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2009年10月 月次レポート(石田聖子 イタリア)

月次レポート
                           (2009年10月、博士後期課程 石田聖子)(派遣先:ボローニャ大学 [イタリア])

  今月から大学の講義が始まり、研究上有益と思われる講義の幾つかに出席した。興味を惹く講義は数多いが、イタリアの大学では、通常、同一講義が週に六時間にわたり開講されるため、出席する講義の数を思い切って絞らないことには、講義内容を充分に消化することも、自身の研究遂行も困難になると判断し、迷いに迷った末、そのうちの二つに定期的に出席することにした。そうして確定した講義の時間割をもとに、その空き時間や講義後に、主に図書館を利用して自身の研究にあたることに決めたことで、生活と研究のリズムがいくらか整ってきたように思われる。
  講義に関連しては、特に、受講を決めた講義のひとつである「20世紀イタリア詩」を講じるNiva Lorenzini(ニヴァ?ロレンツィーニ)教授が講義中で派遣者の研究対象の作家のひとりAldo Palazzeschi(アルド?パラッツェスキ)に触れることを知り、早速、同作家に関して相談に赴いた。その際に簡単に紹介した派遣者の研究内容に関心を持ってくださり、教授には、今後も必要な際に指導を受けに訪れるということで承諾を得た。また、パラッツェスキ講義に際しては、パラッツェスキに関して複数の論文をもつFausto Curi(ファウスト?クーリ)同大学教授を招いての特別講義を企画してくださった。なかでも、クーリ教授によるパラッツェスキ初期詩作品の朗読は、20世紀初頭、深い絶望と苦悩の末に伝統との訣別を決し、代わり到来する笑いの時代を華々しく讃えるパラッツェスキの初期詩作品に込められた(一見楽観主義的に見えるがその実は悲壮な)意志を生々しく感じさせる、大変感動的なものであった。パラッツェスキ作品は強い音楽性と身体性に裏打ちされており、朗読の重要性こそ心得ていたものの、教授の朗読は、派遣者自身が朗読するのとはまったく違った効果を与えるもので、派遣者の研究に新たな刺激を与えるものとなった。
  ボローニャ大学側の指導教員であるマンゾリ教授からは、博士論文の詳細な章立てと内容に関する計画書、及び、文献目録等、派遣者が持参した資料をもとにした指導を受けた。指導教員は、これまで専ら文学の分野からのアプローチを試みていた派遣者の研究内容に、映像分野の専門家ならではの視点からの助言をくださった。具体的には、20世紀初頭の笑いの表象と身体の関係に関する考察を深めるに参照すべきフィルムや作家、演技者名の提示、当時の映画や舞台と観客との関係を解説してくださった。なかでも、そうした現象を"イタリア性"との関連でひも解いてくださったことは示唆深く思われた。笑いという現象が、本質的に境界横断的であることは、「イタリア」という限定を掲げて笑いの表象の考察を行う派遣者にとり長く課題であったため、教授の指摘はきわめて有効な視点に思われた。以降、それらアドバイスを咀嚼しながら研究内容の見直しを図っている。
  面会時間以外でも、指導教員には、いくつかの大学関連のイベントに誘っていただき、その折に、そうした場ならではのかしこまらない意見交換ができたことも、派遣者にとっては大変貴重な経験となった。
  上記の通り、今月は、研究に関してはまずまずの成果を得たが、一方の生活に関しては苦労の絶えない期間となった。先月末に確保し来月より入居予定だった物件をめぐり現入居者と借家業者との間でトラブルが発生したことから、再度、物件探しに奔走することとなったためである。研究の傍ら、物件情報サイトを閲覧し、大学周辺の路上に貼られた掲示をあたり、あるいは、不動産屋を巡り、実際に少なからぬ数の物件に足を運んだ末に、ようやく、派遣者の条件に該当する物件を確保した。今後つつがなく研究生活を送る上で、最低限の条件を満たす環境確保は絶対的に必要ではあるものの、今回の物件探しに要した時間と労力は予想を上まわるものであったため、物件探しに必要以上に執着して研究に悪影響を与えないよう、生活と精神を律する必要を強く感じる一ヶ月でもあった。


Ishida10-1.JPG 
自習によく利用するボローニャ市立図書館 "Biblioteca Salaborsa"の様子。
モダンな内装だが、ガラス張りになった床下にはローマ時代の遺構が見られる。


 

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