2011年8月 月次レポート(太田悠介 フランス)
ITP-EUROPA月次報告書(8月)
太田 悠介
ポルトガルのポルト大学を拠点として、一週間にわたって開催された国際学会「国境、移動、創造――現在(いま)を問うこと」への参加を終え、4日にパリに戻りました。連日朝から夕方過ぎまで個人発表が続き、さらに会期中の3日間は夜間に映画と演劇のプログラムが組まれていました。発表に集中できるように他のパネルへの参加を控えた発表当日を除けば、できるかぎり会場に足を運ぶように心掛け、最終的にはほぼすべての日程をこなしました。また、プログラムの合間をぬって食事などの機会を利用して、フランス、台湾、アメリカなど様々な地域から集まった学生や教授陣と親交を深めることができたのも、今回のポルト滞在で印象に残る思い出となりました。
(プログラムと報告論文集)
今回のポルト滞在では、研究の内容についてのみならず、研究の提示方法という形式についても考えさせられることが多くありました。もちろん研究の内容とそれを提示する形式とを厳密に分けることは不可能です。しかしながらそれと同時に、意味を伝えるための表現の仕方を徹底的に吟味する余地は十分にあると言えます。
「国境、移動、創造」という比較的幅広い枠組みの主題が設定されていたこともあり、学会には人文社会科学の分野全般から広範に参加者が集まりました。異なるディシプリンを背景に持つ者同士がつどう場では、発表者の用いる基本的な用語や概念が聴衆に必ずしも共有されているとは限りません。さらにはこれに、英語を母国語としない者同士が英語で議論するという、言語の制約も場合によっては重なります。したがって、発表者は自分の仮説を提出するコンテクスト、コンテクストにおける仮説の位置づけ、論証のための基本的な用語の概念定義などを、普段以上に明確にすることが求められます。これを怠れば議論の方向性が定まらず、説得力を持ちえません。とりわけいくつかの学生の発表ではこうした難点が散見されたように思われました。
説得力のある結論に導くためには、その前提となる土台をあらかじめ了解してもらい、確かなものとしておく必要があるという点は、研究の基本的な心構えとして渡仏前から西谷修教授につとに指摘されてきたことでしたが、ポルトで他の発表者の口頭発表を聞くにつれて、その必要性をいま一度強く実感するようになりました。
(ブロッサ教授の発表。質疑応答の際の様子)
そうしたなかでも、いくつかの刺激的な口頭発表に立ち会うことができたのは幸運でした。日本思想史を専門として現在はコーネル大学で教鞭をとっている酒井直樹氏の翻訳と境界線をめぐる発表や、パリ第8大学の指導教授アラン?ブロッサ教授のかつての教え子で、現在はリセで哲学を教えているフィリップ?コーミエール氏による、コルネリュウス?カストリアディス(1922-1997)の思想に依拠して政治体と国境の関係の問い直しを試みた発表などです。今振り返ってみれば、いずれの発表も最終的には専門的な議論に踏み込みながらも、その前提となる作業として、基礎的な理解の積み上げを細心の注意を払って行っていたように思われます。
私も口頭発表の際にはこの点を特に意識して臨み、ある程度の手ごたえを得ることができました。しかし、酒井氏やコーミエール氏の口頭発表と比較すれば、依然として改善の余地は多いにあります。ポルト滞在では研究発表のいわば範例に該当するような口頭発表に触れることができたわけで、この経験を今後の口頭発表や論文執筆の機会に生かしていければと考えています。
(4日目と5日目にシンポジウムの会場となったポルト現代美術館の内部)
ポルトでの発表原稿に目を通したブロッサ教授から、パリに帰国後あらためて文書で詳細なコメントをいただきました。まもなく大学の新年度が始まります。ポルトでの発表から得た成果と課題を今後博士論文の執筆に反映できるように努力を重ねたいと思います。