春名 展生 HARUNA Nobuo
- 役職/
Position - 大学院国際日本学研究院 准教授
- 研究分野/
Field - 国際政治学、日本政治外交史
日本は世界とアジアをどのように見てきたのか
同じ事態に直面しても、人によって対応の仕方は違います。しかし逆に、同じ人が同じような状況に置かれると、似たような反応を見せるのではないでしょうか。これまで私は、国際政治学という学問が日本でたどってきた来歴を研究してきましたが、この研究には、人の行動を規定する個性的でやや固定的な思考様式を探るような面白みがあるのではないかと考えています。
2015年8月に出版した『人口?資源?領土――近代日本の外交思想と国際政治学』では、特にダーウィン進化論の受容と展開に焦点を当てて、国際政治学の成り立ちを描きました。今日でも「生存競争」や「自然淘汰」という言葉がさまざまな文脈で使用されていますが、19世紀後半、『種の起源』の刊行は、あらゆる社会科学にインパクトを与えました。そして日本では、この理論に依拠しつつ、人口、資源、領土の三要素に注目して国際関係を読み解く見方が立ち上がるのです。
人口が「過剰」であるという認識が資源や土地をめぐる国家間の闘争を引き起こすと考えた人々の間から、資源の分配や人の移動を国際的に管理しようという考えが出てくるのは驚くにあたりません。世界を一つの政治単位と見なし、その中で発生するさまざまな不均衡を調整すべく設定された大局的な視点が、最初期の国際政治学を特徴づけています。
しかし現代では、「外交」と「国際政治」という二つの言葉が互換的に使われているくらいですから、そのような視点はほぼ失われています。「安全保障」という概念は国際連盟の創設とともに登場したのですが、今やそれは一国の防衛と同義です。もともと国際政治学に内在していた大局的な視点が失われていった過程に、今は関心が向いています。
国際日本専攻で担当する「国際文化交流論」の授業では、アジアと日本の関係を歴史的に顧みる予定です。その際、同時代を生きた人々の認識に留意したいと考えています。そのような視点に立った歴史の回顧には、過去の行為を合理化してしまう危うさがともないます。しかし、あえてその危険を冒すのは、当事者たちの認識を知悉してこそ、それを相対化する「世界の視点」を獲得することができるのではないか、と考えているからです。