2010年9月 月次レポート(山﨑美保 インドネシア)
ITP報告書(9月分)
報告者:山﨑美保
8月に引き続き、ガジャ?マダ大学の考古学専攻図書室での資料収集を行った。また、プランバナン寺院近くの古代遺物保存局(Balai Pelestarian Peninggalan Purbakala Yogyakarta)の図書室を訪問し、刻文に関する資料を見せて頂いた。
9月はイスラームの断食明けの休日があり、ガジャ?マダ大学考古学専攻の図書室も2週間ほど閉室された。その間、図書室等での資料収集が困難なため、東部ジャワのマランとモジョクルトに赴き、チャンディ等の遺跡、博物館をまわった。マランでは、その周辺にあるシンガサリのチャンディなど5箇所のチャンディを調査した。モジョクルトでは、マジャパヒト時代(13世紀~15世紀頃)の遺跡が残るトロウランを訪れ、マジャパヒト時代のチャンディ、考古博物館などをまわった。左の写真は今回訪れたマジャパヒト時代のチャンディのひとつ、チャンディ?ウリンギンラワン(Candi Wringinlawang)。寺院ではなく入り口、門である。マジャパヒト時代のチャンディは、このようにレンガ造りが一般的で中部ジャワのものと比べて背が高い。トロウランの考古博物館には、東部ジャワで発見された数多くの刻文や彫像等が展示されている。しかし個々の刻文には名前等の情報が記載されておらず、刻文の詳細は不明である。写真撮影も禁止されており、刻文の同定ができないのが残念である。東部ジャワの他の地域、クディリやシドアルジョなどにもマジャパヒト時代以前のチャンディ等の遺跡が数多くあるようだが、今回は情報不足で他の地域の調査はできなかった。
ジョグジャカルタでもいくつかの刻文が展示されているソノブドヨ博物館等を訪れたが、展示されている刻文の名前や年代の情報が記載されているものはほとんどなかった。今回の調査で改めて実感したのは、博物館では刻文の詳細が提示されておらず、どの刻文がどこに所蔵されているのか、断定することが難しいことである。おそらく各博物館において所蔵刻文のリストは存在するが、それが一般に公開されることがない。例えば、上記の古代遺物保存局では、2007年に当局で保管されている刻文のローマ字転写、インドネシア語訳が記載された本が出版されているが、一般には手に入らず、私自身図書室を訪れるまでその存在を知らなかった。今後、研究を行ううえで、第一に刻文の所蔵場所を含めたリストを作成することが重要であると改めて認識させられた。