1990年代末、ポルトガルの新リスボン大学(New Lisbon University) で1年間非常勤講師として教鞭をとった。担当は日本語?日本文化であった。ポルトガルでは13世紀創立の歴史あるコインブラ大学や1991年創立のリスボン大学が欧州でもよく知られるが、これに対し、新リスボン大学は新しい国立大学であり、ポルトガルを離れれば知名度も低かった。この大学から講師の話があった時は、新しい大学の支援という観点でも、日本事情の広報という観点からも、関心を持った。
しかし、やってみたいからといって、他に仕事があればすんなりOKを出せることにはならない。1回の講義ということであればあまり負担もないが、1年間、毎週大学に行かなければいけないとなると、話は簡単にはいかない。これをクリアするには結構時間がかかった。結局、仕事は週一回夕刻の時間休をとり、且つ、大学からは無給で引き受けた。大学のためのボランティア講師である。
大学で担当した学生は高学年生であった。3、4年生である。2~3年間の日本語の授業をとってきており、ある程度出来る学生たちであった。しかし「これなら楽!」というものでもなかった。ある程度しゃべることができる、文章も読むことができる、しかし、それと理解度は別であった。学生にとって、日本語は欧州言語とは根本的に異なるものであり、彼らにとって英語等ならSecond languageというレベルに持っていき易いが、日本語はそうはいかない。あくまでForeign languageである。学生が講師の言うことを理解する以上に、講師が学生のことを理解することが重要であった。
また、講師がnativeだからといっても教えるということは容易ではない。日本ではnativeによる英語授業が好まれる傾向にあるが、nativeよりも日本人講師の方がうまく指導できることもある。nativeの外国人よりもその国の講師の方が、学生の弱い点、強い点をよく識別できるからである。ポルトガルでの講義においても、日本語を理解するポルトガル人講師の方がいい授業をできたのではないかと思うこともあった。
講師がその国の言葉(ポルトガル語)を理解していることは有効であるが、その使い方もよく考えるべきである。実際、講義の中でポルトガル語を多用しすぎたということは大きな反省点である。あとから思えば、日本語の授業かポルトガル語の授業かわからないようなこともあったような気がする。
日本語を教えることで、学生の対日関心度を高めることはできたであろう。しかし、外国語を教えるという面に着目すれば、講師としては言語能力以上に学生を理解する力やメソッドを応用する力が求められるのではないかと考えるようになった。日本語は、普遍性という面では、欧州言語に比べて限定的なものとなる。コミュニケーションのための言語をひとつの言語のみに限定しない欧州複言語主義(Plurilingualism)の範囲には日本語は入らないであろう。学生は面白くないというだけで簡単に離れていく可能性もある。それだけに、教える側の学生に対する接し方は重要であり、責任も大きい。国際貢献やボランティアだとしても、ただ教えるというだけでなく、幅広い観点から物事を考えていくことが必要となろう。(社会?国際貢献分野)
名井良三 (みょうい りょうぞう)
社会?国際貢献情報センター 副センター長