2011年3月 月次レポート(横田さやか イタリア)
月次レポート 2011年3月
博士後期課程 横田さやか
派遣先:イタリア、ボローニャ大学
ボローニャでは今月初頭に再び雪が降り、冬が舞い戻ったかのような寒い日が続いたが、月末にはようやく太陽の暖かい日差しが感じられるようになった。
今月の初めに、カタクロ(kataklo)による公演、Love machines(初演2010年、イタリア。ジュリア?スタッチョーリ演出)を、ボローニャの劇場、テアトロ?デッレ?チェレブラツィオーニにおいて鑑賞した。カタクロとは、2006年トリノ五輪開会式でパフォーマンスを披露した、ダンスや体操に基礎をもつパフォーマーたちで構成されるフィジカル?シアターである。中村龍史演出によって生まれたマッスル?ミュージカルに共通する、新たなシアター?パフォーマンスともいえるだろう。カタクロの舞台空間では遠近法の概念が取り払われ、宙づりの状態や壁面でのパフォーマンスが繰り広げられる。Love machinesでは、舞台装置は可動式の三角柱の装置のみであり、この断続的に置かれた三角柱の斜面をロン?ドゥ?ジャンプや側転をしながら自在に飛び交うことによって、斜面上でのパフォーマンスが実現する。アクロバティックな軽業のみならず、身振りのひとつひとつが実に彫刻的で、そのポージングはニジンスキー的な魅力を感じさせる。ポージングのひとつひとつの視覚的効果が圧倒的な造形的美しさを見せていた。ただ、演出面において惜しまれるのは、見せ場にあって観客の視点をそこへ集中させられていないように思われたことだ。全般的に、観る者の焦点に配慮すべき演出的な周到さに欠けるように感じられた。とはいえ、カタクロのパフォーマンスは身体表現の無限性を立証しており、今後の演目が更に洗練され進化されることが大いに期待される。
研究については、引き続き執筆中の論文の完成を目指し取り組んでいるが、非常に興味深い資料を見つけたため、それを考察に反映させるべく論文全体の章構成を根本から再検討する必要に迫られた。アントン?ジュリオ?ブラガーリア(1890-1960)が1933年、34年に『イタリア新聞』や空軍雑誌『イタリアの翼』に発表した、舞踊にまつわる手記である。ブラガーリアは、マリー?タリオーニのバレエと、未来派美学にも同様の傾向が見られる当時のモダン?ダンスのダイナミックな振付け、跳躍によってより自由に空へ舞おうとするダンスを「空中ダンス」と総称して考察を試みている。新たな「空中ダンス」についてかれの考案は未完成に尽きたといえるが、いくつかの点においては報告者の視点と類似した比較検討を行っており、それを論文に反映させるため章構成を改めた。また、とりわけ励みとなったのは、舞踊研究者でありボローニャ大学を退官されたカジーニ?ローパ教授率いる「ダンスと研究」会の会合に、ボローニャ大学の指導教授よりご紹介いただき、参加させていただいたことである。現在取り組んでいる論文はこの会のウェブ?マガジンに発表させていただく予定であり、会合では進捗状況や直面している課題などを報告し、ご指導を仰いだ。また、ひと月を通して大学院博士課程のセミナーにも欠かさず参加し知識を深めた。
しかしながら、月の半ば以降、心落ち着かぬ日々が続き、手元の課題に集中しようと努力するも虚しく、結果的に当初の計画よりも進捗状況としては大幅に遅れをとった。来月は自らの務めに専念し、遅れを挽回したい。
最後に、月次レポートの主旨とは離れるが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震に関して、ここに短く記すことをお許しいただきたい。
震災のニュースはイタリアでも連日トップニュースとして報道された。報道では、津波による被害、原子力発電所の事故と人的被害の他に、被災した日本人の対応に話題が集中した。イタリアの人々にとって、地震?津波の恐怖は記憶に新しい。津波といえば、イタリアからも被災者が出た2004年のスマトラ島沖地震での津波被害を思い起こさせる。tsunamiという日本語がイタリア語の語彙に定着したのはこの災害からであり、イタリアの二大有力紙であるラ?レプッブリカ紙とコッリエーレ?デッラ?セーラ紙の両紙ともが、日本が受けてきた津波被害の歴史を報じるにあたって愛好者の多い浮世絵から葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を載せた。またイタリアでは、2009年にラクイラで大きな地震が発生したばかりであり、その悲しみは今も人々の胸に強く残り、復興への努力が現在も続いている。被災地の悲惨な状況と先の見えない恐怖とが伝えられると同時に、繰り返し聞かれたのが、パニック状態に陥らない街の様子に対して、日本人はなぜこうも落ち着いていられるのかという驚嘆の声だった。強い地震の恐怖下にあっても冷静に助け合う人々や、忍耐強く適切に行動する人々の様子が度々報じられ、賛嘆された。あるニュースでは、日本人は「勇気と威厳のある国民」と讃えられた。ラクイラでの復興活動にあたる責任者は、復興にあたって日本の耐震構造技術を採用したが、大変助けていただいたから、今度は自分たちイタリア人が日本を助ける番だ、と声を強めた。このように絶えず報道される震災のニュースにたくさんの方が心を痛め、報告者にも、友人知人、ボローニャ大学の先生方、見ず知らずの方までもが声をかけてくださった。亡くなられた多くの方々のご冥福を祈り、被災された方々に安心して暮らせる日が早く訪れることを願いつつ、イタリアでも「わたしたちの心は日本の人たちとともにあります」と多くの方が想いを寄せてくださっていること、同時にたくさんの人によって一刻も早い復興を願う強い祈りが捧げられていることを、この場をお借りして記させていただく。