2017年8月13日に成田を発ち、我が研究地域であるボリビアに10日ほど滞在した後、四半世紀ぶりにパラグアイのアスンシオンを訪れた。企業の駐在員として家族帯同で生活していたチリのサンチャゴから旅行で訪れた1992年以来である。当時は、パラグアイ観光というよりも、日系移住者が多いだけにサンチャゴでは食べられない美味しい日本料理と、日本のODAで建設された道路を一路東に向かった先のイグアスの滝がお目当てであった。その後、一度も足を運ぶ機会がなかったが、サンチャゴで家族ぐるみでお付き合いして頂いた知人が、退職後、奥様の故郷アスンシオンに住んでいるので久々にお会いするべく足を延ばしてみたのだ。
到着早々、知人ご一家が、アサドと呼ばれる炭火バーベキューで歓待してくれた。料理人を志している息子さんが腕を振るってくれた。現地の料理学校でも最近、日本の和食料理人たちの努力でUNESCOに認められた日本が世界に誇る「うま味」を教えはじめたらしい。既に洋食ではキャリアを積み、近々、日本の料理店で和食を修業予定とのこと。面白い料理人が誕生してくれそうだ。実際、彼が味付けしてくれた炭火バーベキューは、どの部位も塩加減が絶妙で訪問初日からベルトの穴がきつくなってしまった。
25年前のアスンシオンには、コロニアル風ののどかな田舎町という印象しかなかったが、ここ7-8年の目覚ましい経済成長の結果、中心街には、ブランドもののショップが建ち並び、ニューヨークの一角或いは、東京で言えば代官山あたりの風情を感じさせるほど変貌していた。とは言え、経済成長を支えるのは、ブラジルとの巨大公共事業であったイタイプ水力発電所が生む電力のブラジルへの売電収入と、かつての同国最大の密輸入港プエルト?ストロエスネル(現在のシウダー?デル?エステ)を中心とする密輸がらみの収入の二本柱だとの声もある。裏経済を排除しきれないとすれば、それも中南米の一つの顔だろう。しかし経済成長の結果、市民生活は、豊かになり幸福そうに見えた。
アスンシオン市内の一等地のショッピング?アーケードとスーパーに入ってみたが、店によっては、日本よりも洒落ている。並ぶ商品も日本に劣らずセンスの良いパッケージに納まっている。本来、農牧業の国だけに肉類、果物、野菜類も驚くほど新鮮だった。この経済成長を背景に現在パラグアイ政府は、更なる経済発展のために外国企業を誘致しようと法人税率の低減や海外から進出した製造業のために原材料輸入税免除などの優遇制度を設けている。日本企業も自動車用ワイヤハーネスのメーカーや造船メーカー等が進出(一部はブラジルから移転)している。更に日本企業を誘致するべく日本大使館、JICA、JETROがセミナーを開いたり、日本企業のミッションを招いたりして尽力している。しかし、スペイン語の壁、日本からの距離、そしてまだ人材開発が日本企業の望む水準に達していない等の問題が立ちふさがり、思うような企業誘致には至っていないようだ。7000人を超える日系人社会は存在すれど、地球の反対側パラグアイは、やはり遠い国なのだ。そして教育の質向上を基礎にした人材開発が如何に大切であるか。そんなことを考えながら帰国の途についた。
東京外国語大学 大学院総合国際学研究科
世界言語社会専攻
博士前期課程2年 上崎 雅也
【掲載日:2017.10.13】