2011年2月 月次レポート(藤井欣子 オーストリア)
月次レポート 2011年2月藤井欣子
派遣先:オーストリア、グラーツ大学
2月からグラーツ大学は1ヶ月つづく春期休業に入りました。今期で学業を終えて故郷に帰る人や新学期に備えて新たに入居してくる人など、学生寮の入れ替わりも激しくなります。授業がない期間ですので大学関連の図書館も通常より開館時間が短くなり、通常ならば20時まで開いている大学図書館も法学社会学図書館(Resowi)も18時に閉館、歴史学図書館にいたっては平日午後13時までしか開いていません。2月にオーストリアで資料収集を考えている方は、こういったイレギュラーな開館時間に注意が必要だと思います。
以上のような理由から、2月はやはり図書館よりも文書館での作業が中心となりました。前月から引き続き、知事本部報告書 (Statthalterei Praesidium)の史料を読んでいます。それにより、マールブルク周辺地域農民協会に対して私が今まで抱いていたイメージとは異なる活動の様子を知ることができました。たとえば、同協会は急進的なドイツ民族主義的主張で帝国議会や世論を揺るがせた扇動政治家シェーネラーを名誉会員としてたびたび集会に招いており、しかも彼を信奉する人々(書記のクルムホルツなど)を中心として運営されていたにもかかわらず、実際の集会にはスロヴェニア系の農民たちも多数参加していました。同協会の支持者はドイツ系住民のみだろうと想像していたため、これらは意外な事実でした。集会での講演などは、ドイツ語の後援者であればドイツ語のまま行われましたが、開会の辞や活動報告などは二言語で行われていたようです。また執行部の中にもスロヴェニア系の有力者がおり、スロヴェニア語での演説も行っていました。1888年からは協会誌をスロヴェニア語でも出版することが発表されています。ただ、この協会発行の雑誌「農民協会報(Bauernvereinsbothe)」については未だに所在が確認できず現在調査中です。また、集会に出席しているゲストや講演者たちのプロフィールもあわせて調査しています。同協会の集会には、ドイツ民族主義派の帝国議会議員や州議会議員、上オーストリアやケルンテンなど他地域の農業者団体代表者などが招かれていました。出席者はほとんど土地所有者でしたが、学生団体所属の学生や小売業者などもいたと報告されています。招待客の中でもやはりシェーネラーは協会執行部の方針に大きな影響を与えていたようで、ドイツとの関税同盟などシェーネラーの政治的綱領に見られる構想が協会の要求の中にも現れています。シェーネラーは「帝国内の新聞?雑誌はユダヤ人に汚染されている」としてこれを避け、直接的に人々に訴えることのできる集会での演説を好んで利用していました。
前月からの課題であった新聞の調査は、グラーツ日報(Grazer Tagespost)を中心に収集しています。行政の仕組みに関しての本は、目星をつけたものが図書館の開架式の棚に見つからず行方不明となっていて問い合わせ中という状況です。残すところあと一ヶ月の滞在ですが、以上にあげたような調査中の課題を念頭に、有意義に過ごしていきたいと思います。