ご卒業おめでとうございます!(2023年度卒業式?学位記授与式)
2024.03.22
2024年3月22日(金)、2023年度卒業式?学位記授与式がアゴラ?グローバル プロメテウス?ホールにおいて挙行されました。言語文化学部285名、国際社会学部299名、国際日本学部66名、大学院博士前期課程110名、大学院博士後期課程17名が卒業?修了し、学位が授与されました。
- 学長式辞(学部)
- 学長式辞(大学院)
- 学長式辞(学部)(動画)
- 言語/地域/学部ビデオメッセージ(YouTube: TUFS Channel)
- 言語文化学部長 祝辞
- 国際社会学部長 祝辞
- 国際日本学部長 祝辞
- 2023年度卒業式?学位記授与式(ダイジェスト版)動画
学長式辞
皆さん、ご卒業おめでとうございます。今年の卒業生の総数は3つの学部を合わせて650名です。2020年入学で4年で卒業される方が254名、2019年入学で5年で卒業される方が313名です。775名の入学定員からいうと、マイナス130名くらいということになります。どうしてかなと思ってみてみると、5年で卒業する方の数が、例年より100名以上少ないからのようです。コロナ禍以後、大学の卒業者数は思いがけない上下変動があって、コロナ禍の大学への影響はまだまだ続いています。
しかし、そんなことよりも、コロナ禍のせいでたいへんな苦労をしたのは、コロナが始まった年に2年生に進級した2019年入学の皆さん、そして、2020年春に入学された皆さんご自身でした。2020年入学の皆さんには入学式を実施することができませんでした。入試以来、大学に入ることなく、まもなく、全学的にオンラインでの教育がはじまりました。私たちみんなにとって、戸惑う事態の連続であったことは、今、思い出しても頭がくらくらします。
その頃、つまり、2020年の春、私たちみんなが新たなコロナ感染の広がりのなかで右往左往していたころ、新入生や在校生の皆さんにGoogle Form で何度かアンケートをとりました。ほぼすべての人が回答をしてくれ、また、質問や意見を多数、寄せてくれました。それを指針に大学としての対応を決めていったわけですが、その中で、ひとつ忘れられないお返事がありました。それは、「失恋して、コロナのことなんか、何も考られません」というものでした。
私たち、大学の教職員はコロナのことで頭がいっぱいでしたが、これを見て、ああ、そういうこともあるよねえ、と思い、一人ひとりの表情や、今いる場所の様子が、パーと目の前にひろがってきました。失恋した学生さんは、きっと大変だったと思いますが、こうしたやり取りは、とかく上から目線で対応しがちな大学という組織にとっても、皆さん一人ひとりのことを考える、ひとつのきっかけを与えてくれたように思います。
少しの辛抱で終わるのかと思っていたコロナ禍ですが、結局、それから3年間、いろいろな制限が続きました。zoom での授業は、最初、いろいろな混乱がありましたが、それらはまもなく解消し、「これはこれで便利」というくらいに慣れていったと思います。その一方で、友達に会うこともなく、サークル活動は実施もできず、ということで、本当に皆さんにはご苦労をおかけしました。その後も2年間にわたり、ショートビジットは中止となり、海外にいく機会を逸した人も多いでしょう。本来であれば1年、2年が花形の外語祭を、十分には楽しめなったことも今も心残りだろうと思います。とはいえ、徐々に、2020年の秋からキャンパスに皆さんがもどってきて、対面の授業が増え、生協に長い行列ができグラウンドの歓声を聞くようになってくると、本当に大学生活がもどってきたなとうれしく思いました。
実際のところ、講義やゼミはオンラインでも可能ですが、キャンパスライフはオンラインでは完成しません。皆さんが大学で過ごす時間を快適にしてほしいということで、職員の皆さんがいろいろ工夫をしてくれて、体育施設の整備や図書館の開館時間の延長、タフボックスの設置などがすすみました。3年を経て、留学や外語祭も復活しました。今日卒業する皆さんは、特に、コロナで苦しい思いをした方々ですが、せめて、大学生活の後半は、楽しいキャンパスライフだったと思って今日の日をむかえてくれているといいな、と心から思います。
さて、皆さんにとっての行動制限は、大学の指示のもとに行われました。大学は、国の指示に従って対策を立てました。本当にこれでいいのか、という問いを立てる間もなく、流れの中に飲み込まれていったことには、反省もあります。世界の国々が、国境が閉ざしたこと、そして、国境のなかの自国民を守ろうとしたことは、グローバル化で国境があいまいになりつつあった世界を、まるで、逆もどりさせたようでした。そして、コロナによる傷が癒えるまもなく、そのあとには、自国の論理だけで人を殺すことをいとわない、ウクライナでのロシア軍やガザでのイスラエル軍の蛮行がはじまり、今は、コロナの時以上に、重苦しい気持ちです。
でも、今、ここでそれを嘆く必要はないでしょう。ここにいる皆さんは、私以上に、コロナの時には、自分より困っている人をなんとか助けられなかったか、あるいは、ガザでの殺戮をどうしたらとめられるのかと、自分事として感じている人ばかりです。自国ファーストの風潮に強い憤りを感じ、世界の人は、国や民族、宗教やジェンダーに関わらず、人と人として全く違いがなく、個人個人のレベルでは、誰とでも友人になれるとわかっている人ばかりだと思います。
こうした感性をもっている皆さんが、実は、社会の多数ではない、という現実を、これからの社会人としての生活のなかで突きつけられるかもしれません。しかし、どうか、あきらめずに、東京外国語大学で皆さんが自然に身に着けた感性を、これからの人生のなかで、社会に広げていってほしい、と心から願っています。皆さんには、将来、世界を変えていく力があります。どうか、それを信じて、がんばってください皆さんが、健康で、周りの人々を幸せにするような人生を、歩んでいってくれることを祈っています。
大学は、ずっと皆さんを応援しています。今日は、本当におめでとうございます。
2024年3月22日
東京外国語大学長 林佳世子
学長式辞(大学院)
10月以降に博士論文を提出され博士号を授与された11名の皆さん、また大学院博士前期課程の世界言語文化専攻を修了された78名、国際日本専攻を修了された32名の皆さん、おめでとうとございます。心からお祝い申し上げます。
博士号を取得された方々は、今読みあげられた論文タイトルからわかるように、長い研さんの結果、言語学、言語教育学、文化研究、社会学など、人文社会の諸分野に貢献されました。研究期間の間にはコロナ禍もあり、海外での調査は言うに及ばず、人と突っ込んだ議論をすることもできない時期もあったと思います。それを乗り越えての博士号取得であるだけに、皆さんの成果を讃える気持ちは、いつもにもまして大きいものがあります。ほんとうにご苦労さまでした。
皆さんの多くは、博士号の取得により、研究者としてのスタートラインに立たれたものと思います。皆さんが博士論文で追及された問いは、自分だけのものと思われるかもしれませんが、決して、そうではありません。実は、社会が皆さんに問いかけた問いだと思います。だからこそ、皆さんが見出した答えを、ぜひ、社会と共有し、社会で役立てていっていただきたいと思います。人文社会分野の研究は、一人ひとりの問いが、重なりあい絡み合って、一つの方向を指し示します。社会の問いに応える活動を、これからも続けて行っていただき、本当に社会を変える力になってください。人文社会系の研究には社会を変えていく力があることを、若い皆さんの研究で示していっていただきたいと心から願っています。
修士課程を終えられる110名の皆さんも、2年または3年の期間に、多くのことを経験され、修士論文に結実されました。110名のうち、34名は日本に留学してこられた皆さんです。
修士課程での生活は皆さんにとって、どのようなものだったでしょうか。学部生時代と違い、ひとりで課題に立ち向かう時間が多かったのではないでしょうか。問題をたて、問題をとく方策を見つけ、実証していく、その積み重ねだったと思います。しかし指導教員や先輩、友人の支えもあったでしょう。学外の研究仲間を見つけられた人も多いと思います。そうしたつながりが、これからの皆さんの人生を豊かにしていくと確信します。。
さて、大学院を修了される皆さんは、これから修士号、博士号をもった人材として、社会にでていきます。国は、人文系における大学院修了者を増やすようにと号令をかけていますが、なかなか社会全体では、それってなに?という程度の理解しかないのも、現実です。でも、そんなことは気にする必要はありません。私が思うに、修士号、博士号の称号そのものが意味をもつわけではありません。大事なことは、皆さんが、何かを突き詰めて、研究し、自身の言葉で論理的にそれを説明する力をもっている人だということです。皆さんが突き詰めた問題は、そもそも、先ほどのべましたように、社会が皆さんに突きつけた問いでもありました。
世界の言語や文化、歴史や社会の特性を解明すること、それを通じて、世界の人々の間の相互理解を促進すること、人と人の対話の場をつくること、地域社会において共生のための仕組みづくりを行うこと、言語教育をDXの時代に即したものにしていくこと、人の心を豊かにする文化をより身近なものにしていく取組みなど、研究すべきこと、あるいは、研究マインドを持って社会でなすべきことは、無限にあります。「世界」を舞台に活動する人間として、分断が進み、利己的な行動が蔓延する潮流にストップをかけることも、皆さんなら、きっとできます。
私たちは、東京外大で学んだ皆さんが、社会を変えていってくれると信じています。どうか、次のステージで、のびのびと、皆さんの力を発揮してください。大学は、ずっと皆さんを応援しています。改めまして、修了おめでとうございます。
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2024年3月22日
東京外国語大学長 林佳世子
言語文化学部長 祝辞
本日、晴れて東京外国語大学言語文化学部を卒業される皆さん、卒業おめでとうございます。
大学で学んだ日々は、皆さんにとってどのような時間でしたか?専攻言語の勉強、ゼミでの専門の研究と卒業論文と、とにかく学業にかける時間が長かったのではないかと思います。
大学の名前に「外国語」があり、学部の名前に「言語」がある大学?学部を卒業する皆さんにとって、各自の専攻言語を初めとする言語の位置づけが非常に重要なものであることは言うまでもありません。ただ、近年は、外国語を扱う力いわゆる語学力は、例えば生成AIや機械翻訳の大きな挑戦を受けています。生成AIに翻訳をさせれば、人間が追いつかないような大量の翻訳結果をすぐに出力してくれます。その速さには人間はかないません。しかし、100メートル走を自動車と競って勝てないからといって、悲嘆にくれる必要はないでしょう。
生成AIの重要性がますます大きくなりそうな今後の社会で、皆さんが本学で身につけた外国語の力は、価値が減少するのでしょうか?では、計算は電卓や表計算ソフトがやってくれるから、小学校での算数の教育は、不要になるのでしょうか?知識はインターネットで検索すればたどり着くのだから、人間は知識を学ぶ必要はないのでしょうか?いくら検索できても、それが正しいかどうか、そもそもどのように検索すればよいのかなど、道具とはそれを使う側の知見が前提として必要です。今後、人間は、AIを使いこなす人間と、AIに使われる人間に分かれるとも言われています。言語について深い知見を備えた皆さんが、今後の人生でそれを活かすチャンスは多いことでしょう。
ここまでは言語の道具としての一面について主に話してきましたが、言語文化学部で皆さんが進めた言語や文化の研究は、世界の各地域の異文化や価値観の理解の追究であり、「人間とは何か」という人文科学の研究に他なりません。本学で学んだ皆さんは、世界における異なる文化を理解し尊重する姿勢を身に着けています。今、様々な問題に直面する世界において、異なる文化や価値観を持つ人々が互いに理解し共存していくためには、皆さんが言語文化学部で培った言語や文化に対する深い理解は、大きな財産となります。
哲学者の品川哲彦氏はその著書『倫理学入門』の中で、「近代化とは、価値観を共有する者たちから成る共同体が、価値観の異なる人びとに開かれていく過程である。」と述べ、その意味では、「郷に入っては郷に従え」「長い物には巻かれろ」という考えは、同質性を好む共同体の中で摩擦なく生きていくための実用的な知恵だが、自ら考えることの放棄や他人の生き方への抑圧につながる可能性があると論じています。
皆さんがこれから活躍をしようとしている価値多元社会では、これまでの自分の経験や価値観では通用しない、新たなチャレンジが待ち構えていることでしょう。そのような世界に羽ばたいていく際の翼となってくれるのが、本学で学んだ異なる言語や文化に対する深い理解です。魯迅は作品『故郷』の最後において、人間にとっての希望について述べるにあたり、“其实地上本没有路,走的人多了,也便成了路。”(もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。)と述べています。未知の世界に飛び込む時には不安もあるでしょう。しかし、誰もが最初は初心者です。立場が人間を作ると言います。新たなチャレンジは、自らの成長の機会に他なりません。皆さん、これからも、本学で学んだことを胸に、自信をもって、前を向いて進んで行ってください。
2024年3月22日
言語文化学部長 三宅登之
国際社会学部長 祝辞
皆さん、このたびは御卒業、誠におめでとうございます。
「万物の根源は水である」―高校時代、世界史の授業で学んだことがあるかと思います。哲学者ターレースの言葉です。この格言には2つの重要な意味が含まれています。一つには、「万物の根源」が何かを問うということです。宇宙がいったい何からできているのか、自分を取り巻く世界、ひいては自分自身が何処からやって来たのか。これは世界じゅうのどの文明においても必ず問われた、普遍的かつ根源的な問いであり、宇宙開闢説と呼ばれるものです。もう一つの要点は、万物の根源として名指しされた〈水〉という言葉にあります。一般に、水といえば、地表の7割を占める広大な海や、陸上を縫うように走る河川の水を想起しますが、私たちが知るこれらの水と、ターレースの言う〈水〉は異なるものです。万物の根源たる〈水〉は、まだ形がなく、ほの暗い闇を湛える〈原初の水〉、カオスやエーテルと呼ばれる原初の液体のことなのです。
この〈原初の水〉から4つの元素が創られます。〈地〉?〈水〉?〈火〉?〈風〉、言い換えれば土?水?火?空気という4元素です。「四大(しだい)」とも言われます。中世ヨーロッパでは、空を飛ぶ鳥は〈火〉と〈風〉の元素を多く持ち、水中をうごめく魚では〈水〉が多くの比率を占めると考えました。人間、すなわちアダムは、聖書が記すところでは、「土くれ」つまり〈地〉から創られたとされています。ただ、神が自分に似せて創った土人形としてのアダムにはまだ生命はありません。神が吹きかけた息すなわち〈風〉が、アダムに体温すなわち〈火〉を与え、体内をめぐる血液すなわち〈水〉を与え、命が生まれました。イタリア中部、ローマの南にある小さな町アナーニの大聖堂地下の色鮮やかな天井壁画が教えるように、人間には4つの元素が同じ比率で、25%ずつ配分されているのです。
皆さんは大学生活を、この東京外国語大学の府中キャンパスで踏み出しました。とはいっても、実際にキャンパスの土を踏みしめたのは、秋学期になってからという人も多かったかもしれません。一見効率的に見えるヴァーチャルな大学生活に決定的に欠けていたのは、「土を踏みしめる」ということでした。〈水〉も〈火〉も〈風〉も、「踏みしめる」ことはできません。ただ〈地〉だけが、踏みしめることのできる確かな足場を形作れる元素なのです。足の裏で、全身の骨や筋肉を通じて「踏みしめる」ことの価値を、皆さんほどよく理解している世代はいないのではないでしょうか。
近年、わが国では、「水」は災害の元凶と見なされています。確かに、過度の「水」は人間の生活を破壊し、逆に「水」の枯渇は作物を枯れさせ、人々の生命を危機にさらします。しかし、〈原初の水〉から生まれた水は、その養分によって魚の命を育み、動くことのない不動の陸の上を縦横無尽に流れ、巡ります。大学生活において〈水〉は何を象徴しているでしょうか。「水」がもたらす滋養とは、まさに皆さんが本学で学んだ幅広く、奥深い知識であり、「水」の流れは、その知識を活かす知性に他なりません。〈水〉は土に触れると、その中深くへと沁み込んでいきます。大学で得た知識と知性は、いまも皆さんの身体を〈水〉のように巡り、養分として蓄えられているのです。
〈風〉は空気、あるいは大気を指します。ここでも私たちは、台風やハリケーンといった過剰な風を思い浮かべてしまいますが、聖書ではつむじ風や竜巻は、人間を天に昇らせるために使われます。預言者エリヤは〈火〉の戦車に乗って天に昇ります。死を経験することなく昇天した数少ない人です。一方で、ごく微かな風もあります。それは、神がアダムに吹きかけたあの息、呼気です。体内を通過する過程で湿気と熱を帯びた〈風〉は、かじかんだ手を温めるだけでなく、つらい心情を表わす吐息のように、人の感情や心臓の鼓動を友人に伝えることもできます。マスク生活は、この呼気、人と人とが寄り添うその身近さを、私たちから奪いました。そして、息とともに吐き出される最たるものは、むろん言葉です。日本語では「言の葉」と書かれる〈ことば〉は、羽の字を用いて「言羽」と書かれることもあったように、人の呼気にのって私たちの体外へと放たれます。その「音」だけでなく、声の調子や声を送り出す人の表情や身振りと相まって、繊細なその思いを相手に伝えます。マスクを外した今なら、このことを実感をもって理解できるのではないでしょうか。
〈火〉を人間に与えたのは、巨人プロメテウスです。ギリシア神話では、火によって人類は文明を築く一方、戦争の道具までをも引き受けることになります。〈火〉は第一に熱、体温を、第二に重力からの解放としての軽さを意味します。第三に、〈火〉は地球を、大地を回転させる原動力とされます。人間に置き換えればそれは情熱、皆さんが大学での学びや活動に燃やした熱意です。これからは社会のなかで、それぞれの持ち場で、新たな熱意を燃やしていかれることでしょう。そして火がもたらす最後の要素は、「光」です。旧約聖書の神は、天地を創造するに際して、?lux fiat?、「光あれ」という言葉を発しました。そこから原初の水は、4つの元素を生み出し、世界を形作っていきました。
このように、世界を形作るこのシンプルな4つの元素に立ち返って物事を考えることは、今後の人生の様々な局面の中で、皆さんをあるべき方向へ、すなわち「光」の方へと導いてくれるはずです。過度に複雑化した世界を生きるには、時に単純な原点に回帰することが不可欠だからです。
バランスよく蓄えた〈地〉〈水〉〈火〉〈風〉の四元素を、皆さんがこれからどのように花開かせていくのか。私たちは、府中キャンパスの土を踏みしめながら、見届けていきたいと思っています。
2024年3月22日
国際社会学部長 千葉敏之
国際日本学部長 祝辞
国際日本学部の卒業生の皆さん、改めてご卒業おめでとうございます。
Students of the School of Japan Studies, Congratulations again on your graduation!
そして保護者の皆様、お子様のご卒業を心よりお祝い申し上げます。
In addition, I would like to congratulate on parents and guardians in attendance on their child’s graduation.
この日をさぞ心待ちにしておられたことと存じます。
I am sure that you all eagerly awaited this day.
既にお話があったように、あなた方は近年まれに見る制約の多い大学生活を送ってきました。
As Hayashi Sensei has already spoken., this year’s graduating class had an unusually restrictive experience as university students.
入学直前に、新型コロナウィルス感染症が世界的に蔓延しました。その年の春学期は全面的にオンライン授業となりました。
Just before entering university, the world experienced a once-in-a-century global pandemic. Consequently, all of the classes offered during the spring semester of your freshman year were offered online.
J2生、J3生は、突然に、いつ入国できるか予測がつかないまま、入学時期を選択することを迫られました。
In addition, J2 and J3 students were forced to choose their enrollment period without a clear understanding of when they could enter Japan.
中には、4月入学を選択したのに、1年近く入国できなかった人もいます。
While were able to enter the university in April 2020, others were unable to enter Japan for nearly a year.
教員の側も、それまで準備してきた授業計画を突如切り替えることとなりました。
At the same time, professors were forced to make sudden alterations to lesson plans that they had already prepared.
皆さんご存じのように、国際日本学部は課題解決型の授業、協働実践科目をいくつか設けています。
As everyone here knows, the SJS offers a series of Project Based Courses during which students work in groups to solve complex problems.
その中には、大学の外に出てフィールドワークを行う計画を立てていた授業もありました。
Some of those courses were planned with the notion that students would conduct fieldwork outside of the university.
しかし、それらの計画を全部切り替え、オンライン授業の範囲で実施可能な計画に変えざるを得ませんでした。
In the spring of 2020, however, professors were forced to fundamentally change their plans and develop their courses that could be carried out online.
皆さんも私たちも、お互いに直接会うことができないまま、慣れない中で試行錯誤しながら授業を続けました。
In addition, professors were forced to conduct their classes through an unfamiliar process of trial-and-error, and students were forced to undertake their studies without actually meeting their professors and other members of their cohort.
あなた方は、そのような中でも自分のできることを忍耐強く積み上げていき、今日を迎えることができました。
Despite all of these challenges, however, you preserved, ultimately meeting the requirements that enabled you to graduate today.
私は学部長として、なによりもそのことに深く敬意を表したいと思います。
As dean of the SJS, I would like more than anything else to recognize the tremendous of this year’s graduating class.
皆さんが出ていく世界は、コロナ禍の頃よりもさらに混迷の度を深めているように見えます。
The world into which students will now enter is perhaps even more complicated and fraught than the one that existed during the early days of COVID.
その様相は様々ですが、その多くが異質な人間同士の軋轢から生じています。
Although the complexity that exists in today’s world has many features, it stems largely from conflict between heterogeneous groups.
しかし、皆さんはこの困難への対処法をすでに学んでいます。
I, however, am not worried. All of the students graduating today have learned methods to deal with the complex problems posed by today’s multi-cultural society.
出身国も言語も文化的背景も多様な人たちが、1つのグループになって共通の課題に取り組むという作業に、あなた方は何度も取り組みました。
Our graduating class is comprised of students from a diverse array of countries, who speak different native language and possess different cultural backgrounds. Despite these differences, they have on many occasions worked as a unified group to analyze and address common problems.
その中で、前提を共有できない人と、考えや気持ちを通じ合わせることの非常な難しさと、それを乗り越えた時に成し遂げられることの大きさを、身をもって体験しています。
During those occasions, they have physically experienced the intense complexity of bringing together groups of people who possess different backgrounds, thoughts, and feelings, and the satisfaction of successfully collaborating to overcome those differences.
皆さんがそれぞれの道で存分に能力を生かし、大いにその志を遂げ、良い成果を収めることを、府中の地から祈っています。
From here in Fuchu, we pray that all of you will use the capabilities that you have gained here in all of your future endeavors and, with great ambition, achieve tremendous things.
そして気が向いたら、またこのキャンパスを訪れてくれることを、心待ちにしています。
Furthermore, if at some time in the future, you feel the desire visit our campus again, you will always be welcome.
2024年3月22日
国際日本学部長 川村大