今日のアフリカ

  • Home
  • 今日のアフリカ

今日のアフリカ

最新10件

シェルはナイジャー?デルタから撤退するか?

2024/11/10/Sun

 ナイジェリアのナイジャー?デルタで石油採掘を続けてきたシェル、エクソンといった大手石油会社が、同地域から撤退し、オフショア生産に切り替える意向を示している。特に、最大手シェルの動きが波紋を広げている。これに関して、11月6日付ファイナンシャルタイムズが興味深い記事を掲載している。  シェルは子会社のShell Petroleum Development Company of Nigeria (SPDC)を地元企業のコンソーシアム(Renaissance Africa Energy) に売却する手続きを進めていたが、先月ナイジェリア規制局はその売却を認めない決定を下した。その結果、SPDCは操業も売却もできない宙づりの状態になっている。  SPDCは、ナイジェリア最大で、最も歴史ある石油会社である。3,173kmのパイプライン、263の油井、56のガス田、6つのガスプラント、2つの輸出港、発電所1つを所有する。SPDCの資産を管理するSPDC JVは、SPDCが30%、国有企業のナイジェリア国家石油会社 (NNPC)が55%、TotalEnergiesとAgipがそれぞれ5%を所有しているが、シェルが強力な意思決定権を持っている。  シェル側は、SPDCをナイジェリア企業に売却したい意向を明らかにしている。ナイジャー?デルタ地域におけるシェルの活動には、複雑な過去がある。石油採掘に伴う環境汚染が地元コミュニティの反発を生み、オゴニランドで住民が反対運動を展開。1995年には指導者の一人ケン?サロ=ウィワが、軍事政権に処刑される事態に至った。  シェルのパイプラインは何度も流出事故を起こしており、ナイジャー?デルタに深刻な環境被害を与えてきた。2011年、UNEPは、オゴニランドの汚染に深刻な懸念表明している。  原油流出の背景には、パイプラインや掘削インフラの老朽化に加えて、石油を盗むためパイプラインが意図的に破壊されるという実態がある。ナイジェリアの1日あたり原油生産量は約130万バレル(2024年9月)だが、毎日30万バレルが窃盗や妨害活動などで失われているという。  地元NGOは、コミュニティとの十分な話し合いのないままシェルが撤退することは許されないと主張している。また、シェルは国際的な評判を気にしていたが、ナイジェリア企業が経営権を握れば汚染がさらに進むとの懸念もある。  多国籍企業は自らの活動にどこまで責任を負うべきか。グローバリゼーションによって民間部門の力が巨大になる中で、その社会的責任をめぐる議論はいっそう高まることだろう。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ティアロワイの虐殺をめぐるセネガル?フランス関係

2024/11/09/Sat

 1944年12月、ダカール郊外のティアロワイ(Thiaroye)基地で、フランス兵士が多数のアフリカ人兵士を殺害する事件が起こった。事件から80年後の今日、改めてフランス側の対応が問われている(11月7日付ルモンド)。  アフリカ人兵士はいわゆる「セネガル騎兵」で、仏領西アフリカから徴集されて、ヨーロッパ戦線へ送られた。その後セネガルに戻った兵士たちが待遇への不満から蜂起し、鎮圧によって多数が殺害されたのである。犠牲者の数は30人とも300人とも言われ、正確にわかっていない。この事件は以前「反乱」と呼ばれたが、2014年に当時のオランド仏大統領が「血なまぐさい抑圧」であったと認め、現在では「ティアロワイの虐殺」と呼ばれることが一般的である。  今年の6月、フランス側が、犠牲者のうち6人に対して「フランスのために死す」という称号を与える決定をしたことで論争が再燃し、ソンコ首相はフランスの対応に不満を表明した。  ソンコ首相やジョマイ?ファイ大統領は、これまでこの問題が正当に扱われてこなかったと考えており、フランスが植民地期の文書を完全に公開していないとの不満を持っている。  コロンビア大学のセネガル人歴史学者ママドゥ?ディウフによれば、「ティアロワイの虐殺は、過去数十年、政治的にアンタッチャブルだった。歴代のセネガル大統領は、この問題に触れてフランスとの関係を悪化させることを恐れてきた。初代大統領で詩人のサンゴールは自作の詩の中でこの虐殺を糾弾したが、彼でさえ在任中にこの問題を持ち出すことはなかった。ミッテラン政権下、ウスマン?センベーヌの映画「ティアロワイ基地」は、上映禁止処分を受けた。今日、新たな政権の下で、この記憶を妨害する試みが解体されている」とコメントした。  ソンコ首相の側近は、「何人が殺されたのかもわかっていない」として、完全な文書開示を求めている。10月半ばには、ジョマイ?ファイ大統領とマクロン大統領が電話会談し、セネガル側は改めて文書の完全開示を求めた。セネガルの歴史家やアーキビストがフランスを訪問して、文書を確認することになっている。  フランス側では、メランシャン党首率いる左派政党「不服従のフランス」(La France Insoumise)がセネガルの動きを支援し、議会での調査委員会設置も提案する構えである。  12月1日の虐殺80周年式典には、フランス大統領も招かれている。マクロンはまだ出欠を明らかにしていないが、いずれにせよ難しい対応を迫られることになる。  植民地期の記憶をめぐる問題は、マクロンが力を入れて取り組んできたものだ。しかし、旧宗主国側がコントロールできる問題ではないことは、例えば日韓関係を考えても明らかだ。フランスとアフリカの関係も、日韓関係とパラレルな局面に入りつつあるのだろう。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

マクロン仏大統領のモロッコ公式訪問

2024/11/04/Mon

 10月28~30日、フランスのマクロン大統領がモハメドVI世の招待に応じてモロッコを公式訪問した。国賓待遇での訪問に、9人の閣僚(経済、外務、内務、軍事、高等教育、等)と約40人の企業経営者が同行した。  フランスとモロッコは、移民に対するビザ発給厳格化などの問題をめぐってギクシャクした関係が続いていたが、今年7月末にフランスが西サハラ政策を転換してモロッコの立場を認めたことで、両国関係は大きく改善した。これが、今回の公式訪問の背景にある。  マクロンは29日にモロッコの議会で演説し、両国間に「新たな戦略的枠組み」を構築することを提唱した。事実上、EU以外で最重要のパートナーシップを結ぶことを意味する。モロッコの独立を認めた1955年11月6日のラ?セル=サン=クルー宣言から70年となる来年に予定されているモハメドVI世の訪仏時に、パートナーシップ協定が締結される方向が示された。  モロッコとの関係改善に関して、ルモンド紙は2つの懸念点を指摘している(10月29日、30日付)。第1に、西サハラに対するモロッコの主権を、EU司法裁判所が認めていないことである。今年10月4日、同裁判所は、EUとモロッコが結んだ農業、漁業に関する協定2件を無効と判断した。西サハラ(サハラウイ)人の自決原則を無視したとの判断である(10月4日付ルモンド)。この地域の開発にはデリケートな問題が残る。  第2に、アルジェリアとの関係である。モロッコとアルジェリアは西サハラ問題を中心に対立が深まり、両国は国交を断絶している。モロッコに接近するフランスに、アルジェリアは不満を募らせている。マクロンは議会演説で、フランスの西サハラに対する方針転換が、「誰に敵対するものでもない」と強調したが、そのメッセージはアルジェリアには届いていないようだ。ルモンド紙は社説でフランス?マグレブ関係が「ゼロサムゲーム」に陥っていると懸念を表明している(30日付)。  マグレブ三国は、アフリカの中でもフランスとの関係が歴史的に最も深く、市場規模も大きい。それだけに複雑な相互関係が展開されている。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ボツワナの選挙で与党が大敗

2024/11/02/Sat

 ボツワナの選挙で与党のボツワナ民主党(BDP)が大敗し、独立以来初めての政権交代が見込まれている。  1日、マシシ(Mokgweetsi Masisi)大統領は、30日に行われた選挙について敗北を認め、支持者に平静を呼びかけるとともに、スムーズな体制移行を支援すると述べた。人権弁護士のボコ(Duma Boko)率いる民主的変化のアンブレラ(UDC)が、61議席中25議席を確保して優位に立っている(1日付ファイナンシャルタイムズ)。ボツワナでは議会で大統領が指名される制度であるため、31議席を確保した政党から大統領が出ることになる。  BDPは1966年の独立以来政権を担ってきたが、ここ数年は経済不振や汚職などのために支持率が下がり、内部分裂が進んでいた。初代大統領の息子で、2008~18年に大統領を務めたカーマ(Ian Khama)は、マシシとの不和からBDPを脱党し、国外に逃れていた。  1日付ルモンドによれば、同日朝の段階では、ボツワナ会議党(BCP)が7議席、ボツワナ愛国戦線(BPF)が5議席を獲得する一方、BDPは1議席のみの獲得に留まっている。当面の焦点は、UDCが単独過半数を獲得できるのかにある。  与党が早い段階で敗北を認めるのは、アフリカでは異例と言ってよい。マシシが述べるような、スムーズな政権交代になってほしい。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ガボンの憲法草案

2024/10/30/Wed

 10月21日、ガボンで憲法草案が発表された。この草案は、11月16日に国民投票に付される。25日付ルモンド紙は草案について、2023年8月にクーデタで実権を握ったオリギ=ンゲマによる統治を想定した内容だと報じている。  草案には、前大統領アリ?ボンゴ時代の不満が反映されている。大統領は7年任期で1回のみ再選可能とされるが、「任期満了に際して、パートナーや子孫を後継者に据えることはできない」という条項が加えられた。父親を継いで大統領職を務め、父子で半世紀以上も政権を独占したボンゴ一族が念頭にある。  また、立候補資格に国籍条項が加えられた。今後は「少なくとも両親の一人はガボン人で、ガボンで生まれ、ガボン国籍のみを持つ者。そして、少なくとも両親の一人がガボン人で、ガボンで生まれたガボン人と結婚し、大統領選挙の前の少なくとも3年間は連続してガボンに居住している者」が立候補資格を得る。  クーデタを主導した人々を中心に、アリ?ボンゴ時代、特に彼が2017年に脳出血で倒れて以降は、ガボンが外国人に支配されたという意識がある。アリの妻シルヴィアはフランス人で、息子のヌレディンとともに二重国籍を保持する。アリが健康を害すると、妻や息子、そして「外人部隊」と呼ばれる取り巻きが、政治の実権を握ったと言われる。一方、野党勢力は、この条項がガボン人のなかに差別を生み出すとして、反発している。  大統領に強い権限が付与されたことも、この草案の特徴だ。首相職が廃止され、大統領は、閣僚の任免権、議会の解散権、さらに副大統領の任免権を持つ。大統領は、軍のトップも兼ねる。クーデタ後に軍事政権トップを務めるオリギ=ンゲマが、そのまま大統領に横滑りすることを見越した内容とも読める。   ボンゴ一族による政権支配への不満から、オリギ=ンゲマへの国民の支持は高い。国民の支持が期待できる間に大統領に強い権限を付与した憲法を採択し、自分が大統領選挙に出馬して政権を握る。そうしたシナリオが明らかになってきた。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

多発する洪水被害

2024/10/23/Wed

 サヘル地域を中心に、アフリカの広い地域で豪雨と洪水の被害が報道されている。国際NGOのセーブ?ザ?チルドレンが15日に発表した報告書によれば、ナイジェリア、マリ、ニジェール、コンゴ民主共和国などで前例のない降雨があり、多くの被害が出ているという(16日付ルモンド)。  この報告書の主眼は、洪水により学校に行けない子供が急増していることにある。その数は1000万人に上るという。貧困や紛争などのため学校に行けない子供がすでに3600万人に達しており、それに加えての数字である。  今年は雨期の開始以来、各地で被害が報告されている。9月にはナイジェリア北東部で豪雨によりダムが決壊し、マイドゥグリ市全域が水に浸かった。これにより30人が死亡し、40万人が被災したと報じられている(9月11日付ルモンド)。他に、チャド、ブルキナファソ、ギニア、カメルーンなどでも、多雨と洪水による被害が報告されている。  ここ数年、洪水の被害が頻繁に報じられるようになった。気候変動による世界的現象とも言えるが、アフリカの場合、被災者の規模が桁外れに大きい。子供の就学を阻害する状況だとすれば、長期的影響が深刻に懸念される。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

カメルーン?ビヤ大統領の健康をめぐる噂

2024/10/20/Sun

 カメルーンのポール?ビヤ大統領が長く姿を見せず、健康状態について憶測を呼んでいる。ビヤは91歳で、1982年以来同国の大統領を務めている。9月上旬に北京で開かれた中国?アフリカサミット(FOCAC)に出席した後、国連総会や仏語圏サミット(OIF)といった重要会議に姿を見せず、死去したのではないか、という噂が流れている。  10月8日、政府は、大統領は元気でジュネーブに滞在しており、もうすぐ帰国するとの声明を発表し、10日にはメディアに対して、大統領の健康について言及することを公式に禁止した(11日付ルモンド)。  ビヤは以前から頻繁にジュネーブに滞在し、「インターコンチネンタル?ホテルの大統領」との異名を持つ。2004年に3週間不在にした際も、死去したとの噂が流れた。  アフリカは世界で最も平均年齢が若い地域だが、老齢の政治指導者が長期にわたって政権を握ることが多い。ビヤは世界で唯一の90歳を超える国家元首で、アフリカ政治の老人支配の代表格である。他にも、エリトリアのイサイアス、コンゴ共和国のサス=ンゲソ、ジンバブウェのムナンガグワなどが頭に浮かぶ。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

ナミビア、生きたシロサイを米国へ輸出

2024/10/16/Wed

 ナミビアの環境林業観光省(MEFT)は、10月10日、生きたシロサイ42頭の米国への輸出を承認したと発表した。  MEFTの広報担当のロメオ?ムユンダ氏は、輸出は合法的であり、絶滅のおそれのある野生生物の種の国際取引に関する条約(CITES)とナミビアの法律の両方に従っていると強調した。ナミビアでは、絶滅危惧種のクロサイは国有であるが、シロサイは他の狩猟動物と同様に個人所有が可能である。現時点では、個人所有の狩猟動物の取引を禁止する法律は、ナミビアには存在しない。  一方、MEFTは、繁殖目的でのシロサイの輸出に懸念を示している。背景には、南アフリカからナミビアを経由して米国にシロサイを輸出する慣行がある。南アフリカでは米国へのサイの輸出が禁止されているため、その回避策としてナミビアを仲介させているのである。今回の輸出は、DNA分析により全頭がナミビアに起源をもつため、この慣行には当てはまらないが、MEFTは今後、シロサイの個人所有者と協議し、輸出に関する新しい規制を策定することを表明した。  南アフリカやナミビアは、植民地期に起源をもつ娯楽目的のスポーツ?ハンティングが盛んな地域である。ナミビアでは、シロサイをはじめ個人所有の狩猟動物の多くは、植民地期に入植した白人の子孫らが所有する商業用農地で暮らす。共有地と名を変えたかつての黒人らの居住地(ホームランド)においても、独立直後から新自由主義にもとづくコミュニティ?ベースの自然資源管理(CBNRM)が導入されている。  野生動物を取引可能な商品とみなす新自由主義的な発想は、近年の動物福祉や倫理的問題への関心の高まりと相反する。現に今回のMEFTによる声明も、環境保護活動家らによる抗議を受けて出されたものである。人間中心主義の行き着く果てに明るい未来がないことは、他の環境問題をあげるまでもなく明らかだろう。(宮本佳和) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

マリの首都にジハディストの攻撃

2024/10/05/Sat

 9月17日早朝、マリの首都バマコでジハディストの攻撃があった。憲兵隊訓練施設(L'ecole de gendarmerie)と空港が襲撃され、70人が死亡、200人が負傷した(9月19日付ルモンド)。同日昼前、アルカイダ系の武装勢力GSIM(JNIM)が犯行声明をだした。  軍事政権下のマリでは西側の報道機関の活動が制限されており、この事件についても目立った続報はない。しかし、この事件は、マリ政権内に深い衝撃を与えていると思われる。事件は独立記念日(9月22日)の直前に起こり、首都の憲兵隊と空港という国防の中核が襲撃され、多大な犠牲者を出した。  ジハディストによるバマコへの攻撃は、2016年以来初めてのことである。GSIMはこの7月末にも、分離主義勢力との共同作戦によって、北部で政府軍とロシア兵(旧ワグネル)に甚大な被害を与えている。今回の事件は、ジハディスト勢力の影響が、いよいよ首都にも迫ってきた可能性を示唆する。  2020年8月以降、マリで軍事政権が誕生し、フランス軍が撤収を余儀なくされた背景には、文民政権とフランス軍がジハディストの進攻に対応できていないという批判があった。その批判が、軍のクーデタ、そしてフランス軍に代わるワグネルの導入に正当性を与えてきた。今回の攻撃は、そうした正当化の根拠に疑問を投げかけることになろう。 (武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ

美術品返還をめぐる議論

2024/09/29/Sun

 ヨーロッパ諸国が植民地支配に伴ってアフリカ大陸から持ち去った美術品に関して、ここ数年来返還の動きが強まっている。フランスでは、2017年にマクロン大統領がブルキナファソ訪問時に美術品返還の方針を示し、2018年にはセネガル人フェルウィン?サール(Felwine Sarr)とフランス人ベネディクト?サヴォイ(Bénédicte Savoy)という二人の研究者が執筆した返還に向けた報告書が公表された。しかし、返還の具体的な進め方については、議論百出でまとまっていない。28日付ルモンド紙のTribune(意見表明欄)に、興味深い意見が掲載されたので、紹介する。フランソワ?ブランとジャン=ジャック?ヌールによるものである。  美術品返還問題に関しては、2つの極端な立場が対立している。一方は植民地期に収奪された品々の返還を要求する声であり、もう一方はヨーロッパの収集品を世界的な至宝として厳格な保全を訴える声である。  美術品返還は当然の要求であり、それに対応する形で2020年にはフランスからベナンやセネガルに返還がなされた。一方、西側の大きな美術館に美術品を置くことで、知られざる文化に光を当てるという意味もある。ロンドンの大英博物館やパリのケ?ブランリー美術館の展示は、こうした美術品を世界的に有名にしている。  美術品を全面返還すべきなのか、それとも普遍的な価値あるものとして先進国で保全すべきなのか。二つの立場の対立に関して、我々は、美術品を所有する美術館?博物館の経営を国際化することが解決策になると考える。UNESCOが責任を持つ形で、美術品を国際的に管理するのだ。こうすれば美術館は、国宝以上のもの――すなわち世界遺産を伝える大使となる。  この考えは突飛なものではない。1972年以来、多くの文化財、自然財が世界遺産として登録されてきた。世界遺産のガバナンスを国際的な収集物の保全に拡大すべきである。  美術品の収奪をめぐる議論も数多い。古代からナポレオン、ヒトラーに至るまで、多くの美術品収奪があった。この問題は植民地支配に関わる問題に限定せず、文化遺産の強制的な移転という文脈で考えるべきだ。ただし、返還要求のすべてが同じ重要性を持つわけではないし、要求があれば文化遺産を必ず返還しなければならないということでもない。  危険なのは、美術館が国威発揚の展示場になることだ。関係国が協力し、国際的なスタッフで美術館を管理することを考えてよい。もともとその美術品があった国から要求があれば、常に貸し出しがなされるべきだろう。これによって、収集物のインテグリティが守られる。分極化を深める世界にあって、我々は「壁」ではなく「橋」を建設する必要がある。美術館は、世界遺産の大使としての役割を担うべきである。  日本の我々にも考えさせられるところが多い議論だと思う。美術品返還をめぐる軋轢は、「橋」をつくるチャンスでもあるのだ。(武内進一) 東京外国語大学現代アフリカ地域研究センターは、アフリカ人留学生招致のためご寄付をお願いしています。

個別ページへ