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東京外国語大学のあゆみ

第1章 外国語?外国事情の教育?研究のはじまり

 東京外国語大学の「興り」は、幕末の1857年1月18日に開校した蕃書調所の設置に遡ります。18世紀末以降の日本近海への列強の出没は江戸幕府に「異国研究」の必要性を認識させます。幕府は、西洋各国の政治?軍事?風俗などを研究し、書物の翻訳を行なうとともに、外交に携わる人材を養成するために、蕃書調書を設立しました。外国語と外国事情の教育研究を担った蕃書調所は、その後「洋書調所」、「開成所」、「開成学校」とその名を変え、東京外国語学校へとつながっていきます。

◆蕃書調所の教育

 蕃書調所では、当初、蘭語の教育が進められました。教科書は「両文典」(『和蘭文典前編』?『和蘭文典後編』)が使用され、前編では蘭語の文法が、後編では構文の学習が進められました。その教育は句読(一人で読む)、輪読(順番に読む)、会読(数人で集まって読み、討論をする)の順に進められ、講義はほとんど実施されなかったようです。

 その後、外交?貿易において英語への需要が高まるなか、蘭語に代わって英語教育が中心となります。また蕃書調所では軍事をはじめとする欧米諸国の技術研究が行われ、その修得に不可欠な語学以外の「数学」などの教育も進められました。

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『和蘭文典前編』(蘭語の文法教科書)
(国立国会図書館所蔵)

◆東京外国語大学の「興り」~起点は「蕃書和解御用」か「蕃書調所」か~

 本学では、1933年に刊行された最初の年史である『東京外国語学校沿革』以来、その沿革を、江戸時代の「洋学」史からはじまり、「幕末より明治初年に亘る外国語研究学修の歴史」に連なるものと見なしてきました。とりわけ1811年に江戸幕府により蘭学の研究と翻訳事業のために設置された「蛮書和解御用」を「之れ即ち外国語学校の起因」と定め、長らく「蛮書和解御用」がその「興り」とされてきました。

 その後、1990年代後半にはじまった『東京外国語大学史』の編纂に際して、「大学とは教育?研究機関」であるとの観点に立って再検討が行われ、その「興り」を、1857年に幕臣191人を対象に外国語教育を開始した「蕃書調所」とすることが定められました。

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『東京外国語沿革史』(1933年)
    
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