2012年9月 月次レポート(廣田郷士 フランス)
月次レポート(9月)
廣田郷士(博士前期課程)
いよいよパリでの研究滞在も最終月を迎えました。自分の研究に加え今月はさらに帰国準備などもあり、非常に慌ただしい毎日でした。さらに9月に入ったパリは気温がぐっと下がり、日照時間も一気に短くなり、結果体調を崩しがちな月ともなってしまいました。
今月も、引き続き修士論文、特に二章以降の論の核となるグリッサン『詩的意図』におけるグリッサンの詩人論を再度検討しましたが、やはり今月経験することのできた滞在中の活動の最大成果としましては、かねてより予告しておりました通り、19日から21日の三日間にかけて行われた国際シンポジウム『ペルス、セゼール、グリッサン:交錯する眼差し』に参加できたことです。
このシンポジウムは、グリッサン没後一年のこの年に「全?世界学院」の主催で行われ、ユネスコ本部、フランス国立図書館、そしてラテン?アメリカ会館のパリ市内三カ所で行われ、新旧様々な世代の研究者による研究発表の他、作家による座談会など、これまでのグリッサン関連では決して実現することのなかったほどの最大規模のシンポジウムでした。
三名の詩人の名を冠してはいるものの、主催が「全?世界学院」であることからも分かるように、実質的にはグリッサン研究のためのシンポジウムでありました。テーマに合わせ大小様々なセッションが企画されていましたが、報告者の研究の観点にとっては、特に二日目午前の主に博士課程の若手研究者を集めたセッション「詩人、批評家、読者:折り重なる活動」は、大変大きな示唆を受けるものでした。グリッサンのペルス論をめぐる発表を行ったパリ第10大学のラファエル?ロロ氏の発表では、これまで確かにグリッサンの詩作にペルスの与えた影響が多大であったことが論じられる一方で、ペルスに対するグリッサンの立ち位置が極めてアンビバレントであったこと、そしてペルス自身の世界に対する認識が、アンティーユと西欧の二つに引き裂かれていることに注目すべきで、むしろそのアンビバレンスを乗り越える形で、グリッサンが自らの詩学を構想していった点を強調しておりました。また、ポーランドのシレジア大学で教鞭を取るブアタ?マレラ氏は、グリッサンがパリにて活動していた50年代から60年代にかけて、哲学史の上では実存主義から構造主義へと移りゆく、思想的な過渡期であったという時代的文脈にグリッサンを位置づけ直し、時代の寵児であったサルトルに対するグリッサンの思想的異化、さらにグリッサンの指導教授であったジャン?ヴァールを経由したハイデガーの影響について論じておりました。グリッサンと同時代の思想文脈との関連性は、報告者も現在執筆中の修士論文においてブアタ?マレラ氏とは別の観点(グリッサンのセゼール論)から論じるつもりでおりましたので、セッション終了後に直接同氏と話をし、研究についての様々な意見や助言を得ることができました。
他にも今回のシンポジウムでは、ロムアルド?フォンクア、ベルナデット?カイエ、リズ?ゴーヴァン、マイケル?ダッシュなど、グリッサン研究の大御所の発表を直接聞くことができ、また同時にペルスの研究雑誌『ラ?ヌーヴェル?アナバーズ』の編集を取り仕切るロイク?セリー氏の話から、現在のところ報告者にとっては本格的には着手するのが難しいペルスの研究動向についても知ることができました。当日は日本からフランス語圏文学が専門の、早稲田大学の立花英裕教授もシンポジウムに合わせ来仏されており、同教授と研究についての意見を交換する機会も得ました。他にも本シンポジウム中には、ドキュメンタリー映像の上映や詩の朗読と音楽による夕べなど、研究発表のみならず様々な催しが行われ、報告者の研究上、圧倒的に濃密な時間を過ごすことができました。
今月は、フランソワ?ヌーデルマン教授との面談の他、グリッサンの夫人シルヴィさんへの帰国前の挨拶、また滞在中に得た資料の発送作業など、特に月の後半は慌ただしく過ぎて行きました。とりわけ資料の発送は、量があまりに多く、時間的?経済的な浪費が大きかった点は、もう少し計画的にこなすべきであったと思います。
以上、報告者は7ヶ月に渡るフランスでの研究滞在を無事に終えることができました。今回の滞在での成果は様々ありますが、博士前期課程のうちに中期的スパンで研究の対象とする国に滞在し、専門的環境の中に身を置いて研究ができたことは、修士論文という眼前の課題のみならず、今後の研究の長期的な視野で見ても大きなアドヴァンテージとなったと実感しております。今回の派遣をご支援くださったITP-EUROPA委員会の皆様、ならびに多くの関係者の皆様方に、この場をお借りしまして深く御礼申し上げます。
シンポジウム二日目午後のセッション(フランス国立図書館)
三日目の会場となったラテン?アメリカ会館