2011年2月 月次レポート(岩崎理恵 ロシア)
2011年2月月次報告
報告者:岩崎理恵
派遣先:ロシア国立人文大学
2月9日から11日にかけて、派遣先である人文大学で開催された第13回国際学術会議「日本の歴史と文化」に参加し、報告を行なった。
参加を決めたきっかけは、昨年10月のブローク学会で、ブロークの詩作品の日本語訳に関するニーナ?ファリゾワさんの報告を聞いたことである。報告者自身、卒業論文でブロークの長編詩「十二」の翻訳分析を扱ったこともあり興味深く聴き、韻文の翻訳というテーマは十分検討に値する、と改めて思った。ただその時の聴衆の反応から、ブローク研究者よりも、日本とロシアの詩作法の違いを知っている日本文学研究者を対象にした方がよいだろうと判断し、何か適当な発表の場がないか探し始めていた。
3日間にわたる学会では、総勢40名ほどが報告を行った。主催者である人文大学東洋文化研究所をはじめ、モスクワ大学アジア?アフリカ研究所、ロシア科学アカデミー東洋学研究所、同アカデミー極東研究所などモスクワを中心に、サンクトペテルブルグや極東などから参加していたほか、日本で活動する研究者が「里帰り」してきているケースも多かった。今回の学会について知らせてくれたニーナさんから「著名な研究者が毎年多数参加しており、レベルが高い」と聞いていた通り、どの報告も緻密で聞きごたえがあり、大いに知的刺激を受けた。
「A.ブロークの長編詩『十二』の日本語訳の特徴」と題した筆者の報告は、主に韻律法の観点から翻訳の比較を行い、11人の翻訳者が、詩作法の違い(韻律法の基準は音節数かアクセント数か、押韻を始め、詩行同士を結びつけ連を構成する手段としてはどのようなものがあるかなど)をそれぞれどのように捉え、その隔たりを埋めていったかをあぶり出す試みである。前述の卒業論文の資料を元にはしているが、報告に向け、ロシア語で一から原稿をまとめ直すことになった。内容からすると比較詩学や翻訳論の分野に入るものだが、聴衆にはおおむね好意的に受け入れられた。とりわけ報告の中で、一時期客員教授として外語大で教鞭を取っていらした日本研究者ナターリヤ?シェフテレーヴィチ先生の業績に言及したのだが、それをきっかけに終了後もいろいろな方が声をかけてきて下さり、先生が未だ伝説的な存在であり、心から尊敬されていることをひしひしと感じた。嬉しいサプライズとしては、学部1年生の時からロシア語を教わってきたアレクサンドル?ドーリン先生(現国際教養大学教授)と約10年ぶりに再会し、近況を報告できたことである。
ちょうど領土問題をめぐり、日露関係が微妙になりつつある時期ではあったが、学会はシビアな議論を交えながらも終始和やかに進んだ。これまでロシア文学研究者の集まりしか知らない筆者にとっては、静かなユーモアの漂う雰囲気が独特で、とても心地よく感じた。また参加者の、日本の文化や歴史への深い理解と興味には敬服させられた。そのよい例が、最終日に行われたポスター?セッションで聞いた、京友禅についてのO.ホヴァンチュクさんの報告である。ホヴァンチュクさんは研究の傍ら、京都で2年かけて友禅染めの技術を習得したという。彼女の「作品」がかけられた壁の前には人垣ができ(当然、女性が多かったが)、図柄の選択や配置をめぐる多くの「決まりごと」を守りつつも、どのように自分のオリジナリティを出す工夫をしたかという解説に熱心に聞き入っていた。また外国人学生の漢字習得について報告した京都大学研究生E.O.ナザロワさんのスタンドでは、ロシア人研究者同士がホワイトボードを前に、日本の常用漢字と現在中国で用いられている簡体字の違いについて指摘し合うという面白い光景が展開されていた。
最終日の夜には懇親会が開かれ、数日前に還暦を迎えた人文大学のA.N.メシチェリャコフ教授に、モスクワ音楽院のN.F.クロブコワ教授と人文大学の学生ら有志による歌のプレゼント(日本語の「ラブ?ミー?テンダー」)があった。会は大学内の小さな会議室には入りきれないくらいの人で賑わったが、やはり和やかな雰囲気で、ここでも多くの方と言葉を交わすことができた。
詩の翻訳の問題は、今後もブロークの作品研究と並行して追っていきたいテーマであるので、この学会で出来た人脈や情報源をもとに、次の発表の場を探していく予定である。ウクライナ国立科学アカデミー文学研究所のYu.V.オサッチャ研究員からはさっそく、10月中旬にキエフで学会が行われると声をかけていただいた。こうした意味でも、翻訳と論文の締め切りを同時に抱えながらの強行スケジュールではあったが、思い切って挑戦したことが報われた気がしている。異なる分野でまた新しい人との出会いがあり、別の世界が広がっていくのを感じているところである。
O.ホヴァンチュクさんの「作品」の前で、ホヴァンチュクさんと報告者