2012年8月 月次レポート(江畑冬生 ドイツ)
短期派遣EUROPA 月次レポート(8月)
江畑 冬生(日本学術振興会特別研究員PD)
分野名: チュルク諸語研究
テーマ: サハ語の派生形態論
[現況概要]
7月に引き続き,順調に研究活動を進めている。
[研究]
欧州,とりわけドイツにおけるチュルク諸語研究の蓄積について学ぶという当初の目的についてはこれまでに相当の成果が得られた。トルコ?アンカラにおいて行われる「第16回国際チュルク諸語会議」におけるサハ語の派生形態論に関する研究発表2件のための準備に着手したところである。7月から引き続き,平日の午前中には独語学校に通い,午後および休日にはゲーテ大学または自宅にて研究活動を行っている。研究活動として,8月には論文投稿1件,論文の修正稿送付1件,学会発表の応募1件を行った。
7月次レポートにも書いたように,受入研究者のAndreas Waibel氏(ゲーテ大学),妻のZinaida Waibel氏(ゲーテ大学),ロシアのタタルスタン共和国より滞在中のNadiya Galieva氏(カザン連邦大学)に報告者を含めた4名により,チュルク諸語研究会を行っている。8月には,Waibel夫妻の家庭の事情(引越し),およびGalieva氏の帰国という事情が重なり,研究会が開かれたのは1度のみとなった(なおGalieva氏は欠席した)。フランクフルト滞在中の同研究会において,特にWaibel夫妻とのディスカッションにより得られたものは多大である。備忘も兼ねて,以下にチュルク諸語研究の問題点をまとめておきたい。
チュルク諸語には30余りの言語が属し,現在,ユーラシア大陸の東西に広く分布している。記録の残る最初期のものは,8世紀に遡るOld Turkicと呼ばれる言語である[von Gabain (1941), Erdal (2004)]。
欧州における近年の研究により,Old Turkicは必ずしも均質な存在ではなく,その内部に多様な変種を含むものであることが指摘されてきた[Berta (2005), ヨハンソン (2008)]。古代チュルク語は最初の分岐によりEast Old Turkic(以下EOT)とWest Old Turkic(以下WOT)に分化した。EOTは現存するほとんどのチュルク諸語の祖先である。一方,WOTに遡るチュルク語として現在まで残るのはチュヴァシュ語のみである。ただし,モンゴル語?スラブ諸語?サモエード諸語?ハンガリー語?コーカサス諸語(グルジア語など)には,WOTとの接触の跡が見られる。
報告者の研究するサハ語も,チュヴァシュ語を除く他のチュルク諸語と同様,EOTに遡る言語である。ただし,モンゴル語からの大量の借用語の中には,モンゴル語がWOTから借用したと見られる要素も含まれる。すなわちサハ語は,同一のチュルク語の中にEOTとWOTの両方の要素が混在することになり興味深い存在である。
一方,南シベリア地域のハカス語やショル語は,系統の異なる言語との接触が比較的少なかったこともあり,チュルク系語彙の含有率が最も高いチュルク語である。ただしこれらの言語は,標準語と現存する方言が食い違う(すなわち,すでに消滅した方言が標準語となっている)点が問題である。
日本や欧州を含め,チュルク諸語研究の現状はオグズグループ(トルコ語?アゼルバイジャン語など),キプチャクグループ(キルギス語?タタール語など),カルルクグループ(ウイグル語?ウズベク語など)に集中するきらいがある。チュヴァシュ語,ハカス語,ショル語,そして報告者の専門とするサハ語について,これまでに述べたチュルク諸語の史的展開および共時態を踏まえたより深い研究がますます必要とされる。
<引用文献>
Berta, A. 2005. Neue Erkenntnisse zum Westaltturkischen. Paper given at the 6. Deutsche Turkologenkonferenz, 23.-26. July 2005, Frankfurt am Main.
Erdal, M. 2004. A grammar of Old Turkic. Leiden & Boston: Brill.
von Gabain, A. 1941. Altturkische Grammatik mit Bibliographie, Lesestucken und Worterverzeichmis, auch Neuturkisch. Leipzig: Otto Harrassowitz.
ヨハンソン?ラーシ 2008. 「古代チュルク語の地域性,年代,時代区分,変種,接触,機能性についての覚え書き」 『東京大学言語学論集』 27号, 87-96.
[連絡状況]
上述の通り,受入研究員のWaibel氏は家庭の事情により多忙であるが,主に電子メールを用いて連絡を行っている。一方,呉人徳司准教授(日本における受入研究者)も,今夏は海外滞在が多く多忙を極めるが,やはり電子メールにより研究上の意見交換を行っている。