現れるのは極域である。山崎哲秀は、探検家として30年以上北極圏最北のイヌイットの村に通い、習得した犬ぞりを駆使して雪や氷のサンプリングを手伝って、気象観測に貢献してきた。『犬ぞりで観測する北極のせかい』(repicbook、2024年、128頁)には、北極での気象観測の実際が分かりやすく綴られている。著者は2023年11月に遭難し、現在も消息不明だが、イヌイット社会に溶け込み、犬たちと共にあるまなざしが伝わってくる。
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大石 高典(おおいし?たかのり)総合国際学研究院准教授 文化人類学?アフリカ地域研究
文献案内
池谷和信『人間にとってスイカとは何か――カラハリ狩猟民と考える』臨川書店、2014年
伊谷純一郎『大旱魃――トゥルカナ日記』新潮選書、1982年
石田紀郎『消えゆくアラル海――再生に向けて』藤原書店、2020年
山崎哲秀『犬ぞりで観測する北極のせかい』repicbook、2024年
ピエリア pieria 2024年春号
特集「気候変動と人の営み」第Ⅱ部 誡めをひもとく 掲載
写真
- トップページバナー/サムネイル写真:コンゴ川の夕景
- 本文冒頭:田植え直後の水田(静岡)
いずれも撮影者:大石高典