川村 大 KAWAMURA Futoshi
- 役職/
Position - 大学院国際日本学研究院 教授
- 研究分野/
Field - 日本語学(日本語文法、文法論、古代日本語)
文法は現象を見るための“補助線”
暗記物を超えた世界へようこそ
私の専門は、奈良?平安時代の日本古代語の文法です。もっと詳しく言うと、学校文法でいう「助動詞」の用法を分析しています。
たとえば、助動詞「る?らる」は「受け身?自発?尊敬?可能」の4つの意味をもつと皆さんも習ったかと思います。でも少し考えてみると「その気がないのにそうしてしまう」という意味と「他の人から(何かを)される」という意味を、どうして同じ形が表せるのでしょう。そこで、「る?らる」は文の表すことがら(事態)に対して話し手がある特別な捉え方をしていることのマークなのではないか、という観点から研究を続けています。
ところで、なぜ外国語大学で日本の古代語を勉強しなくてはいけないのか、不思議に思う方も多いかと思います。そこには3つの理由があると私は考えています。
1つは、東京外大で日本や日本語について学ぶ留学生、日本人学生にとって、日本の歴史や文化を知る上で古代語は欠かせない素養だということです。文語文は、つい70年前まで実際に使われていた言葉なのですから。福沢諭吉や樋口一葉を研究しようと思ったら、文語文を読めなくては研究を続けられません。
2つ目は、上級?超上級の日本語を話そうと思えば文語的な言い回しに遭遇することが多いという点があります。例えば「~せずに」「~せよ」というのは文語的な表現ですし、不動産屋さんの店頭によくある「空き室あり」というのも文語です。こういった言い回しが古い日本語のなごりであるとわかれば、現代日本語の体系もより深く理解できるはずです。
そして3つ目が、現代日本語を相対化する視点を得られるということ。1つ例を挙げると、現代日本語では「してあげる?してくれる?してもらう」という表現をさかんに使いますが、実はこういった状況は江戸時代以降の比較的新しい傾向です。ではなぜ日本語はそんなふうに変わったのか、そんな視座も与えてくれるでしょう。
言葉というのは、多くの要素がからみあった複雑系です。主語だの動詞だのという文法用語は、普段意識しないで使っている言葉の背景にあるシステムを理解するための"補助線"と言うこともできます。現象を見るための道具立てですね。そうした補助線を駆使して言葉そのものに迫る。暗記物を超えたところに、実はどきどきするような「言葉の世界」が開けているのです。