2011年9月 月次レポート(太田悠介 フランス)
ITP-EUROPA月次報告書(9月)
太田 悠介
大学の登録、滞在許可証の更新など年度の始まり恒例の事務手続きは、今年ですでに三度目ということもあり、スムーズに終わりました。また、現在の居住先であるパリ学生都市の更新手続きも済み、昨年度と同様にアルゼンチン館に引き続きとどまることになりました。
肌寒かったそれまでとは打って変わって9月のパリは記録的な猛暑となったため、少しでも快適な環境を見つけようとアルゼンチン館の図書室、学生都市の中央図書館、フランス国立図書館など、時おり場所を変えながら研究を進めました。今月は特に、1939年生まれの哲学者ミゲル?アバンスールのテクストの読解を進めました。フランスでの知名度はそれほど高くなく、日本でも訳書の出版はありませんが、最近になって様々な場面でその名前を見かけることが多くなってきました。今年の5月には私の在籍先のパリ第8大学がアバンスール本人を招き、その名を冠したコロック「ユートピアの非現在性?――ミゲル?アバンスールへのオマージュ」が開催されています。
宇野重規氏の『政治哲学へ――現代フランスとの対話』(東京大学出版会、2004)によれば、今日フランスで「政治哲学」と呼ばれる潮流には、大まかに三つの方向性が存在します。すなわち、レイモン?アロン(1905-1983)に代表されるマルクス主義批判に由来する流れ、ルイ?アルチュセール(1918-1990)によるマルクス主義の再定式化の流れ、雑誌「社会主義か野蛮か」を中心に集い、マルクス主義内部の少数派としてソビエト体制の批判的分析から出発したコルネリュウス?カストリアディス(1922-1997)、クロード?ルフォール(1924-2010)の流れであるとされています。
マルクス主義が経済的審級による政治への作用を過剰に重視してきたとみなすこの第三の潮流からは、この政治と経済の関係をちょうど逆転させるような考え方が生まれてきました。なかでもルフォールは、社会の中に存在する様々な対立を政治の領域と経済の領域、あるいは公的領域と私的領域といった分節化によって処理する仕方のうちに、その社会固有の構成原理が宿っているのであって、これこそが、分節化の結果はじめて現れる「政治(la politique)」の領域とは区別されるべき「政治的なもの(le politique)」であると主張します。この「政治的なもの」への定位を起点として、その後ルフォールは「民主主義」の誕生の意味とそれに原理的に対抗する運動としての「全体主義」を中心に据えた独自の思想を展開してゆきました。
アバンスールの仕事をたどってみると、彼がこの第三の流れを汲む思想家であり、とりわけルフォールの思想の継承者であることが分かります。アバンスールはまず、シモーヌ?ヴェイユ(1909-1943)、ピエール?クラストル(1934-1977)、ルフォールらによる解説を加えたエティエンヌ?ド?ラ?ボエシー(1530-1563)『自発的隷従論』(Etienne de La Boetie, Le Discours de la servitude volontaire, Payot, 1976)や、クラストルの思想をめぐる論集『野蛮な法の精神――ピエール?クラストル、または新しい政治人類学』(L'Esprit des lois sauvage : Pierre Clastres ou une nouvelle anthropologie politique, Seuil, 1987)に編者として関わっていました。ド?ラ?ボエシーとクラストルは、社会の分裂の抹消を目指す国家に内在する「一者(l'Un)」の論理の支配とこれに抗する社会の内部に保存された対立を対照的なものとして把握し、それぞれの仕方で考察した思想家として、ルフォールに多大な影響を与えています。同様にアバンスールもまたふたりの思想を踏まえています。さらに、「全体主義」論として、ルフォールとともにエリアス?カネッティ(1905-1994)の群衆論から着想を得た『密集について――建築と全体主義体制』(De la compacite : architectures et regimes totalitaires, Sens&Tonka, 1997)、「民主主義」論としては初期マルクスの「民主主義」概念の再興を試みるアバンスールの主著『国家に抗する民主主義――マルクスとマキャベリアン?モーメント』(La Democratie contre l'Etat : Marx et le moment machiavelien, Felin, 2004)がすでに刊行されています。このように、アバンスールの思想を全般的に振り返ってみると、ルフォールの思想の発展的な展開という側面が色濃くあります。逆の観点から見れば、アバンスールを通じて、今度はルフォールの思想の意義がよりいっそう明らかになるとも言えます。
上記の宇野氏による「政治哲学」の三類型にしたがうならば、これまでは第二の潮流に該当するアルチュセールおよびバリバールの思想にとりわけ着目して研究を進めてきました。しかし、アバンスール、ルフォールらは同時代の思想家として、取り扱う主題が重なり合うところも多くあるため、こうした問題の近似性を無視して研究を進めることはできなくなりつつあります。今後は両者のさらなる読解を進め、最終的に博士論文に盛り込むことができるようにしたいと考えています。