2012年7月 月次レポート(廣田郷士 フランス)
短期派遣EUROPA月次レポート(7月)
廣田郷士(博士前期課程)
7月に入り、パリは暑さが増してきました。湿気は無いものの気温が高く、汗をかきながら作業をすることの多い月でした。クーラーのないことの多いパリの建物で夏を過ごすことで、体の代謝も良くなりある意味では健康的になったような気がします。
先月で「全?世界学院」の今学期のセミナーも終了し、集中的に自分の研究を進めることができました。報告者の目下の課題であるエドゥアール?グリッサンの初期作品については、グリッサンのテキストに何度も向き合うことも非常に重要でありますが、同時にグリッサンがフランス文学/アンティーユ文学の文脈の中でどのような位置づけを与えられるかを探ることが不可欠になります。特に戦後のパリにグリッサンが留学していた時期の初期作品を研究する上では、前者の文脈の中での位置づけを見ていく必要があります。なぜならば、他のアンティーユ出身の作家達とは決定的に異なり、グリッサンはパリに居たネグリチュード運動の作家達とは距離を保ちながら、イヴ?ボヌフォア、ロラン?バルトなどの作家?批評家達との交流を通じて「白人」サロンの中で執筆活動を進めるからです。
このような当時のグリッサンのフランス文学史での文脈を探る上で重要な資料として、ガエタン?ピコン(Gaétan Picon)『新フランス文学展望』(Panorama de la nouvelle littérature fran?aise, Gallimard, 1978.)、ジャン?パリス(Jean Paris)編『新詩華選』(Anthologie de la poésie nouvelle, ?dition du Rocher, 1957.)の2つが挙げられます。第二次大戦後間もない時期の世代であるグリッサンらの特徴について、「歴史に対する拒否」と「喪失した生の作り直し」を両書は共通して指摘しています。大戦による全面的破壊を前に戦後詩人達がしたこととは、物理的かつ価値的な無をもたらした西欧的「歴史」(大文字のHistoire)を問いなおし、それを出発点に新たな生を探究することでした。グリッサンの初期詩集『インド』や評論集『詩的意図』読む限りにおいても、確かに「歴史」の問い直しがグリッサン思想の大きなメルクマールとなっています。単にアンティーユの現実そのものから出発しているのではなく、グリッサンはこのような「歴史」への抵抗を同時代のフランス作家らと共有していたことが、両書から読み取ることができます。現在執筆中の修士論文第一章においては、上記のようなフランス作家内でのグリッサンを中心に論じるつもりであります。
初期グリッサンの活動として、上記の点とあわせてアンティーユの状況へのコミットを挙げることができます。1961年に「自治のためのアンティーユ?ギュイヤヌ戦線」(Front des Antillais et Guyanais pour l'autonomie)を同世代のアンティーユ作家らと結成し、グリッサンは故郷仏領アンティーユ諸島の脱植民地化へ向けて活動します。「戦線」の活動が論壇の形で結実した雑誌『エスプリ』(Esprit)1962年4月号の特集「アンティーユ、手遅れになる前に」を滞在中に入手できたのは大きな成果でした。「戦線」に所属する作家らが分担執筆した同号で、グリッサンは「文化と植民地支配:アンティーユのバランス」( ? La culture et la colonisation : L'équilibre antillais ?)と題した論考を発表しています。ここでグリッサンは、46年の「海外県化」をもたらしたアンティーユのエリートらとフランスとの関係の虚構を暴きながら、アンティーユ諸島の連帯と、「アメリカ」であるアンティーユの特性としての「世界への開き」(l'ouverture au monde)を指摘しています。アフリカ、ヨーロッパ、そしてアメリカの性質を併せ持つアンティーユの特徴を「近代世界の中での特権」として論じ、何よりアンティーユを西欧の歴史のもたらした「新世界」として既に捉えているグリッサンの当時の思想は、セゼールら前世代の作家らとの断絶としても、また81年の『アンティーユ論』以降の後期思想への接続を考える上でも、同論考は極めて重要であると考えられます。
在外研究の大きな利点として、たとえ自分の研究分野として関連があっても、日本に居ては接することのできない作品や資料と現地にて出会えることが挙げられると思います。今回の在外研究では、喫緊の研究課題と平行して長期的なビジョンでの資料の探索も進めております。成果の全てをここで挙げることは出来ませんが、グリッサンの「アンティーユ性」の思想を独自に展開したギュイヤンヌ文学第二世代の詩人エリ?ステファンソン(Elie Stéphenson)の初詩集『叩き売りの国のための一矢』(Une flèche pour le pays à l'encan, P. J. Oswerd, 1975.)や、グリッサンに高く評価されたグアドループ出身の詩人アンリ?コルバン(Henri Corbin)の初期詩集『檻の灯籠』(La lampe captive, Edition du Dragon, 1979.)などを入手できたことは、本滞在のとりわけ大きな成果として報告しておきたいと思います。修士論文という目の前の研究成果と、より広い長期的観点での成果、これら二つの視野を課題に置きつつ残り少ない今回の滞在を引き続き生かしていくつもりであります。
ステファンソンの詩集『叩き売りの国ための一矢』
アンリ?コルバン『檻の灯籠』