2011年11月 月次レポート(説田英香 ドイツ)
11月レポート 説田英香
派遣先 : ドイツ連邦共和国 フライブルク大学
今月始めに、ヘルベルト教授(受け入れ先指導教員)による、本派遣開始後はじめての博士論文指導が行われた。今回の指導内容は、報告者が先月提出した博士論文の構想についてであった(内容の概要については、9/10月レポートを参照)。構想のなかで報告者は、1983年に施行された「外国人帰国支援促進法」に対する反発の動きに焦点をあてた調査を行うとしたが、ヘルベルト教授からは、それらの動きが実際それほど大きなものであったかどうかは議論の余地があるとの指摘を受けた。また、メールを通じ、東京外国語大学の指導教員である相馬教授にも研究計画書に対する助言をいただいた。これらの指摘、助言を受け、11月は博士論文の構想の書き直しを行った。そこでは、80年代初頭ドイツ連邦共和国の外国人政策における「帰国促進政策」と「統合政策」の関係性に論点を絞り、70年代初頭から80年代初頭までの外国人政策の流れをまとめた。その中で、連邦政府が70年代初頭から掲げ続けてきた政策方針「非移民国」のもと、すでにドイツに長年居住し続ける外国人家族に対する「統合政策」がどのような位置付けにあったのかを問うた。また、外国人家族の滞在長期化に伴って変化する彼らの生活実態、顕在化しはじめる新たな諸問題、そしてそれらに対する諸政策とその結果の矛盾性に焦点をあて、70年代ドイツの複雑な「移民」状況をまとめた。これらは実際、博士論文の考察対象とはならないものの、問題提起の際、重要な背景となる。戦後旧西ドイツの外国人政策に関しては同時代のものも含め、多くの研究蓄積がある一方、常に政策と実態の矛盾性に焦点が当てられてきた傾向がある。また、実際の政策決定が移民政策史にも反映しており、当時、「統合政策」がどのように位置づけられてきたのかについては、まだ明らかとなっていない。この点は、「統合」に対する定義が研究上においてもまだ非常に曖昧である、という実態にも反映しているのではないかといえる。過去10年のドイツにおける移民政策を受け、ドイツの移民研究では「統合」が重要なキーワードとなっている。80年代初頭ドイツ連邦共和国の外国人政策史における「統合政策」の位置付けを問い直す作業は、なぜ「非移民国」の政策方針を掲げつつも、ドイツは「移民国」となったのか、というドイツ移民史において常につきまとってきた問いに対する一つの答えになると考えている。このテーマ設定については、今後具体的に論点を詰めていく必要があるが、当面はこの考えのもと、12月前半を目処に博士論文の構想を書き上げる計画にある。
また、先月のレポート内で言及した、各種利益団体の外国人政策に関する立場の動向に関しての調査は、上記の通り、論文の構想を変更する事となった為、一旦中断することとした。しかし、各種利益団体の外国人政策への参与は、実際論点の中心にはならないものの、当時の政策議論を考察していく上で切り離せない点であることから、それらについての調査はこの先の課題とする。また、先月から取り組んできた、ドイツ連邦議会による刊行物の分析についても同様、中断せざるを得なかった。しかし、外国人帰国促進政策と帰国促進法に関するそれらの史料収集は一段落したため、新たに問題設定を行った後、これらの史料の分析に入ることとする。12月には、博士論文の構想を提出した後、ヘルベルト教授の助言のもと、早速各文書館と連絡を取る予定でいる。
以上