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2013年9月 月次レポート(蔦原亮 スペイン)

9月次レポート
マドリード自治大学
蔦原亮

 今月初頭、東京へのオリンピック招致が決定した時には日本中が盛り上がったそうであるが、スペインも、自虐的な形ではあるが大いに盛り上がっていた。メディアの論調は今回の圧倒的優勢からのマドリードの歴史的大敗は出しゃばりの政治家たちの能力の低さによるということで一致し、市長らは市民の怒りの矛先となった。
 もともと政治家や王族といった権威を扱ったジョークを国益そっちのけで好む国民が非常に多いこともあり、招致レースの前後一週間はニュース、新聞、人々の話題は招致レースでの政治家たちの珍プレーで占められていた。「失業のパーセンテージが高いようだが」という英語での質問に対し、「わが国のオリンピック用のインフラは80パーセント完成している」と英語で自信満々にニッコリ返答してみたり、聞き取れなかった質問に対し、"No listen the ask (「質問が聞き取れなかった」と言いたかったのだと思われる)!" と言ってみたり。特に、最終プレゼンでのボテジャ市長の「マドリードではぜひ、マジョール広場で"a relaxing cup of cafe con leche (coffee with milk) "を飲んでみてほしい」というスペイン語交じりの英語の一節はスペイン史に残りそうである。エキゾチックな効果を得るためにあえてスペイン語を混ぜてみたのだろうが、ボテジャ市長の発音があまりにもお粗末であったために、単に緊張してスペイン語が出てしまったようにしか聞こえなかったのが惜しい。マドリードの敗退が全て政治家の能力の低さによるというのは流石に乱暴であろうが、敗退の原因の多くはどうも彼らによるところが多いような気がしてならない。
 招致レース決着翌日、多くのマドリード市民が温かい祝福の言葉をくれたが、彼らは決まってその次に、「これがスペインさ」と付け加え、自嘲気味に笑うのであった。
 
 そんな今月の研究におけるハイライトはなんといっても18日から20日まで、サラマンカという街で行われた過去時制のみを扱う、非常に限定されたテーマの学会であった。サラマンカには以前長期にわたり滞在していたし、これまでに派遣者が幾度と無く著作を引用してきた先生方が多数出席されるということもあり、準備段階からかなり力が入っていた。
 この学会で、派遣者はスペイン語における点過去形と総称性を表す副詞の共起関係について論じた。先行研究などでは非文法的とされる両者の共起が必ずしもそうでないこと、使用頻度は高くないものの、両者を同時に使用せざるを得ない動機は確実に存在することを論じた。派遣者はこうした口頭発表の場において、内容を詰め込みすぎ、問題の所在をぼやけさせてしまうという悪癖があり、その矯正のために今回の発表の構成を練るにあたり、①スライドはタイトル、参考文献を除き、15枚以内に収める、②手持ちの時間は20分だが18分程度で話し終えられるように構成する、という二点の制限を自分に課した。
 その結果、これまでの口頭発表よりも論旨と問題の所在がクリアになったという手応えが得られ、また、発表を聴いてくださった方々の反応も上々であった。論旨を明確に伝えられたためか、発表後の質疑応答の時間や、休憩時間、カフェや食堂での非公式な第二ラウンドでも充実し、有意義な議論ができたと思う。
 そして今回の学会は参加者全員が時制というテーマを共有していることから、発表の多くは前提の説明を割愛した内容の濃いもので、興味深いものが多かった。これまでに派遣者の愛読してきた著作の著者たちの、母語話者の直観を最大限に活かした研究も興味深かったが、最も印象的だったのはヘルシンキ大学のKempas先生のアオリスト化した現在完了形に関する講演であった。非母語話者の、母語話者ではなかなか持ち得ないタイプの興味深い問題意識から始まった研究で、同じスペイン語を母語としないスペイン語研究者として、参考になるものが非常に多かった。
 来月も、一件、国際学会での発表がある。スペイン語の総称表現の語彙意味論的分類を提案するものである。今月の反省とサラマンカで得た刺激を反映させた発表となるようにしたい。
 また、来月、遂に身分証発行に必要な申請書類が受理される。移民の数が日々増え続けているスペインでは、身分証を得るために必要な書類の提出はすぐにできるものではない。「申請書類を提出するためのアポ」をとってから待つこと早五カ月。ついに書類を提出できることになった。が、当然、書類提出後、身分証の受け取りにはさらに時間がかかる。恐らく発給されるのは派遣者が帰国した後のことだろう。ビザ取得のための煩雑な手続きや、それに伴ってOFIAS事務局のみなさまにかけたご迷惑とご心配を思い出すと政治家たちに悪態の一つもつきたいところであったが、市井の人々の「これがスペインさ」という魔法の一言を試しにつぶやくと、腹立ちが少し紛れるようであった。なるほど。スペインにおける、政治の無茶苦茶ぶりと、それに憤る心の折り合いのつけ方も、今月は学ぶことができたようである。

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